2016年12月7日水曜日

めぐみ館通信 2016年12月3日 第66号

1年生ミーティングから 
 テスト期間前に行われた1年生ミーティングでのことです。
 隣から、悩んでいる小さな声が聞こえてきました。「うーん、でもなぁ」「どうしよ」「私たち1年生の(役割、仕事、生活態度など)できていないところを振り返ってみんなで共有しよう!」しっかりとテーマを決めて始めたミーティングでした。しかし、少しずつ集中力が切れ、ワイワイガヤガヤそれぞれ近くに座っている人と話をし始めてしまった仲間に対しての一言を発するかどうか、一人で葛藤している生徒がいました。
 どのタイミングで言おうか、もし自分の発言が場の空気を悪くしたらどうしよう、やっぱり心の中にとどめておくべきか。
 彼女のミーティングに向かう姿勢は、この数ヶ月で大きく変わりました。以前は、ミーティングへの参加そのものに対して後ろ向きで、やっと出てこれたとしても発言はおろか、ずっと下を向いて座っている、そんな状態でした。そんな彼女が私の隣の席で「ん゛―――」と、長いこと唸っているのです。
 私は、何かあるなら言ってみたら?の一言がつい出そうになるのを堪えて待つことにしました。しばらくして「は、はいっ」やっと彼女の手が挙がりました。「話がずれてきているから軌道修正しよう、この後予定がある人もいるから時間を大事に使おう」そう話してくれました。一瞬にして、場がしーんと静まります。「どうしよう、先生。空気悪くしちゃった」顔を強張らせてそう言う彼女に対して、周りから声がかかりました。「いや、こっちがごめん」「うん、ちゃんとやろう」みんなが静かになったのは、彼女の言葉が間違っていなかったからです。心に刺さったからです。私たち教師が注意することもできたのだと思います。さらっと、ちゃんとやろうよって。でも、なかなかミーティングに前向きになれなかった彼女が、悩んで唸って迷った後の、あのタイミングで言ったからこその言葉だったのだな、としみじみ思いました。(村田)

1203_me011203_me021203_me031203_me04

 

 

 

 

礼拝のお話

「支えられている私」    1年 S.C
 敬和に来て気づいたことをお話したいと思います。私は敬和生活を楽しみにしていました。最初は全くと言っていいほど、ホームシックになりませんでした。寮生活も楽しく過ごせていました。けれども夏休みが終わってから2ヵ月が経った時、だんだんホームシックになってきました。
 時が経てば経つほどホームシックは強くなり、10月中旬には親に「帰りたい。さみしい。地元のみんなに会いたい。もう疲れた。」と親にあたる回数が増えてきました。

1203_me05 最初は全然ホームシックがなかったため、正直親がいるありがたみ、親がどれだけ支えてくれている大事な存在であるか考えたことも、気づいたこともありませんでした。親が共働きだったので、こう見えても、皿洗い、トイレ掃除、家の掃除とか当たり前の仕事でした。そういう面では、ルールがあることを除いては、寮生活であまり苦労はしませんでした。私の中では、「自分のやるべきことは、自分でやるのが普通でしょ!感謝することなんて別に……」と思っていました。
 だけどホームシックになって私は、家族、教会で私に関わってくれる人たち、数少ない友達など、こんな私を思ってくれる人がすぐ近くにいたのに、それが当たり前になっていて、私を思ってくれている人がたくさんいたことに気づけませんでした。
 私の周りにいた人たちは、本当にいい人ばかりで、いつも私のために祈ってくれていて、私はとても恵まれていたなぁと思いました。家族の存在、数少ない友達、教会の人たちはとてもとても大事な人たちで、とても心強い存在になっていると今ははっきりと言えます。
 そのおかげで、ちょっとしたことではあまり落ち込まなくなりました。私と仲良くしてくれる人、私を思ってくれる人への感謝を忘れず、嫌なことがあっても、私を思ってくれる人たちの存在を忘れずに敬和生活を過ごしていきたいです。

1203_me061203_me071203_me081203_me091203_me101203_me11

 

 

 第4期テストを終えました。定期テスト毎の勉強へ向かう姿勢が真剣になっていることを感じます。自分のペースで一人でじっくりと取り組む姿、また仲間と同じテーブルを囲み互いに教えあう姿は何とも温かい雰囲気があり、側で見守る私もほのぼのとした気持ちになります。誰かが一方的にリードして教えるのでなく、分からないことは、分からないと教え合いをして理解できた時の喜び合いもにぎやかです。私も彼女たちの姿から、エネルギーをもらいます。私自身が引き出しに閉じ込めていた目標を実行していこうと思うこの頃です。(小菅)