2017年4月3日月曜日

のぞみ通信 2017年3月22日 第226号

のぞみ寮47回生集合写真

 

 

「行って、あなたも同じようにしなさい」 (ルカによる福音書10章25~37節)

寮長 東 晴也

 47回生の皆さん、そしてご父母の皆様、本日はおめでとうございます。
 47回生の皆さんは、「キリスト教の学校である敬和学園」で毎日欠かさずしてきたことがあります。言うまでもなく、それは礼拝です。寮生は、毎日朝晩の礼拝の時間がありました。その礼拝の中で聖書を読み、賛美し、祈り、お話を聴くという3年間を過ごしてきたわけです。その皆さんにどうしても尋ねたい問いと願いがあります。
 「あなたにとって、聖書(イエス)のメッセージとは一体何なのですか?」言い換えると、「あなたは、キリスト教を生きた真理であると思うのか?」という問いです。自分が名を呼ばれて、選ばれてここに招かれたのなら、この問いに応えるべきだと思います。私は、このことを、皆さんのこれからの生涯をかけて確認してほしいとおもいます。
 敬和学園の中で出会ったキリスト教や聖書のメッセージが、生きた真理で、それをここで学んだとするならば、それはあなたの一生を本当の意味で助け、生きる力になるはずです。そのような47回生の一人ひとりは、これから出て行く先々、どこに行っても、その社会の「世の光、地の塩」となるでしょう。
 今から、49年前、1968年4月6日、敬和学園の開校式が旧ランチホールで行われました。宣教師のマシュウズ先生はその祝辞の中で、こう述べています。
「昨日、アメリカでは、われらの偉大な黒人指導者、マルチンルーサーキング牧師が暗殺されました。私はあまりにも悲しく、恥ずかしく、みなさんにお話しするのが困難です。キング牧師の生涯と働きの大きな意味を、しっかり覚えましょう。今日誕生した敬和学園高等学校が、この問題の多い世界に、平等と正義と平和をもたらす献身的な若者を、どうぞ育ててくださるように。」このマシュウズ先生の願いは半世紀を経て、目の前の皆さんに託されています。
 「行って、あなたも同じようにしなさい。」(ルカ1037節)私たちの救い主イエス様が、私たちが本当に生きるために、そうおっしゃっているのです。そのイエス様は、この数ヶ月後、自らエルサレムへ「行って」、十字架に架けられました。それは私たちの罪を贖うためだと聖書は証言しています。イエスは口先だけのお方ではなかったんですよ。実際に、ご自身が「行って」その愛を示されたんです。イエス様は私たちに「行って、あなたも同じように十字架に架りなさい」とは言われなかった。むしろ逆です。「私があなたのために死ぬから、あなたは生きていてほしい」という。これがイエス様の愛です。
 その愛に応えるかたちで、神を敬い、隣人を愛して、自分を大切にして生きていって下さい。(2017年2月28日 寮修了礼拝より)

 

 

 

< 寮修了礼拝 >

 

修了生を代表して

寮でこその変化  K.M(光風館3年 三条市)

 寮生活で学んだこと・成長したこと、何か自分の中で変化したきっかけ・出来事、過去の自分と今の自分で明らかに変わっていること。そのようなことを、この場で話してほしいと、私は頼まれました。みなさんは、この寮に来て、変化したところはどこでしょうか?意外に自分の変化というものは、自分自身では気付かないことが多いと思います。私自身もそうでした。ですが、周りの友人に尋ねてみると、「入学当初と比べると変わったね」と言われることがあります。そう言われて考え直してみると、表情や言動・考え方などは入学当初と比べると、幾分変化したところもあると気付かされました。考えてみれば、3年間何も変わらないほうが難しいと思います。3年もあれば、選挙権が18歳以上になり、アメリカの大統領はオバマからトランプになり、iPhoneは5sから7になります。今日はそんな「変化」について、私の経験を例に少しだけお話ししようと思います。
 私にはある友人がいました。その友人と私は保育園から中学までの間、ずっと一緒の学校に通っていました。彼はとても知的でおもしろく、頼りがいのある人物でした。私もそんな彼のことを慕い憧れて、彼については何でも理解しているつもりでした。彼の好きなこと・嫌いなこと・口癖・考え方、何でも知っているつもりでした。彼とは、このまま何年も変わりなく、この仲が続くだろうと思っていました。しかし、いつの頃から彼は私にお金を要求するようになりました。最初は小さな額から、やがてエスカレートしていき、何万円という額まで膨れ上がりました。彼の言動や行動、考え方も次第に暴力的になっていきました。その時に初めて私は、人は変わるのだと学びました。ですが、当時の私は彼が自分の知らない人になるのが怖く、ずるずるとその関係を続けていきました。しかし、その結果として私は中学へ行かなくなり、親や教師に私たちの関係が発覚し、大問題になり、私は友人をひとり失いました。何が悪かったのか、どこから間違いだったのか、どうするべきだったのか、何もわからず、誰かを責める勇気も誰かを頼る勇気もない私は、ただ自分を責めることしか出来ませんでした。
 その後の私は、結局中学へ戻ることもなく、そのまま卒業し、地元の高校へ。しかし、ろくに中学も行っていない私がまともに通うこともなく、一か月程で登校拒否。その後は何もせず、何も考えず、ただ周りの人に言われるがまま、この敬和学園にやってきました。
 私は最初、寮に来るつもりはありませんでした。ですが、これまた人に言われ、しぶしぶこの寮にやってきました。人との関わりが嫌いな私は、「寮生活なんて、もってのほかだ!」と思っていました。なので、本当はすぐにでも辞めてやるつもりでした。ですが、そんなこと知る由もない同級生や先輩たちは私にたくさんの言葉を掛けてくれました。しかし、久しぶりに投げ掛けられる他人からの言葉にどう対処していいかわからない私は、テキトーにその言葉を受け流していました。寮にいる人たちは、変な人ばかりでした。いちいち叫ぶ人、ダル絡みをしてくる人、もうなんかよくわかんない人。しかし、もっとわからなかったのは、そんな彼らを否定する人がいなかったことです。そこにある空気は、不思議なものでした。この寮では、他人と自分を比べる人が少ないと思いました。他人と自分を比べ、他人の目に怯え、他人からの評価をずっと気にしていた私にとっては、その空気は甘く優しいものに感じました。そして、慌ただしく過ぎる日々の中で次第に私は、その空気に溶け込んでいきました。最初は他人だった周りの人たちは、ぎこちない挨拶を繰り返していくうちに友人になり、時には支え合い、時にはぶつかりあっていくうちに仲間になり、同じ毎日を過ごし、笑い合う中でいつしか家族同然の存在になりました。
 3年前、私は「自分の人生はろくなもんじゃない」と思っていました。この先に行っても何もないと、自分の未来を諦めていました。しかし、今は少しだけ自分の未来に期待しています。なぜ、そう思えるようになったのか。別に未来が変わったわけではありません。きっと私が変わったのだと思います。変わろうと思う、その気持ちだけでも未来は大きく変化すると思います。
 今日、お話したことは私が体験した過去ですが、意外と似たような話はどこにでもあります。誰でも自分や周りの変化に一喜一憂したことがあると思います。私は変化を悪いことだとは思いません。むしろ、どんどん変わっていくべきだと思います。それが良い方向だろうと悪い方向だろうと。大切なのは、そんな変わっていく中で、変わらない何かを持ち続けることだと思います。そのためにも、在寮生のみなさんはたくさんの想い出を作ってください。思い出しただけで笑顔になれるような素敵な想い出を。それがいつかあなたの支えになる日が来ます。
 私は時々、「自分が何も昔から変わっていないんじゃないか」と思うことがあります。入学前の頃と何も変わっておらず、ただ変わった気になっているだけじゃないかと。それもあながち否定出来ない点もあるのですが、ただ一つだけその頃と違うことがあるとすれば、それはここ敬和学園高校のぞみ寮での想い出です。私はこの先、進学して大学へ進みます。そこでは、つらい経験や逃げ出したくなる想いなどがたくさんあると思います。なので、しばらくはこの寮での経験をこれからの支えにしていきたいと思います。3年間、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

保護者を代表して

支えの中で  N.Kさん(めぐみ館保護者 加茂市)

 とうとう、明日は47回生を送る会、今日は寮の修了礼拝となりました。まずは何をおいても、娘のKを支えて下さった皆様に感謝をお伝えしたいと思います。
 入寮式、入学式から今日までお世話頂いた校長先生、寮長先生はじめ多くの先生方。特に娘に関して言えば、寮でお母さんやお姉さん役をして頂いためぐみ館の先生方。毎日給食を作って下さった調理の方々。心身の健康を気遣って下さった養護の先生。夜の警備や学校内を見守って下さった用務の方や事務の方々。娘の好きな本が沢山ある図書室の先生。私の入院中に通学をした期間、お世話になったバスの運転手さん。一緒に笑い、悩んでくれた友達。卒業した先輩。1、2年生の後輩の皆さん。
 毎日、本当に多くの方々に見守られ支えられ、3年間を親子共々過ごすことができました。心から感謝致します。ありがとうございました。
 寮で過ごした3年間は、彼女が自分をじっくり見つめることができた、掛け替えのない素晴らしい時間であったと思います。
 学校見学に訪れた際、校長先生が話した言葉が印象的でした。
「縦や横の数字や順番を計るモノサシではなく、ここは輪になって、皆で問題を出し合い、解決していく学校です」という言葉です。きっと彼女の成長の場になるはずだと感じました。
 勿論、入学前は寮生活に対する不安はありました。しかし、入寮礼拝の日、先生方の温かい笑顔や言葉は、私達の不安を払拭するものでした。あの先生方に預ければ大丈夫と安心しました。
 校長先生の「彼らを待ってあげて下さい」という言葉に希望を感じました。入学礼拝のDVDで拝見した先輩方の輝かしく、自信に満ちた顔や態度の変化に驚いたのをよく覚えています。そして、彼女がどんな3年間を過ごし、成長していくのかが楽しみになり、私達夫婦は卒業が待ち遠しくなりました。
 3年間のうちには、山あり谷あり様々なことがありました。一生懸命に自分に向き合っていたからこそ悩んだこと、もがいたこと、電話の向こうで泣いていたこと……。最後のフェスティバルでは、憧れの先輩のようになりたいと自ら衣装チーフになり、苦難もありましたが、やり遂げたことは、彼女の大きな成長になったと感じました。電話がかかってくる度に、私は「たくさん助けてもらいなさい」と伝えました。そして、多くの友達や先生方から助けて頂きました。彼女のがんばりは、親の私達から見ても驚く程でした。毎週のように生地屋さんに送り、生地屋さんに入り浸り、夕方になってこちらが急がして、ようやく寮に送り届ける休日でした。今となっては、懐かしい思い出です。
 多くの体験によって、豊かな感性や表現を引き出してもらった敬和に感謝しています。
 そこから得た学びは、彼女の中に深く温かく心に染み入っていると思います。そして、私達夫婦も、何度もKのお陰で幸せな気持ちになりました。
 皆さんより長く生きているので思うのですが、歩んできた後ろには、ちゃんと自分だけの道がついています。敬和学園高校とのぞみ寮で過ごした3年間は、多くの経験を通して一人ひとり違いますが、自分の財産になっているはずです。皆さんは、これから始まる新たな環境で沢山の人と出会い、人生を広げていくことでしょう。時に大変だと思うことがあるかもしれませんが、ここで得た自分だけの宝物がきっと光を注いでくれることでしょう。そして、誰かの助けとなり、誰かの希望となっていけたら、何よりの喜びだと思います。しっかりと自分で考え行動し、心豊かな人生になりますよう、願っています。
 最後に保護者を代表して、今日まで子供達を支えて下さった先生方、皆様、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました!

 

 

 

< 寮生リレー >

 

一推し仲間たち  I.D(大望館3年 神奈川県)

 皆さんはなぜ、敬和学園を受験し、なぜ寮生活をしようと思ったのですか?「自分を変えたい」と思ってでしょうか?「親から自立したいから」でしょうか?
 私は敬和に入り、寮生活を通してどうなりたいか?私には何もありませんでした。気が付いたら敬和生活、そして寮生活がスタートしていた私は毎日のように「なぜこんな学校に来てしまったんだ」と自問自答していました。
 そして、私は寮を辞めてやると思い、1年の夏休み後に私は寮に帰って来ませんでした 。しかし、毎日「大丈夫か」と電話してくれた堀越さんに、罪悪感が湧いて来た私はそれじゃあ冬休みまで頑張れば罪悪感なく辞めれると思い、寮に戻りました。そして気が付いたら3年間の敬和生活も終わろうとしています。今、ラストメッセージを考えている中、不思議で仕方がありません。
 私はなぜ寮を辞めていないのか?その理由を考えたお話をすることで、私のラストメッセージとさせていただきたいと思います。私が寮を辞めなかった理由は3つあったと思います。
 まず一つ目は、2年生の世代交代の時、整美委員になったことだと思います。もともと整美委員などやる気は全くありませんでした。しかし、「整美委員一緒にやってくれないか?」としつこく言ってくる友人がいたため、仕方がないと思いながら始めました。仕事が始まった当初は仕事内容が増えたり、新しいことをやろうとして、夜中に話し合いを重ねたり、とても大変でした。そして皆の協力のもと大望館は本当に綺麗になったと思います。色々な人から大望館は綺麗になったと言われ、とても達成感を感じることができました。
 二つ目は最後のフェスティバルです。私は本部員としてフェスティバルに関わり、感じたのが大望館の人が本当に輝いていたということです。ダンスが上手い人、歌が上手い人、絵が上手い人、本当に大望館の人は見ていて本当にかっこよかったです。私はこんなかっこいい人達と生活していると改めて再認識しました。
 そして3つ目。敬和だからこその出会いです。教会の人達や教会関係のキャンプ。大望館で、今まで会ったこともないような個性を持った人と出会ったことは、他の学校ではありえない経験ばかりでした。
 この3つで共通点があるとしたら大望館が好きだということだと思います。私はこの3年間で大望生に魅了されました。大望館の仲間が誉められていたら、自分のことのように喜び嬉しくて、仕方がありませんでした。そしてそんな凄くかっこいい大望館生と生活できたことをいつのまにか私の誇りに思っていたのだと思います。そう思えたからこそ私は寮を辞めなかったのだと思います。
 皆さんは大望館が好きですか?私は好きです。そう思わせてくれた皆さんには本当に感謝しています。だからこそ「自分なんかどうせ」と思わないで下さい。
 皆さんは本当にすごい人です。私なんかであれですが、私が一推しの皆さんです。やりたいことに挑戦し続けて下さい。何かに挑戦し続けている皆さんを私はかっこいいと思います。そんな皆さんに負けないよう私も新しい地で頑張りたいと思います。

 

 

 

私の3年間  I.M(めぐみ館3年 南魚沼市

 みなんさん、こんばんは。3室のI.Mです。ついに、ラストメッセージの時が来てしまいました。長いようであっという間だったように感じます。
 今日は、ラストメッセージということで、この敬和での3年間を、振り返ってみたいと思います。私は「本当にたくさんの人に迷惑をかけていたな」と思いました。
 今でも忘れない入寮した日。夕食を食べに友愛館に行くとき、友愛館に入ることができず、寮本部前で大号泣し、同じ部屋の先輩やほかのお部屋の先輩にもたくさん迷惑をかけたように思います。結局友愛館には入れず、本部でご飯を食べました。そのほかにも対面式に出られなかったり、日曜日に車から降りられず、先生方、先輩方、47回生のみんなに引きずり降ろされたり、本当にたくさんのことをしでかしてきました。
 そして2年生になり、自分の中で先輩になるからしっかりしなくてはと思い、一生懸命にいろんなことに取り組んでいたように思います。1年生は、入寮してから一か月は自宅に戻れないのに、先輩であるしかも2年生の私が帰ってもいいのかと思い、極力帰らないようにしていました。しかし、それが続いたのも夏休み前まででした。夏休み明けは学校にも、寮にも、行けなくなっていました。
 2年生の12月の私は、寮を続けるか、それともやめるか、という選択を迫られていました。寮をやめるということは、県内に住んでいても通うことが困難なので、学校も辞めるということになります。最初は「もうこんなところ辞めてやる」という気持ちでいっぱいでした。ですが先生方の説得、現実を見たときに私は、敬和以外の場所に行ったとき、はたしてちゃんとやっていけるのか不安になり、最終的にやめないという決断をしました。それからは進路なども少しずつみえてきたので、寮も学校も頑張っていました。
 3年生になってからは本当にいろいろありました。本当に、本当に、いろんな人を巻き込んで、いろんなことをしてきました。47回生と先生方、本当にごめんなさい。
 みんなのおかげで、最後にはいい方向に持っていくことができました。ありがとう。
 こんな感じで、3年間振り返ってみると、私はたくさんの人と喧嘩をし、よく泣いていたなと感じました。喧嘩をした人ごめんね。相談に乗ってくれた人たち本当にありがとう。
 改めてこんな私と仲良くしてくれて、いろんなことを教えてくれてありがとうございました。学校を辞めるという選択をしなくて本当に良かったと思っています。

 

 

 

 

異動のあいさつ

村田 茜 (女子寮務教師)

 今年度をもちまして、のぞみ寮を離れることになりました。1年間という短い間ではありましたが、生徒たちの様々な存在を受け入れる力、そして涙と笑顔に背中を押され、支えられ、共に大事な成長のときを過ごすことができました。寮だけでなく、学校の方でも英語を担当していたため、寮とはまた違った生徒たちの表情をたくさん見ることができたことも恵みであったと感謝しています。
 頼りなさを感じさせてしまったこともあったように思います。 私自身の力不足から、ただ笑顔でいることしかできずにいたこともありました。そんな弱さを感じていた私に、笑顔に癒されると嬉しい言葉をくれた生徒がいました。4月から、学校の方へ異動となります。今までとは少し違った形で皆さんの活躍を応援させて頂ければと思っています。最後に、様々な形でお支えくださった保護者の皆さまに感謝しております。本当にありがとうございました。

 

堀越 俊継 (大望館担任)

 今年度を持ちまして寮務教師を退任し、新年度より学校へ異動となりました。4年間大望館の担任として寮生と生活をする中で、共に歩み、共に成長していくことを学ばせて頂きました。
 生徒に寄り添い、一人一人の声を大切にする寮運営を心掛けてきたつもりですが、時に寮生からの想いをくみ取り切れず、自分のふがいなさを感じることもありました。しかしその様な時にも、寮生からの声掛けや支えがあり、また、共に働く寮務教師からの暖かい助言なども頂きながら、やりがいを持って働くことができました。ここでの皆さんと過ごした日々は、私にとって一生の財産となり、忘れられない思い出となりました。名残惜しい気持ちもありますが、私もこれからの歩みを、しっかりと前を向いて歩んで行きたいと思います。ここでの学びと出会いを大切に、これからも自分を磨き、今度は学校教師として精進してまいりたいと思います。
 また、保護者の方からも様々な声を頂きながら、最後まで寮生のことを見守って下さったことにも感謝致します。
 これからも寮生一人一人の幸せと成長を祈っています。4年間本当にありがとうございました。