2017年2月27日月曜日

今週ののぞみ寮 第18号

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 2月24日(金)の夜、体育館で1年生のレクリエーションが行われました。のぞみ寮の1年生同士が館を超えてもっと互いを知り合い、仲よくなりたい!とのことで、副ブロック長の4人が企画・運営してくれたのです。50人近い1年生達が集まり、にぎやかに始まったレクリエーション。のぞみ寮4館・1年生だけの時間なんて、入寮時に1回あったっきりだったのでは!?遠慮なくにぎやかに、でも和やかに始まったレク。第一部はチーム対抗ジェスチャーゲーム。ジェスチャーで伝言ゲームをするという、一見単純なゲームだったのですが、「花火」や「りんご」なんていう簡単な題目でも、1チーム10人程度のジェスチャーを経てくると何が何だか分からなくなっていました。伝わるごとにおかしく変化していくジェスチャーに周りのみんなは大笑い。お題「ウーパールーパー」が、最後には胸を叩いてウホウホ!なんてジェスチャーになっていたりして、私もお腹が痛くなるほど笑っちゃいました。

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 その第二部はみんな大好きドッヂボールです。寮生は本当にドッヂボールが大好きです。レクと言えば、必ず行っているのではないかと思います。男女混合のチームでフェアにやろうという事で、男子は利き手と反対の手で投げること!というルールが課せられていました。いつもは飛び交うボールの音も受けるボールの音も早くて重くて、カメラマン役の私でさえも逃げたくなるほどの迫力ある物なのですが、今回はなかなか優しい音が響いていたように思います。
 チームで声をかけ合い、応援し合い、女子も果敢に受けて投げて、男子は利き手で投げそうになるのを「おっ」と我慢して……。ナイスプレーも珍プレーも続出で、これまたおもしろい時間となりました。
 「またやりたい!」そんな声がたくさん聞こえてきた解散時。仲間と一緒に笑って動いて、褒め合って助け合って。。。たっぷり感動もあったなぁ!と思います。
 今回のレクではジュースの景品もあり、1位のチームからジュース選びの権利が優先的に与えられました。景品があると知って喜ぶみんなの顔、ジュース選びに興奮するみんなの様子、ジュースを手にして満面の笑みのみんな……。全部がステキで、全部が面白くて、全部に笑ってしまいました!あ~、楽しかった!

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2017年2月24日金曜日

のぞみ通信 2017年2月23日 第225号

2月17日 2年生セクシャリティー教育より 堀越先生の長男を初だっこさせてもいらいました

 

「のぞみ寮生の『当たり前』とは」  ~携帯・スマホの寮内使用問題を通して~

寮長 東 晴也

 「敬和学園のぞみ寮は、教育方針として携帯、スマートフォン、Wi-Fi等を含む通信機器を寮内で所持し、使用する事を認めていません。」その理由は、「他者への気遣いが出来る人間になっていく」ためと、逆に「寮生同士の生き生きとしたコミュニケーション、関係作りを損なわせてしまう」危険性があるためです。つまり、「寮生活においては、携帯を含む通信機器を所持し使用することが、のぞみ寮教育を根底から崩すことになると考えて」いるからです。(「 」内は『のぞみ寮案内』より抜粋)
 ほとんどの生徒は、このことをよく理解し、ルールを守っています。ところが、今年に入り、一部の生徒がこっそりと寮内の居室に携帯・スマホを持ち込み、使用していたということが判明しました。館の友人や先輩・後輩、そして教師にもウソをつき、ごまかしながら敬和生活を送っていたのです。そのような真実ではない敬和生活を送らせてしまったことに対し、保護者の皆様には本当に申し訳なく思っています。また、寮に携わる教師としても残念でなりません。この事実が分かってから、各寮で話し合い、ミーティングを重ねながら、本来のぞみ寮が大切にしてきたことを再確認しつつ、今日に至っております。
 一方で、この規則をとても真剣に受け止め、中学時代に使用していた通信機能付きの携帯音楽プレーヤー(ipod touch等)を入学前に自宅に置いてくる生徒や未だに携帯(通称「ガラケー」)すら持っていない生徒がいることもまた事実です。
 私は先日、携帯・スマホを持ち込んだ生徒と時間をとって向き合いました。それは、この事実をしっかり自覚させ、反省させた上で、そうせざるを得なかったその生徒ならではの背景・原因を共有し、共感したかったからです。そして最終的には、この出来事を通して、この生徒が成長していくことこそが大切だと考えています。
 昨年秋に、敬和に遊びに来てくれた46回生の卒業生2人の言葉が忘れられません。「敬和は良かったなぁー、携帯がなくて!」実感をもって語ってくれたこの2人の気持ちが、私には痛いほど伝わってきました。ご父母の皆さんは、いかがでしょうか?
 今、盛んに流れている某S社のテレビコマーシャルで高校生っぽい制服を着たタレントが学校らしき構内を歩きながら可愛らしい表情でこう言います。「私たち学生は、当たり前のようにスマホと生きている。……私たちは、スマホと大人になっていく多分はじめての人類だ。」私はこれを耳にするたびに、「そうかな?」とつぶやきます。敬和学園のぞみ寮は、違います!「学生……当たり前……スマホ」、これはスマホのメーカー、通信会社、管轄する総務省が「当たり前」にしたいだけです。敬和学園のぞみ寮が考える「学生」の「当たり前」とは、目の前にいる他者にしっかり向きあって、出会って、寄り添って、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣」(ローマの信徒への手紙12章15節)くことのできる隣人になることです。

 

 

 

< 寮生リレー ~ 礼拝のお話 3年生ラストメッセージ~ >

 

共に前へ進んでいく  S.Y(光風館3年 神奈川県)

 僕が過ごした敬和学園高校での3年間には、多くの出会いと多くの学び、そして多くの感動がありました。敬和生なら誰もが感じることだとは思いますが、敬和学園高校は他の高校に比べ少し変わっていると思います。とても独特な雰囲気のある学校で、先生や生徒一人一人が個性的です。そんな校風が僕には合っていたのだと今では確信しています。
 まず、僕が敬和学園高校に入学した理由は、昔から慣れ親しんだキリスト教環境の下で教育を受けられるということ、そして寮生活を送る中で自立したいと思ったことです。これと同じようなことを入試面接の時に言ったことを今でも覚えています。その時のことを考えると、つい先日のことのように思えます。今思えば、この3年間はあっという間でした。ですが、そのあっという間な日々をよく振り返ってみると、その中にはたくさんの経験と学びがありました。それはとても深いものです。一つ上げればきりがないくらいに深く、長い道のりの中で作り上げられてきました。
 僕は入学後すぐにサッカー部へと入部し、3年間サッカー部で活動し続けました。その中で僕は、寮生活と部活動両方に共通しているあることに気付きました。それは、同じような生活を送っている、または同じ目標に向かっている身近な相手と常にコミュニケーションを取りつつ、チームワークというものを大切にしながら共に前へ進んでいくということです。
 それは、3年生の最後のフェスティバルでも感じたことでした。僕は雲仙連合の競技チーフをやりました。その中で感じたことは、みんなのために働く喜びがあること、そして同じ連合の人たちの想いが団結することの素晴らしさです。小西校長先生が言っている通り、行事にあれだけの時間と労力を使う学校はなかなかありません。僕たち生徒にとって、とても大変なことです。しかし、そんな中でも育まれていくものはたくさんあります。自分が誰かのために何かしてあげられることがあり、他人のためにも精一杯働けるということが、こんなにも素敵なことなんだと改めて気付かせてもらえた時でした。
 これは、これから先の人生を歩んでいく上でとても重要なことだと思います。それを高校生のうちから経験出来たということもまた、この敬和学園であったから、寮生であり光風館生だったからだと心から感じます。

 

 

心を開くことができた場所  M.Y(めぐみ館3年 兵庫県)

 私がめぐみ館に来て約2年間、ほんとに短く感じます。さかのぼること2年前、私の敬和に入る前までの生活は少し過酷でした。高校2年生にしてニートになりました。
 中学3年生のいじめがきっかけでおとなしくなり、自分の意見もなにもなかった私は受験に勝つために毎日塾に通っていました。無事受験戦争に勝って志望校に合格したので、夢の高校生活が送れると思っていました。私は勉強がそんなに好きではなかったです。周りのみんなは熱心に課題に取り組み、勉強嫌いな私との差はどんどん開いていく気がして、不安を感じていました。不安から焦り、焦りから逃れたいと思い、全部がどうでもよくなって更に勉強もさぼりがちになりました。家では毎日夕方までテレビを見て、本当に何もしていませんでした。たまに行く散歩ぐらいが唯一の運動でした。そんな生活も最初は楽しかったですが、1年もそう過ごしていると何もすることがなく、意味のない毎日を過ごすことが苦痛になっていきました。「普通に学校いっときゃよかった」と何度も後悔し泣きました。
 そんな悩んでいた時に通っていた教会の知り合いの方が偶然敬和を紹介してくださいました。それが私の敬和との出会いです。さっそくオープンスクールに参加しました。フェスティバルを見に行ったのですが髪を染めているギャルやチャラ男ばっかりで怖くて「何が一人ひとりを大切にする学校だ!」と毒づいていました。でもなんか、みんな楽しそうでイキイキしていて素敵だなあと思う自分がいました。その瞬間、ここでやり直すのだと決めていました。
 敬和の校風!想像以上でした!特に授業なんかすさまじくて「動物園やん。」って思うくらい騒がしい授業もありました。そんなめまぐるしい毎日でも前みたいに辛くはなかったです。やっぱりそれは、人の力、この寮の人たちのおかげだと思います。毎日積極的に話しかけてくれて、いやなことがあったらすぐに気付いてくれて……いっぱいめぐみ館の人と話すことができました。心を開くって、昔の私にはすごく難しいことだったけど、自ら開かなくてもある程度分かってくれる友人達がこの館にはたくさんいました。それって本当に幸せなことだと思います。私は敬和に入って本当に成長できました。今までやったことのなかった、人前に立って話すことにも頑張って挑戦しました。その結果、本当に人と話すことが苦手で嫌いだった私が、今はふつうに友達、後輩、先生と話ができ、こうして自分の恥ずかしい人生の振り返りと私の思いをみなさんに打ち明けることができています。敬和に来ていなかったら、きっとこんなに苦手なことに立ち向かおうとしていなかったし、物事を深く考えることはなかったと思います。今考えるとあのニート生活も結果としていい方向に向いたなって思います。
 実をいうと、最近まで結構みんなに気を使っていました。でも、みんなを見ているとそんなことが逆に申し訳なくなるくらい心を開いてくれて……それから変なプライドはすてました。そういう自分の悪いところも気付かせてくれてありがとう。
 私はめぐみ館で過ごしたことを絶対忘れません。今思うと毎日が大切な時間でした。1、2年生には寮での時間を本当に無駄にしてほしくないです。毎日の当り前をもう一回見直して見てほしい!47回生のみんなありがとう!この出会いに感謝します。

 

 

今になって思うこと  S.R(大望館3年 上越市)

 あっという間の寮生活、敬和生活だと感じる人が多い中、僕は結構長い時間だったなと感じています。1、2年前の出来事が、遠い日のように感じます。それはきっと僕が過年度生だからだと思います。僕にとっては本当に長い高校生活でした。
 過年度生というのは、わりと僕にとってコンプレックスになっていました。なんで同い年の人に敬語を使うんだよとか、ひねくれたことを初めは思ってました。しかし、ここで過ごしていると、いつの間にかコンプレックスではなくなっていました。そして、一つ年が上だということも笑いの道具として使い始めるようになりました。人に笑ってもらう事がうれしいものだとも感じるようになったからかもしれません。
 またはじめは苦手だと思っている人とも、今ではそんな思いなどなく、僕の大切な友人の一人となっています。しかし、人間関係とは難しいもので、いろいろと悩んだ時もありました。キレた時もあったし、泣いた時もありました。
 でも今思えば、なんでそうなったかなんてあんまり覚えてないことが多いです。1年くらい前の悩み事を思い出せる人はどれくらいいるでしょうか。思い出せることもあるけど、ほとんど忘れてるのではないでしょうか。きっと人は、失敗しても1年も経てば忘れます。だから、がむしゃらに挑戦したり、楽しむのがいいことなのかなと思います。僕は過年度生で悩んでたことも、苦手だと思ってた人のことも、辛くて泣いたことも、今ではそんなこともあったなあとか、いい経験だったなあとか思い返すことができます。
 だから、いろいろとやりたいことをチャレンジしたり、好きな人にはしっかり好きと伝えたり、たくさん相談したり、泣いたりしてください。もし失敗したとしても、来年には笑い話になると思います。
 この3年間を通して、寮は僕を大きく成長させてくれました。もう二度と寮に入りたくないけれど、大望館に入って本当に良かったと思います。風呂場ではくだらないことをしたり、友達と一緒に夜食を作ったり、夜遅くまでしゃべったり、みんなで映画を観たり、スケボーをしたりと、僕はこの寮にいて幸せでした。本当に幸せでした。
 冒頭では、人より一年多い高校生活で、長い寮生活だと感じたって言ったけど、こういう風に振り返っていると、本当に内容の濃い寮生活だったと思います。きっとそのせいで長く感じたのかなって思いました。
 僕の人生にとって本当に大きな3年間でした。楽しい時もあり、つまらない時もあり、寮に帰りたい時もあり、帰るのがめんどくさい時もある。そんな寮ですが、僕はこの寮が大好きです。

 

 

みぎわ館の温かさの中で  N.T(みぎわ館3年 大阪府)

 私はとてもきつい人でした。たやすく人を傷つけ、それさえも気が付かない。いや、気づくことのできない人でした。言葉は鋭く、冗談で人をののしることが普通だった地元大阪。そこに慣れてしまっていた私は、敬和の寮に入ると目をつけられる存在となりました。私にとっての普通のことがみんなにとって普通ではない。全国から集まるこの寮だからこその現実をいやというほどに突きつけられた入学直後。何が悪いかわからない私に、先輩たち、仲間たちは教えてくれました。泣いて教えてくれました。喧嘩して教えてくれました。優しく教えてくれました。相手の気持ちを考えることが、ここでは何よりも大切だということを。自分を変えなければ何も始まらないという現実からずっと目をそむけ続けていた私。それでも突き放さず怒りつつも寄り添ってくれた47回生。これが私の寮生活の第一歩でした。それからも1年生という立場は大変なもので、多くの不安と緊張と共に生活していました。それが1年生の私です。
 多くの人に「丸くなったね」と言われるようになった頃、クラス替え、世代交代、環境ががらりと変わり、多くの役割を担うようになりました。部活も本格化、寮以外での活動が多くなるにつれ、寮生活は癒しへと変化していきました。かわいい後輩と好きな人の話をしたり、素を出し切った仲間と考えられないくらいアホなことをしたりと、大切な思い出が増えるばかりでした。これが2年生の私です。
 私にとって最も苦しい一年が始まります。私は学校でも部活でも大きな役割を担いました。楽しいことばかりだった2年生、打って変わって責任感とプレッシャーばかりの日々。同時に多くのものを失いました。毎日問題が起き、いろんなところで人間関係が壊れていったフェスティバル期間。想像以上の責任に私はとても耐えられませんでした。私はもとから優しい人間でもないし、器用でもない、しっかりした人でもない。大きな役割を任されるべき人ではないのだと何度思ったでしょうか。泣かないと決めていたことも忘れ、涙は枯れ果てました。それでもみんなの前で笑顔を絶やさないようにとしていくうちに、私の中で何が今大切なのか、何をすべきなのか、すべての目的を見失っていきました。今でも覚えています。疲れて帰ってきたみぎわ館には心配そうに話しかけてきてくれた温かい後輩たちがいたことを。そして夜中まで事務室で話し合い、本部の先生に立ち向かってくれた心強い仲間たちを。死ぬまで忘れないでしょう。ありがとう。あの強さにどれだけ支えられたでしょうか。なんで私はこんなに悩んでいるのだろう。こんな愛すべき仲間たちがいるのに、と何度思ったでしょうか。怒涛の1年間。そしてそれ以上に大切なものを得たこの3年間。47回生のみんな、先生、私はどう変わったでしょうか。これがみんなの知っている今の私です。
 私が苦しかったことばかりを挙げて話した理由は、ここみぎわの温かさがそういう状況でこそ実感できるということを伝えたいからです。楽しく面白い以上に、優しく人の心に寄り添える人たちが集まっているということを知ってほしいからです。私が敬和学園で得た最大の財産は、ここみぎわ館での出会いだと胸を張って言えるでしょう。

 

 

 

3年生との思い出 出会えてよかった

S.N(みぎわ館2年 三条市

「こんな所、嫌だ。明日寮を辞めよう。」「一か月後辞めよう……。」と、そんなことを思いながら過ごしていた私も、敬和生・みぎわ館生でいさせて頂ける時間は残り1年というところに来ています。どうしてここまで来ることができたのか、考えて真っ先に思い浮かんだのは、47回生の存在でした。

0223_no02 私はとてつもなく自分が嫌いで、人を信用できず、人を傷つけてしまったり、悪い方へと物事を深く考えてしまったりします。高校に入るまで、そんな弱虫な私でした。高校に入ってもそんな私がすぐに変われることはなく、対人関係でトラブルを起こしたり、逃げたりと問題ばかりを起こしていました。
 そんなどうしようもない私の心の持ち方を変えてくれたのが、ある一人の先輩でした。その方は最初の部屋の先輩で、私がトラブルを起こす度に傍に居てくださり、悩みを聞いてくださいました。色々助けてもらいすぎて申し訳なく、嫌われることが怖くて先輩を避けてしまった時があります。でも、その先輩が私を避けることは一度もなく、そんな私を見抜いて「見守っている、遠慮しないで。」と言ってくれました。その言葉がどれほど救いになったか。嬉しかったか。多分、それすらも見抜いていたのだと思います。
 人の心は、温かくて優しくて素敵なものだと学びました。本当に心の底から、「先輩と出会えて良かった。」と思います。先輩と過ごした時間は今となっては懐かしく、数えきれない楽しい日々を私は過ごしてきました。刺繍という趣味も先輩との関わりの中で見つけました。これらの思い出は生涯忘れることはないでしょう。私が敬和を卒業して、大学や就職して悲しいことや辛い事があっても、みぎわ館で先輩方と過ごした日々は最高だったと胸を張って言えるでしょう。
 47回生の皆さん、本当にありがとうございました!

 

 

 

教師からの一言

背中を見つめて  小林 渚(みぎわ館担任)

 47回生が自宅学習期間に入り、寂しさが残る中、同時に不安が。敬和生で寮生だったとはいえ、右も左も分らなかった私にとって、3年生の存在は大きなものでした。今の寮のルール、雰囲気、生徒への関わり方、寮生活そのものの在り方を、1・2年生と一緒に3年生の背中を見て学んできた私です。正直なところ、「さてどうしよう」と。3年生が居なくなって「わたし」は大丈夫なのだろうかと。
 けれどもそんな不安を打ち消してくれたのは他でもない1・2年生。3年生をしっかり送り出すために、学校や寮の送る会の準備に毎日必死に励む生徒達の姿が私の目に映りました。忙しい中、みぎわ館の現状から出てきた「課題」にも、2年生が先頭を切って取り組んでいく姿に心が揺さぶられました。世代交代からまた一段とたくましくなった2年生。そんな2年生の影響もあってか1年生の表情も今までとは違う。「どうしよう」と心配だったのはほんの数日だけ。「大丈夫」と、私は1・2年生と一緒に今まで以上に前に進んでいけると自信が湧いてきたのです。それは、47回生がみぎわ館に居た「証」をきっちり残してくれたから。「人の輪の中で成長するということ」を後輩たちにしっかりと繋いでくれたからでしょう。
 生徒たちが1年間をやり終えようとしている時に、また、次の新たな1年間を踏み出そうとする時にさらなる成長があることを1年目の私は想像していませんでした。言葉で言い表せない数々のものを残してくれた47回生に感謝の言葉を贈ると共に、「大丈夫。私たちに任せて」と1・2年生は力強く語ってくれていることは間違いないでしょう。



2017年2月21日火曜日

みぎわ館通信 2017年2月19日 第256号

女子寮合同礼拝を行いました!!

♪めぐみ館での合同礼拝♪

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 「2月16日と2月17日の礼拝は女子寮合同礼拝とします!」と、ある日の礼拝終了後に礼拝委員長S.Hさんから連絡がありました。「おお~♪」と湧き上がる歓声。各館で行われている夕礼拝は進行の仕方は同じですが不思議と雰囲気が違います。めぐみっ子達にみぎわ館の礼拝の雰囲気を、みぎわっ子達にはめぐみ館の礼拝の雰囲気を味わって欲しい。そんな気持ちから女子寮の合同礼拝が今回実現しました。
 夏休み前に企画された女子寮合同ガーデンパーティーをきっかけに、互いの寮の良さを生徒達に感じ取って欲しいと女子寮の先生達はよく話していました。なので、今回の提案はものすごく嬉しいものでした。生徒達からやりたい!と声があがったこともそうですし、提案を聞いたみぎわっ子たちがとても楽しみにしている様子を見ることができたからです。
 2月16日(木)、この日みぎわっ子たちは元気よく玄関を飛び出し、めぐみ館へ走っていきました。めぐみ館のホールに入ると椅子がしっかり並べてあり、みぎわ館生を招く準備がしっかりされていたことに感心しました。白い床に白いテーブル、白い壁。天井には木の梁が見え、そこにはいつもと違う適度な緊張感がありました。1・2年生を目の前に、話しをしてくれたのは1年生のT.Aさん。自分自身を見つめていきたい……と想いを伝えてくれました。めぐみっ子もみぎわっ子も語られる一言ひとことにしっかりと耳を傾けて聞いていました。次の日はめぐみっ子たちがみぎわ館へ!みぎわ館生の間にめぐみ館生が入るように椅子が並べられていました。話しをしてくれたのは2年生のS.Hさん。笑いありのお話は、緊張して入ってきためぐみっ子達の心をほぐしてくれました。
 「礼拝の雰囲気は集う者たちでつくりだされる。」二日間を通して私が感じたことです。めぐみ館の礼拝もみぎわ館の礼拝も、今いる生徒達が雰囲気をつくりだしてくれていると改めて感じました。語られるメッセージは和やかなもの、時にしんみりするもの、その時その時で違えば、漂う空気感も違います。でも、その中に彼女たちなりの「メッセージ」がしっかり込められていて、それを聞いている側も心で表情で受け取ってくれている。すてきなことです。最近、女子生徒達はお互いの館の様子をよく見合うようになりました。特に48回生たちが。嬉しいことです。みぎわ館で課題がでてくると、「めぐみ館でも考えた方がいいですかね~?」と声があがると聞きます。お互いの館で行われているミーティングに参加したいという話も耳にするようになりました。
 実は、女子寮の教師の私たちも、たまにお互いの館を行き来きしています。実際に生徒達の中に入っていくことで見えてくる生徒達本来の姿に出会える喜びがあります。生徒達も私達も、もっともっと喜びや悩み、寂しさ、嬉しさを館を超えて共有していけたらと思っています。(小林)

♪みぎわ館での合同礼拝♪

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女子寮合同礼拝のお話より

「 寮は鍋 」       2年 S.H

『わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力を身に着けて、あなた方の愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。(フィリピの信徒への手紙 1章9~10節)

 朝5時に起きます。まだヒーターはつきません。湯沸かし器も使えません。ホールまでおりてきてお湯を沸かし、コーヒーを入れます。そして部屋に戻ってまだ薄暗い外を見ながらコーヒーを飲みます。本を読んだり勉強したり、ちょっと片付けて制服に着替えて朝ご飯に行きます。朝食を食べ終えたら社会科準備室のF先生に挨拶をし、チャペルの電気を付けてオルガンのチューニングをしてスピーカーのスイッチを入れます。寮に一旦帰ってきて掃除をして歯を磨いて朝練に行く。これが私の朝の日課、のはずでした。
 ところが困ったことに私のアイデンティティのようなこの日課が乱されています。それはなぜか。そうです。朝起きられないのです。寒いのです。
 寒さは人をどこまでも冷やします。体調不良も引き起こします。そんな私の癒しは、布団の暖かさ、温もりでした。これは、何にも替えがたく癒されました。が、しかし、それも束の間、朝起きられないという苦痛が私を襲います。全ては寒いというだけで。寒い原因の一つに、学校でカーディガンを着ないという決心がありました。私は思い切ってカーディガンを着ることにしました。すると驚くほど暖かいのです。その日一日、私は嬉しくて仕方ありませんでした。私は幸せでした。
 あたたかいということは、人の感じる最も幸せな感覚だと思います。例えば、こたつ、湯たんぽ、飲み物、食べ物、人の温もり、これらがあたたかいと幸せなんです。あたたかいだけで幸せになれるのです。人は時に心においても体においても寒さを感じることがありますが、暖かい服を着て、温かい食事を暖かい人達と囲んだら、どれほど幸せでしょうか。
 私はそれが可能な場所を知っています。ここです。寮です。毎日3食温かい食事がでます。一緒に食事をする仲間がいます。一人だと思っても決してそんなことはありません。想ってくれる仲間がいます。苦しければ分かち合ってくれる仲間がいます。これが、どんなに恵まれていて幸せなことか。
 私がそれを感じたのは、1年生がスキー教室に行っている時でした。学校にも寮にも2年生しかおらず、何だか何もかもから解放されたように自由になった気がしました。
 一日目の鍋パーティー。みぎわ館48回生全員が席について鍋を囲んだ時、その光景はなんだか感慨深く、言い合う冗談も、真面目なことも、ダジャレも、すべてが場を和ませていて、私はあれほど幸せな食事はないと思いました。本当にあたたかい一時でした。
 多様性に寛容であることは敬和の学びの一つですが、これにも「あたたかさ」のヒントが隠されています。せっかく映画を借りてきたのに嫌だと言う人も、別なものが観たいと言う人もいます。皆で何かしようと、何時集合と言っても守らない、何だか腹が立つ道徳的な反論、自分がしたいことは皆でするのは難しい。とりあえず勝手な自分がいました。進路DAY1日目。「多様性は寛容であること」というワードが一瞬でてきました。それがなんだかひっかかっていた私は一日考え、行動を起こした2日目から本当の自由と楽しさを見出していきました。だだし、それは寛容なだけの、常に妥協し、必ず約束を守り、主張をしないということではありません。それでは鍋を囲んでも幸せではありません。あたたかくもない。寮があたたかいのは、個々が“多様性”に寛容であり、自分の想いを伝えているからです。
 もしも、この中にまだ寮のあたたかさを感じていない人がいるとします。その人に伝えます。自分の殻に閉じこもっていないですか?あなたの周りには必ず想ってくれる仲間と、きっと喧嘩してくれる仲間と、鍋を囲んだ時のような温かい仲間がいます。私もなんだかんだで最近まで殻に閉じこもっていた人間です。でも、外の世界は、今まで知ることのなかった「あたたかさ」であふれていました。それをどうか今すぐにでも知って欲しいと願っています。
 寮で本当に重要なのは、ちゃんと学校に行くことでも、携帯を持ってこないことでも、ルールを守ることでもなく、ここが寒くなくて、あたたかい場所だということの経験をもち、頭ではなく心で理解することだと思います。その為の守るべきルールなどが存在するのです。もうすぐ50回生が入ってきます。私達はそれぞれ一つ上の学年に上がっていくわけですが、私達はこのあたたかさを受け継ぎ、伝えていく必要があるのです。



2017年2月20日月曜日

今週ののぞみ寮 第17号

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 初めての試みではないでしょうか!?女子寮の合同礼拝が2月15日・16日の二日間行われました!この企画を知らされた女子寮の先生達は大喜び。みぎわ館・めぐみ館でパキっと別物になるのではなく、2つでのぞみ寮の女子寮としてもっと一緒にいろいろやっていきたいなぁと話していた最中の、礼拝委員M.YさんとS.Hさんからの提案でした。自分の館のやり方しか知らないのでは視野が狭すぎる。自分たち2人だけが訪問し合って体感してくるのも物足りない。一層のこと、全員で訪問し合って、体感しあって、いいとこ吸収し合ったらいいじゃないか!と企画してくれたようです。ありそうで、なかった「礼拝にお邪魔します。」は予想以上に和やかで温かい礼拝となりました。
 これまで過ごしてきた、その「過ごし方」はそれしかない訳ではありません。その「過ごし方」しか、してはいけない訳もありません。もっと良く、もっと素敵に、もっと温かく、もっともっと過ごしやすくしていけばいいのです。「これまで」に何もこだわる必要はありません。大切なことは大事にすればいいし、してほしい。でも、変えたらいいところはグッと大胆に変えていけばいいのです。みぎわ館にはみぎわ館の、めぐみ館にはめぐみ館の素敵な所がいっぱいあります。互いに訪問し合って、もっともっと交流し合って、もっとずっと暮らしやすい、素敵なのぞみ寮のみぎわ館・めぐみ館創りを、ここに暮らす寮生も寮務教師も一緒になって楽しみながら取り組んでいきたいと思えた素晴らしいひと時でした。第二弾、第三弾と続き、こういう事が当たり前になってくると嬉しいなぁ!

 

 

 

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 2月17日(金)の夜、友愛館で2年生を対象にセクシャリティ教育が行われました。セクシャリティ教育はのぞみ寮で大切にしている物の一つです。今回のテーマは、「妊娠・出産」。澤野先生が講師をして下さり、「君らが生れた確率ってどれくらいか知ってる?宝くじで10億円当たる確率の方がずっとずっとず~っと高いねんで!」と、今私たちがここに居る奇跡から話は始まり、12月に生れたばかりの堀越先生の長男のSくんがゲストとして登場。彼の登場に2年生達は大興奮。入場だけで「おぉ~!」と地鳴りのような歓声が……(そんな中、静かにみんなを見渡していたS君はかなり大物です!)。「抱っこしてみたい人~」と言われて、のぞみ寮生が手を挙げない訳がありません。「わ~!かわいい!」「わ~!ちっちゃい!」「あったか~い!」と感動の連続です。堀越先生から、妊娠を知った時の喜びや生まれてきた時の感想、今S君に思う事など聞かせてもらいました。話を聞く寮生たちの顔は真剣そのもの。その顔を見ていると、自分たちがいかに愛されてここに居るのか、どれだけ大切にされて今を生きているのか知ることができたのではないかと思います。そして、いかに生きるか、自分を大切にして生きるという事がどういうことなのか、そのヒントを大いに得られたのではないかと思います。
 あっという間に終わったように感じたセクシャリティ教育。学んだ事をしっかり胸に留め、一人ひとりがここでキラキラ輝いて過ごしていってほしいと思います。解散後、S君を抱っこしたい!の列ができたことは言うまでもありません(笑)。

 

 

 

 体験入寮に2年生のI.S君が来てくれました!2月19日(日)~24日(金)までの5泊6日大望館での体験です。19日の夕食からみんなと一緒に暮らし始めました。この夕食時は大望館2年生達が全員でI君を囲んでの夕食で、「ようこそ!」の気持ちを込めて、「かんぱ~い!」とお茶で元気に乾杯から始まりました(写真が無いのが残念!)。I君の体験入寮を心から喜んで迎えている大望生の姿は、見ているだけでもとっても嬉しいものでした。ウェルカムをしっかりきっちり表現できるのぞみ寮生、本当にステキだなぁと改めて思いました。

0017_09 もう一つ、この日の全体礼拝で2年生の男子が奏楽デビューをしてくれました。初めて全体礼拝でピアノを弾くのですから緊張して当然。本人曰く、「ガチガチ」だったそうです。始まった前奏は、つまづき、立ち止まり、弾き直し……本人的にも「あ~、やっちゃった…」と評価したくなるものだったようです。が、前奏が終わった途端沸き起こった大きな拍手。照れながらその拍手に応えた彼。ふっと心温かく、笑顔にさせてくれる瞬間でした。
 大きな拍手は「よく弾ききったぞ!」「それでいいぞ!」と彼を讃えているように聞こえました。きっと、いつもよりずっとできの悪かった奏楽に、緊張しているとはいえがっかり肩を落としかけた彼の心に力をくれた拍手だったのでは、と思います。礼拝後、彼に声をかけました。「弾いてるときは上手くできなくてわ~!と思ったけど、今は失敗もありだな。まぁ、いいかなって思えてる。」とのこと。「拍手が力になった?」と聞くと、「ふふふ」と照れていました。いろ~んな所で、のぞみ寮生って本当にステキです!

 

 

 

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0017_12 のぞみ寮内で猛威を奮っていたインフルエンザもいよいよ一段落しました。ホッとします。2月になった途端に始まったインフルエンザの猛攻撃。手洗い・うがい・マスク着用の徹底を促し、病人は別室で過ごしてもらい、毎日のように「体調悪い人いない!?熱は!?」と聞いて回り……。ようやく落ち着いた日常がやって来た感じです。ほつ。
 そして、2月の頭に企画されていた部屋替えが、2月の後半になってようやく全館完了しました。50回生を迎えるための部屋替えです。今からのぞみ寮では3年生を送り出す準備と、新入生を迎えるための準備を着々と進めていきます。あ~、みんなが元気って本当に嬉しい!



2017年2月17日金曜日

めぐみ館通信 2017年2月16日 第70号

これからの生活の中で  ~3年生が伝えてくれたこと~

 3年生が自宅学習期間に入って2週間が経ちました。3年生がどんなに頼りになる存在であったかをさみしさと共に感じています。
 3年生は冬休み前から、これからめぐみ館を引っ張っていく2年生たちへ、最後に自分たちの思いを伝えたいとミーティングの時を持ってくれました。冬休み明けも課題レポートの提出、定期テストの勉強に追われながらも、ミーティングを設け、2年生への思いを話し合う時間を何度も持ってくれました。2年生12名の一人ひとりの成長した姿と、これから伸ばしてほしい力をミーティングの中で確認していました。一人ひとりの成長を喜び合いながら話を進めていく3年生の姿勢には頭がさがり、2年生へ託す熱い信頼が伝わってきました。
 上級生に呼び出されることは、その言葉だけを聞けば“怖い”と思われる場合が多いでしょう。でも、この“呼び出し”は、愛あふれるものでした。3年生から伝えられるメッセージにうれしく涙する生徒が多くいました。側で見守った私も胸が熱くなりました。みぎわ館の小林先生がめぐみ館に入ってくださった時もこの様子を見守ってくださいましたが、2年生の表情から先輩たちの最後のやさしさを受け取ったことを実感し感動されていました。
 私は3年生とは2年間生活を共にしました。一つ一つのことをいつも丁寧に、慎重に考える学年だったと思います。活発に行動する学年ではありませんでしたが、いつもやさしさを持って物事を考える学年でした。自分たちの気持ちを一方的に伝えるのではなく、1,2年生も一緒に考えられるような投げかけをし、共に生活をする意識を持てるように考える3年生でした。共に考えていくことで、時間を労力もかかります。「自分たちは、やさしすぎたかもしれない」と言っていた生徒もいましたが、3年生が伝えてくれたことを、2年生一人ひとりがしっかりと受け止めて、これからの生活の中で活かし、後輩たちへ伝えていってくれることでしょう。今からどんな成長ぶりが見られるかとても楽しみです。
 インフルエンザの流行で心配した2月のはじめでしたが、流行もおさまりほっとしています。1年生はスキー教室、2年生は進路デイズを終えて、進級学年に向けての意欲も強まってきました。
 今年3回目の部屋替えも終えました。荷物も部屋替えの度に増えていますが、段取りよく助け合い引っ越しを進めていました。この新しい部屋で新1年生を迎える準備をします。新学期を迎えるために、これから1,2年生でミーティングを重ねていきます。上手く進まないことも多くあるでしょう。仲間と共に、誠実に向き合いながら、チームワークを深めていかれるようにと願っています。(小菅)

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2年生だけの特別な夜

 2年生にとってちょっと特別な3日間。1月末から自宅学習期間に入った3年生に加え、1年生もスキー教室に出かけてしまい2年生しかいない寮です。初日の2月8日は友愛館での鍋パーティーで美味しく温かく始まりました。調理師のみなさんが用意してくださったたくさんの具材を見て「わーい、肉だぁ。魚もある!」「え、これ全部食べられるのかなぁ」と盛り上がるみんなの目はとてもきらきらしていました。みんなでテーブルを並べて、コンロをセットして、お椀を運んで、と着々と準備が進められていきます。「うーん、このくらい?」控えめに野菜をいれていくみんなの姿を見た小菅先生から「もっと!もっとガッと!」と熱いご指導も入りました。もういいかな、食べごろかな?キムチ味にしたよ!うどん入れたよ。たまご入れたよ。雑炊できたよ。と誰かが鍋のふたを開けるたびに美味しそう!と歓声があがります。いつもよりも少しゆったりとした穏やかな夕食の時間になりました。全部食べきれるのだろうかという心配なんて必要ありませんでした。最後に残ったのはきれいに空っぽになった二つの大きなお鍋と、手作りシフォンケーキとアイスクリームという豪華なデザートまで食べ尽くしてぱんぱんになったみんなの大きなお腹と大満足な顔でした。
 鍋パーティーの後は、4館合同2年生全員で礼拝のときをもちました。お話をしてくれたのも生徒です。毎日同じ場所で、のぞみ寮で生活していても、他の館の人のお話をゆっくり聞く機会はとても貴重です。何より、直前までインフルエンザで苦しんでいた生徒たちも復帰し、めぐみ館の2年生全員で鍋を囲めたことが恵みでした。(村田)

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