2016年7月22日金曜日

光風館通信 2016年7月20日 第477号

< 寮体験プログラム >

 7月10日(日)から寮体験プログラムがありました。寮に興味を持っている通学生が約1週間だけ寮生活を送るというプログラムです。今回、申し込んでくれた通学生はY.N(2年)でした。バスケ部部長で元気いっぱいに学校生活を送り、光風生とも仲良しの彼なので、私が「Y.N君が寮体験プログラムに申し込んでくれた」と伝えたところ、歓声が上がりました。大盛り上がりした歓迎会でスタートし、寮体験プログラムを通して、彼はのぞみ寮生になって変わりたいと強く感じてくれたようです。
 夏休み明けには、光風館の仲間となります。彼が光風館に新しい風を吹き込み、仲間を大切にしながら力を発揮し、共に成長してくれることを願います。寮体験、お疲れ様!そして、入寮を楽しみにしています。

(片岡)

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「変わりたい」  Y.N(2年)新潟市中央区出身
 敬和に入学したのは、最悪だった。受験に失敗して、入らざるを得なかった。入学当時、学校が嫌いで仕方なかった。一年時は、たくさんの人に迷惑をかけ続けていた。そんな自分が二年生になって、少しずつ変化していると思う。他人から見たらごく普通の当たり前のことだが、毎朝スクールバスに乗り、授業をサボらずに参加するということだ。その日々の生活の変化や部活に対する考え方、立場も加わり、ここ最近とても力強く考えていることがある。それは「変わりたい」ということだ。家にいると甘えや逃げが簡単に出来てしまう。ケータイと共に生活して、家のことは親が全てやってくれる。そんな生活は嫌だ。変わりたい。自立したい。でも自分は、何かきっかけが無くては行動に移せない。
 そんな中、たった一つだけ「これだ!」と思ったことが入寮するということだ。1週間の寮体験を終えて、自分は変われると思った。確実に変われると思った。何もわからないまま体験が始まったが、同室のK.S君を始め、光風館2年生のみんながわからないことを教えてくれて、楽しいものとなった。
 僕は夏休み明けから寮生になる。誰とでも笑えて、自分の意見をしっかり持ち、意見を言える人間に変わりたい。そして、貴重な体験が出来る寮生活をたくさんの人と関わって、より価値のある充実したものにしたい。また、最後は敬和学園のぞみ寮光風館48回生のみんなと共に卒業したい。もうすでに感じ始めているが、きっとその頃には、さらに敬和を愛していることでしょう!

 

 

 

 

< 礼拝のお話 >

「敬和に行きたい」    Y.K(1年)長野県小諸市出身 
 僕の出身は長野県小諸市です。小諸は浅間山麓に位置し、坂が多く、自転車に乗る気力も失せます。あまり名が知られている市ではありませんが、「あの夏で待ってる。」と言うアニメの舞台になった市で、作品中には僕の通っていた中学校も出てきます。このアニメを知っている方がいたらぜひ、小諸に訪れてみてください。さて、こんな新潟とは何のかかわりも持っていない僕が、なぜわざわざ地元を離れて敬和学園に通っているのか、正直自分でも理由ははっきりとは分かりません。中学で高校のことを少し考え始めた当初は、「兄貴と同じ高校に行くのは嫌だ」という、今考えていれば理解し難い程意味不明な妙なプライドを持っていました。しかし、身内に敬和生がいるので、多少たりとも敬和のことは意識していました。妙なプライドが消えたのは、兄が敬和に通い始めてまだ月日が経過していない時だったと思います。夏休みなどで家に帰ってきた兄がするのは、必ずと言っていい程、学校の話ばかり。何度も同じような話を聞かされたりもしましたが、そのときの兄はどことなく生き生きしていました。その楽しげな姿を見て、プライドは消え去りました。家族と離れるということも関係無しに「敬和に行きたい」と思いました。それなので、敬和に来た理由を挙げるとしたら、敬和生である兄の言葉に突き動かされたといったところでしょうか。しかし僕は今、理想とは全く違う現実の学校生活に多くのストレスを受けています。ですが、今この場所にいるのも、神が導いてくださっていることだと思うので、今直面している問題と向き合い、ひとつずつ解決しながら過ごしていこうと思います。

 

 

 

 

 

「自分探しはこれから♪」    Y.Y(1年)新潟市西区出身 
 僕は中学生の時、ソフトテニス部に所属していました。ソフトテニス部ではペアと共に協力する大切さを学びました。もうひとつの思い出は合唱祭です。みんなでダメなところを指摘し、みんなで団結して優秀賞を取ることが出来て、最高の合唱際となりました。
 学校や寮でいつも明るくて変なことばかり言っている僕ですが……敬和に来た理由は、いつもだらしなく、親に頼ってばかりいる甘い自分を直し、自分のことは自分で出来ることや人のことを思いやれる優しい人間になりたいと思ったからです。敬和で期待することは、卒業する時に敬和生活は楽しかったことや敬和に来てよかったと思えることです。

 

 

 

「名護を見る私」    Y.N(1年)名古屋市昭和区出身
 私の名前である「N」という名前を持つ人はほとんどいないと思います。私の知る限り、Nという人は他に2人しかいませんし、面識もありません。この珍しい名前の由来は3つあります。1つ目は読んでそのままで、2つ目は「平和な海のように」で、3つ目は「名護を見る」です。3つ目には説明が必要です。「名護」とは沖縄本島北部の市の名前です。名護市には、時々話題になる辺野古があります。辺野古は、この20年間米軍基地移設問題の舞台となっています。16年前、私の両親は「名護、特に辺野古が平和になる様子を見てほしい」という意味でこの名前をつけました。
 私が敬和に来た理由ですが、敬和への進学を決めたのは中学1年の夏でした。当時、私は中学生活にギャップを感じ、ストレスを抱え、体調を崩しがちでした。そんな中、敬和の夏のオープンスクールに参加しました。ランチや模擬授業、寮見学、声楽部の演奏に参加するうちに、敬和に入ろうと思いました。そして、今ここに私がいます。