2017年2月24日金曜日

のぞみ通信 2017年2月23日 第225号

2月17日 2年生セクシャリティー教育より 堀越先生の長男を初だっこさせてもいらいました

 

「のぞみ寮生の『当たり前』とは」  ~携帯・スマホの寮内使用問題を通して~

寮長 東 晴也

 「敬和学園のぞみ寮は、教育方針として携帯、スマートフォン、Wi-Fi等を含む通信機器を寮内で所持し、使用する事を認めていません。」その理由は、「他者への気遣いが出来る人間になっていく」ためと、逆に「寮生同士の生き生きとしたコミュニケーション、関係作りを損なわせてしまう」危険性があるためです。つまり、「寮生活においては、携帯を含む通信機器を所持し使用することが、のぞみ寮教育を根底から崩すことになると考えて」いるからです。(「 」内は『のぞみ寮案内』より抜粋)
 ほとんどの生徒は、このことをよく理解し、ルールを守っています。ところが、今年に入り、一部の生徒がこっそりと寮内の居室に携帯・スマホを持ち込み、使用していたということが判明しました。館の友人や先輩・後輩、そして教師にもウソをつき、ごまかしながら敬和生活を送っていたのです。そのような真実ではない敬和生活を送らせてしまったことに対し、保護者の皆様には本当に申し訳なく思っています。また、寮に携わる教師としても残念でなりません。この事実が分かってから、各寮で話し合い、ミーティングを重ねながら、本来のぞみ寮が大切にしてきたことを再確認しつつ、今日に至っております。
 一方で、この規則をとても真剣に受け止め、中学時代に使用していた通信機能付きの携帯音楽プレーヤー(ipod touch等)を入学前に自宅に置いてくる生徒や未だに携帯(通称「ガラケー」)すら持っていない生徒がいることもまた事実です。
 私は先日、携帯・スマホを持ち込んだ生徒と時間をとって向き合いました。それは、この事実をしっかり自覚させ、反省させた上で、そうせざるを得なかったその生徒ならではの背景・原因を共有し、共感したかったからです。そして最終的には、この出来事を通して、この生徒が成長していくことこそが大切だと考えています。
 昨年秋に、敬和に遊びに来てくれた46回生の卒業生2人の言葉が忘れられません。「敬和は良かったなぁー、携帯がなくて!」実感をもって語ってくれたこの2人の気持ちが、私には痛いほど伝わってきました。ご父母の皆さんは、いかがでしょうか?
 今、盛んに流れている某S社のテレビコマーシャルで高校生っぽい制服を着たタレントが学校らしき構内を歩きながら可愛らしい表情でこう言います。「私たち学生は、当たり前のようにスマホと生きている。……私たちは、スマホと大人になっていく多分はじめての人類だ。」私はこれを耳にするたびに、「そうかな?」とつぶやきます。敬和学園のぞみ寮は、違います!「学生……当たり前……スマホ」、これはスマホのメーカー、通信会社、管轄する総務省が「当たり前」にしたいだけです。敬和学園のぞみ寮が考える「学生」の「当たり前」とは、目の前にいる他者にしっかり向きあって、出会って、寄り添って、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣」(ローマの信徒への手紙12章15節)くことのできる隣人になることです。

 

 

 

< 寮生リレー ~ 礼拝のお話 3年生ラストメッセージ~ >

 

共に前へ進んでいく  S.Y(光風館3年 神奈川県)

 僕が過ごした敬和学園高校での3年間には、多くの出会いと多くの学び、そして多くの感動がありました。敬和生なら誰もが感じることだとは思いますが、敬和学園高校は他の高校に比べ少し変わっていると思います。とても独特な雰囲気のある学校で、先生や生徒一人一人が個性的です。そんな校風が僕には合っていたのだと今では確信しています。
 まず、僕が敬和学園高校に入学した理由は、昔から慣れ親しんだキリスト教環境の下で教育を受けられるということ、そして寮生活を送る中で自立したいと思ったことです。これと同じようなことを入試面接の時に言ったことを今でも覚えています。その時のことを考えると、つい先日のことのように思えます。今思えば、この3年間はあっという間でした。ですが、そのあっという間な日々をよく振り返ってみると、その中にはたくさんの経験と学びがありました。それはとても深いものです。一つ上げればきりがないくらいに深く、長い道のりの中で作り上げられてきました。
 僕は入学後すぐにサッカー部へと入部し、3年間サッカー部で活動し続けました。その中で僕は、寮生活と部活動両方に共通しているあることに気付きました。それは、同じような生活を送っている、または同じ目標に向かっている身近な相手と常にコミュニケーションを取りつつ、チームワークというものを大切にしながら共に前へ進んでいくということです。
 それは、3年生の最後のフェスティバルでも感じたことでした。僕は雲仙連合の競技チーフをやりました。その中で感じたことは、みんなのために働く喜びがあること、そして同じ連合の人たちの想いが団結することの素晴らしさです。小西校長先生が言っている通り、行事にあれだけの時間と労力を使う学校はなかなかありません。僕たち生徒にとって、とても大変なことです。しかし、そんな中でも育まれていくものはたくさんあります。自分が誰かのために何かしてあげられることがあり、他人のためにも精一杯働けるということが、こんなにも素敵なことなんだと改めて気付かせてもらえた時でした。
 これは、これから先の人生を歩んでいく上でとても重要なことだと思います。それを高校生のうちから経験出来たということもまた、この敬和学園であったから、寮生であり光風館生だったからだと心から感じます。

 

 

心を開くことができた場所  M.Y(めぐみ館3年 兵庫県)

 私がめぐみ館に来て約2年間、ほんとに短く感じます。さかのぼること2年前、私の敬和に入る前までの生活は少し過酷でした。高校2年生にしてニートになりました。
 中学3年生のいじめがきっかけでおとなしくなり、自分の意見もなにもなかった私は受験に勝つために毎日塾に通っていました。無事受験戦争に勝って志望校に合格したので、夢の高校生活が送れると思っていました。私は勉強がそんなに好きではなかったです。周りのみんなは熱心に課題に取り組み、勉強嫌いな私との差はどんどん開いていく気がして、不安を感じていました。不安から焦り、焦りから逃れたいと思い、全部がどうでもよくなって更に勉強もさぼりがちになりました。家では毎日夕方までテレビを見て、本当に何もしていませんでした。たまに行く散歩ぐらいが唯一の運動でした。そんな生活も最初は楽しかったですが、1年もそう過ごしていると何もすることがなく、意味のない毎日を過ごすことが苦痛になっていきました。「普通に学校いっときゃよかった」と何度も後悔し泣きました。
 そんな悩んでいた時に通っていた教会の知り合いの方が偶然敬和を紹介してくださいました。それが私の敬和との出会いです。さっそくオープンスクールに参加しました。フェスティバルを見に行ったのですが髪を染めているギャルやチャラ男ばっかりで怖くて「何が一人ひとりを大切にする学校だ!」と毒づいていました。でもなんか、みんな楽しそうでイキイキしていて素敵だなあと思う自分がいました。その瞬間、ここでやり直すのだと決めていました。
 敬和の校風!想像以上でした!特に授業なんかすさまじくて「動物園やん。」って思うくらい騒がしい授業もありました。そんなめまぐるしい毎日でも前みたいに辛くはなかったです。やっぱりそれは、人の力、この寮の人たちのおかげだと思います。毎日積極的に話しかけてくれて、いやなことがあったらすぐに気付いてくれて……いっぱいめぐみ館の人と話すことができました。心を開くって、昔の私にはすごく難しいことだったけど、自ら開かなくてもある程度分かってくれる友人達がこの館にはたくさんいました。それって本当に幸せなことだと思います。私は敬和に入って本当に成長できました。今までやったことのなかった、人前に立って話すことにも頑張って挑戦しました。その結果、本当に人と話すことが苦手で嫌いだった私が、今はふつうに友達、後輩、先生と話ができ、こうして自分の恥ずかしい人生の振り返りと私の思いをみなさんに打ち明けることができています。敬和に来ていなかったら、きっとこんなに苦手なことに立ち向かおうとしていなかったし、物事を深く考えることはなかったと思います。今考えるとあのニート生活も結果としていい方向に向いたなって思います。
 実をいうと、最近まで結構みんなに気を使っていました。でも、みんなを見ているとそんなことが逆に申し訳なくなるくらい心を開いてくれて……それから変なプライドはすてました。そういう自分の悪いところも気付かせてくれてありがとう。
 私はめぐみ館で過ごしたことを絶対忘れません。今思うと毎日が大切な時間でした。1、2年生には寮での時間を本当に無駄にしてほしくないです。毎日の当り前をもう一回見直して見てほしい!47回生のみんなありがとう!この出会いに感謝します。

 

 

今になって思うこと  S.R(大望館3年 上越市)

 あっという間の寮生活、敬和生活だと感じる人が多い中、僕は結構長い時間だったなと感じています。1、2年前の出来事が、遠い日のように感じます。それはきっと僕が過年度生だからだと思います。僕にとっては本当に長い高校生活でした。
 過年度生というのは、わりと僕にとってコンプレックスになっていました。なんで同い年の人に敬語を使うんだよとか、ひねくれたことを初めは思ってました。しかし、ここで過ごしていると、いつの間にかコンプレックスではなくなっていました。そして、一つ年が上だということも笑いの道具として使い始めるようになりました。人に笑ってもらう事がうれしいものだとも感じるようになったからかもしれません。
 またはじめは苦手だと思っている人とも、今ではそんな思いなどなく、僕の大切な友人の一人となっています。しかし、人間関係とは難しいもので、いろいろと悩んだ時もありました。キレた時もあったし、泣いた時もありました。
 でも今思えば、なんでそうなったかなんてあんまり覚えてないことが多いです。1年くらい前の悩み事を思い出せる人はどれくらいいるでしょうか。思い出せることもあるけど、ほとんど忘れてるのではないでしょうか。きっと人は、失敗しても1年も経てば忘れます。だから、がむしゃらに挑戦したり、楽しむのがいいことなのかなと思います。僕は過年度生で悩んでたことも、苦手だと思ってた人のことも、辛くて泣いたことも、今ではそんなこともあったなあとか、いい経験だったなあとか思い返すことができます。
 だから、いろいろとやりたいことをチャレンジしたり、好きな人にはしっかり好きと伝えたり、たくさん相談したり、泣いたりしてください。もし失敗したとしても、来年には笑い話になると思います。
 この3年間を通して、寮は僕を大きく成長させてくれました。もう二度と寮に入りたくないけれど、大望館に入って本当に良かったと思います。風呂場ではくだらないことをしたり、友達と一緒に夜食を作ったり、夜遅くまでしゃべったり、みんなで映画を観たり、スケボーをしたりと、僕はこの寮にいて幸せでした。本当に幸せでした。
 冒頭では、人より一年多い高校生活で、長い寮生活だと感じたって言ったけど、こういう風に振り返っていると、本当に内容の濃い寮生活だったと思います。きっとそのせいで長く感じたのかなって思いました。
 僕の人生にとって本当に大きな3年間でした。楽しい時もあり、つまらない時もあり、寮に帰りたい時もあり、帰るのがめんどくさい時もある。そんな寮ですが、僕はこの寮が大好きです。

 

 

みぎわ館の温かさの中で  N.T(みぎわ館3年 大阪府)

 私はとてもきつい人でした。たやすく人を傷つけ、それさえも気が付かない。いや、気づくことのできない人でした。言葉は鋭く、冗談で人をののしることが普通だった地元大阪。そこに慣れてしまっていた私は、敬和の寮に入ると目をつけられる存在となりました。私にとっての普通のことがみんなにとって普通ではない。全国から集まるこの寮だからこその現実をいやというほどに突きつけられた入学直後。何が悪いかわからない私に、先輩たち、仲間たちは教えてくれました。泣いて教えてくれました。喧嘩して教えてくれました。優しく教えてくれました。相手の気持ちを考えることが、ここでは何よりも大切だということを。自分を変えなければ何も始まらないという現実からずっと目をそむけ続けていた私。それでも突き放さず怒りつつも寄り添ってくれた47回生。これが私の寮生活の第一歩でした。それからも1年生という立場は大変なもので、多くの不安と緊張と共に生活していました。それが1年生の私です。
 多くの人に「丸くなったね」と言われるようになった頃、クラス替え、世代交代、環境ががらりと変わり、多くの役割を担うようになりました。部活も本格化、寮以外での活動が多くなるにつれ、寮生活は癒しへと変化していきました。かわいい後輩と好きな人の話をしたり、素を出し切った仲間と考えられないくらいアホなことをしたりと、大切な思い出が増えるばかりでした。これが2年生の私です。
 私にとって最も苦しい一年が始まります。私は学校でも部活でも大きな役割を担いました。楽しいことばかりだった2年生、打って変わって責任感とプレッシャーばかりの日々。同時に多くのものを失いました。毎日問題が起き、いろんなところで人間関係が壊れていったフェスティバル期間。想像以上の責任に私はとても耐えられませんでした。私はもとから優しい人間でもないし、器用でもない、しっかりした人でもない。大きな役割を任されるべき人ではないのだと何度思ったでしょうか。泣かないと決めていたことも忘れ、涙は枯れ果てました。それでもみんなの前で笑顔を絶やさないようにとしていくうちに、私の中で何が今大切なのか、何をすべきなのか、すべての目的を見失っていきました。今でも覚えています。疲れて帰ってきたみぎわ館には心配そうに話しかけてきてくれた温かい後輩たちがいたことを。そして夜中まで事務室で話し合い、本部の先生に立ち向かってくれた心強い仲間たちを。死ぬまで忘れないでしょう。ありがとう。あの強さにどれだけ支えられたでしょうか。なんで私はこんなに悩んでいるのだろう。こんな愛すべき仲間たちがいるのに、と何度思ったでしょうか。怒涛の1年間。そしてそれ以上に大切なものを得たこの3年間。47回生のみんな、先生、私はどう変わったでしょうか。これがみんなの知っている今の私です。
 私が苦しかったことばかりを挙げて話した理由は、ここみぎわの温かさがそういう状況でこそ実感できるということを伝えたいからです。楽しく面白い以上に、優しく人の心に寄り添える人たちが集まっているということを知ってほしいからです。私が敬和学園で得た最大の財産は、ここみぎわ館での出会いだと胸を張って言えるでしょう。

 

 

 

3年生との思い出 出会えてよかった

S.N(みぎわ館2年 三条市

「こんな所、嫌だ。明日寮を辞めよう。」「一か月後辞めよう……。」と、そんなことを思いながら過ごしていた私も、敬和生・みぎわ館生でいさせて頂ける時間は残り1年というところに来ています。どうしてここまで来ることができたのか、考えて真っ先に思い浮かんだのは、47回生の存在でした。

0223_no02 私はとてつもなく自分が嫌いで、人を信用できず、人を傷つけてしまったり、悪い方へと物事を深く考えてしまったりします。高校に入るまで、そんな弱虫な私でした。高校に入ってもそんな私がすぐに変われることはなく、対人関係でトラブルを起こしたり、逃げたりと問題ばかりを起こしていました。
 そんなどうしようもない私の心の持ち方を変えてくれたのが、ある一人の先輩でした。その方は最初の部屋の先輩で、私がトラブルを起こす度に傍に居てくださり、悩みを聞いてくださいました。色々助けてもらいすぎて申し訳なく、嫌われることが怖くて先輩を避けてしまった時があります。でも、その先輩が私を避けることは一度もなく、そんな私を見抜いて「見守っている、遠慮しないで。」と言ってくれました。その言葉がどれほど救いになったか。嬉しかったか。多分、それすらも見抜いていたのだと思います。
 人の心は、温かくて優しくて素敵なものだと学びました。本当に心の底から、「先輩と出会えて良かった。」と思います。先輩と過ごした時間は今となっては懐かしく、数えきれない楽しい日々を私は過ごしてきました。刺繍という趣味も先輩との関わりの中で見つけました。これらの思い出は生涯忘れることはないでしょう。私が敬和を卒業して、大学や就職して悲しいことや辛い事があっても、みぎわ館で先輩方と過ごした日々は最高だったと胸を張って言えるでしょう。
 47回生の皆さん、本当にありがとうございました!

 

 

 

教師からの一言

背中を見つめて  小林 渚(みぎわ館担任)

 47回生が自宅学習期間に入り、寂しさが残る中、同時に不安が。敬和生で寮生だったとはいえ、右も左も分らなかった私にとって、3年生の存在は大きなものでした。今の寮のルール、雰囲気、生徒への関わり方、寮生活そのものの在り方を、1・2年生と一緒に3年生の背中を見て学んできた私です。正直なところ、「さてどうしよう」と。3年生が居なくなって「わたし」は大丈夫なのだろうかと。
 けれどもそんな不安を打ち消してくれたのは他でもない1・2年生。3年生をしっかり送り出すために、学校や寮の送る会の準備に毎日必死に励む生徒達の姿が私の目に映りました。忙しい中、みぎわ館の現状から出てきた「課題」にも、2年生が先頭を切って取り組んでいく姿に心が揺さぶられました。世代交代からまた一段とたくましくなった2年生。そんな2年生の影響もあってか1年生の表情も今までとは違う。「どうしよう」と心配だったのはほんの数日だけ。「大丈夫」と、私は1・2年生と一緒に今まで以上に前に進んでいけると自信が湧いてきたのです。それは、47回生がみぎわ館に居た「証」をきっちり残してくれたから。「人の輪の中で成長するということ」を後輩たちにしっかりと繋いでくれたからでしょう。
 生徒たちが1年間をやり終えようとしている時に、また、次の新たな1年間を踏み出そうとする時にさらなる成長があることを1年目の私は想像していませんでした。言葉で言い表せない数々のものを残してくれた47回生に感謝の言葉を贈ると共に、「大丈夫。私たちに任せて」と1・2年生は力強く語ってくれていることは間違いないでしょう。