2016年7月5日火曜日

のぞみ通信 2016年6月29日 第220号

寮生リレー(129回)

 今月号は、フェスティバルで中心的な働きを担ってくれた各館の寮生に原稿を依頼しました。

 

 

全力投球、悔いはなし

合唱チーフ:M.Y(めぐみ館3年 兵庫県姫路市)

 私は大雪連合の合唱チーフをしました。声楽部に入っているので、120人という大人数をまとめるのは初めてでしたが、根拠のない自信がありました。音楽のことも少しは分かるし、大丈夫だろうと思っていました。今考えると、何て浅はかだったのでしょう。
 そんな私はただぼんやりと、練習を進めていきました。音とりの時点では、順調でした。音とりを始めたのも早かったですし、何より言葉で説明する必要がなかったからです。しかし、合わせになると状況の雲行きがだんだん怪しくなっていきました。音とりがいい加減な部分があったのか、不安定になり、音の縦が合わなくなるという一つ目の壁にぶちあたりました。
 そして、大人数のやる気をそがずにどうやって伝えるか、言いたい事がまとまらないのに発言してしまい、皆を困らせてしまうこともしばしばありました。二つ目の壁でした。
 そんな時助けてくれたのが、声楽部の友達や総合チーフさんでした。私が伝え方で行き詰ってしまうと、必ず私が考えていることを代わりにわかりやすく伝えてくれたり、男子がうるさくて私の指示が通らないときは大きい声を張ってくれたり……本当にたくさん支えてくれました。
 そして、私はこの経験から、わかりやすい伝え方を思案しました。ある友達が「擬音語でも伝わればいいんだよ!」とアドバイスをくれました。その言葉は私の胸に突き刺さり、早速実践してみました。無理やり自分の苦手な言葉で伝えるより、体と声で表現する方が私には向いていると思ったのです。私の体を大きく使った表現や、実際に歌って見せることで、連合のみんなも興味を持ってくれるようになっていきました。
 順位はいまいち振るいませんでしたが、自分にできることを全力投球したので悔いはありません。
 このように、かなりもがき苦しんだ結果、他人を頼ることの大切さを強く実感しました。今までは、プライドが許さなかったのですが、フェスティバルではそんなものは吹き飛んでしまったかのようになくなり、たくさんの人に支えてもらいました。
 自分一人ではうまくいかないことも、他の人の知識を総動員すれば必ずうまくいきます。ネガティブに考えるのではなく、「自分にできることと、他人にできることは違う!」と割り切って、今自分にできることを精いっぱいやろうと、思考の切り替えを早くすることができました。
 完璧人間なんか絶対いません。自分にできることは何かを考え見つけだし、それを最後まで全うする。私はこの思い出深いフェスティバルで人の前に立つ難しさ、人を動かすときの判断の的確さをたくさん吸収することができました。
 これからも部活などで人をやる気にさせることが重要になってくると思いますが、その中でどう自分らしくいられるか考え、実行していきたいと思います。

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儚くも美しいパネル

パネルチーフ:Y.Y(大望館3年 長野県小諸市)

 パネルというのは“連合の姿”を魅力的に映し出し、そしてたった一日しか姿を見せない儚いものです。最後のフェスティバルはパネルチーフを務めました。パネルが設置されるまで、様々な人が協力してくれました。そして素晴らしい結果を残すことができたのも、多くの支えがあったからです。僕は人をまとめるのが下手ですし、テキトーなチーフだったので1,2年生やクラスの人達を困らせてしまったかもしれません。それでも携わってくれた皆は仕事をこなしてくれ、本当に感謝しています。
 フェスティバルは一瞬にして終わりました。もう二度と戻れない。しかし大事なのは、フェスティバルを成し遂げたという事実と、それまでのプロセスだと思います。きっとそれが、今後の糧になるのでしょう。
 美術教師の指摘に反抗して怒られたあの日。桑田佳祐を聴きながら一人で作業したあの暑い休日。時間を見つけてクラスメイトが来てくれたあの時。後輩の女の子からお菓子をもらったこと。パネルが設置された時の感動。そして、賞状を手にしたあの瞬間。どの出来事も、形はどうであれ今後の僕に何かヒントを与えてくれるはずです。多くの人の協力で成り立つあの赤いパネルは、儚くも美しいものでした。

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競技を通して心を一つに
競技チーフ:S.R(大望館3年 神奈川県足柄上郡)

 選抜リレーでゴールしたとき、言葉では表現しきれない感動につつまれました。その時、富士連合のスタンドは盛り上がり、気がつけば連合のみんながアンカーを胴上げしていた。
 私はこのフェスティバルで競技チーフになりました。主な仕事は競技決め、順番決め、競技の進行の手伝いです。力をいれた競技は選抜リレーでした。
 私は1つ大きな決断をしました。一番プレッシャーのかかるアンカーを後輩に託したのです。最も信頼している後輩の一人である彼はアンカーを引き受けてくれました。ですが気持ちの中ではアンカーは荷が重い、などと不安が募っていました。でも彼を信じることにしました。
 ついに最後の競技選抜リレーがやって来ました。メンバーで円陣を組み、競技に挑みました。アンカーにバトンが渡るときは1位でした。そのままゴールしました。私は目に涙を浮かべながら彼と選抜リレーのメンバーにありがとうと言いました。感謝の気持ちでいっぱいでした。
 自分が出てない競技でも自分のことのように喜び胴上げしている姿を見て、最初はバラバラだった連合が競技を通して1つになれたのを実感した瞬間でした。9競技中6個1位で競技部門1位を獲得しました。女子の競技チーフに、多くの人に、チーム富士連合に支えられてると改めて感じました。

 

 

 

 

代えがたい経験
衣装チーフ:K.K(光風館3年 新潟市)

 私は今回、六甲連合の衣装チーフを務めました。しかし、私の中では最初で最後の衣装チーフを完璧に出来たとは、全く思えません。なぜ完璧に出来なかったと言うと、私は最初、衣装チーフになるつもりはありませんでした。
 クラスには衣装チーフの才能をもった二人の女子がいたし、私は服を作ったり裁縫をしたりするのは得意ですが、服のデザインを考えるのはしたことがありませんでした。なので、その女子二人が衣装チーフになるんだろうなと思っていました、しかし、片方の女子が衣装チーフをやらない事になってしまい、「じゃあ私もやってみようかな」と思い、立候補しました。しかし、私はその時、衣装チーフの大変さを少し甘くみていました。そして、フェスティバル準備期間に突入して、まず大変だったのが総合チーフの衣装デザイン決めでした。
 六甲はテーマが少し曖昧に決まってしまい、テーマにあった衣装を考えるのがとても大変でした。服の本を読んで考えましたが、デザインを考えたことがない私は、殆ど女子衣装チーフに任せてしまい、とっても迷惑をかけてしまいました。しかし、女子衣装チーフはとっても衣装の才能がある人でカッコイイ総合チーフの衣装を考えてくれました。
 衣装を作成し始めて、最初はどうみんなをまとめていいのか分からず、私はほぼ1人で作業していました。そんな中、女子衣装チーフがみんなをまとめてくれて、私も少しずつチーフの仕事に慣れてきました。それでも私はフェスティバル期間中は毎日お昼も食べずに作業していました。それでも衣装が完成したのはフェスティバル前日の夜でした。私は自分の無力さを感じました。それに衣装の結果はあまりよろしいものではなく、とっても残念でした。
 しかし、今回の最後のフェスティバルはとっても楽しかったし、この経験は何物にも代えがたいもので、これからの自分の人生の糧になると信じています。

 

 

 

<想い出のひとコマ>

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周りの人たちの優しさに心打たれたフェスティバル

総合チーフ:T.S(みぎわ館3年 栃木県益子町)

 校長先生は行事の際に、「敬和は行事が多いのではなく、行事にかける時間が長いのだ。」とよく話す。その時間が最も長いのが敬和最大の行事「フェスティバル」だと思う。
 フェスティバルは、私が敬和に入学する動機の一つであった。オープンスクールで見たチーフの方々は頼もしく、格好良く見え、まだ中学生だった私の憧れとなった。それから3年が経過した今年、私は念願の総合チーフを務めることになった。その喜びはとても大きく、フェスティバルへの大きな期待を抱いていた。
 しかし、準備が始まるにつれて、その感情は不安に掻き消されていった。自分が思い描いていたように事が進むことは殆ど無く、私は自信を失った。だが、そんな弱音を吐く暇も、悩む暇さえも無く、ただ必死に毎日を過ごしていた。
 そんな長い準備期間を終え、やっとの思いで当日を迎えた。不安と緊張ばかりだったが、どの発表も楽しかった。勿論、全てが満足のいくものではなかったが、努力の成果を発揮することが出来たと思う。そして、周囲の人々の優しさに心打たれ、多くの人々の「楽しかった。」という言葉に大きな喜びを感じた。
 毎年、校長先生はこうも言う。「敬和は想い出づくりのために行事をしているのではない。学びの一環としているのだ。」と。私は今回のフェスティバルで多くのことを得、大きく成長した。敬和に来て、これまで頑張って本当に良かったと思う。そして、こう思えたことに感謝し、これからに活かそうと思う。

 

 

 

小さな気遣いができる自分に

フェスティバル本部:O.N(みぎわ2年 新潟市)

 私はリーダーに立候補したり委員会に自ら入ったりするほど、積極性がある人ではありませんでした。そんな私が、フェスティバル本部に入ろうと思ったきっかけは、1年生のフェスティバルで、連合にテキパキと指示を出したり準備期間中にクラスをまわって「明日も頑張ろう!」と声をかけたりしていた本部の方々の姿を見たからです。「かっこいいなあ。ああなりたい!」と思いました。
 しかし、思っただけでは本部に入る勇気はなく、仕事を上手くこなす自信もないし、指示を出したり人前に立ったりするのは苦手。「こんな私にできるのか。」と不安でずっと悩んでいました。そんな時、去年の本部長をやっていた先輩に、「本部に入るか悩んでいるんでしょ?大変だけどとてもやり甲斐があるし、楽しいから絶対に入ったらいいよ。」と背中を押され、本部に入ることを決意しました。
 本部に入って最初は、渡されたフェスティバルの規約も説明される各部門のことも全て難しく、「私には無理だ。どうして入ってしまったんだろう。」と弱気になり、入ったことを後悔してしまいました。しかし、日が経つに連れて忙しく、厳しいこともたくさんありましたが、少しずつ本部がとても楽しく感じ、充実してきました。それは、仕事にやり甲斐を感じ、何より本部の先輩方が「いつもありがとう。」と声をかけて下さったからだと思います。
 本部をやることで私の中でいくつか変わったことがあります。それは小さな気遣いができるようになったことです。出しっぱなしのペンを片付けたり、机の上のファイルや書類を整えたり、いつでも綺麗にみんなが使いやすいようにと心掛けることを学びました。それは寮でも同じで、今まで「面倒臭い、誰かがやってくれる」と見て見ぬふりをしていたことも、進んでやるようになりました。
 本部の活動を通して、私は大きく成長出来ました。「やってよかった。」と、心の底から思います。そして、常に支えて下さった先生方や先輩、友達に感謝しています。ありがとうございました。

 

 

 

《のぞみ寮物産展へのたくさんの献品、御礼申し上げます!》

 6月11日、フェスティバル2日目に行われた『のぞみ寮物産展』は、皆様の御協力のおかげで大盛況のうちに終えることができました。ありがとうございました。
0629_no12 今年は沖縄のソーキそばから北海道と言えば!の銘菓まで、そして寮生の保護者の方が心を込めて作られたお米や野菜までが並びました。すべてを紹介したいほど、本当に全国各地からたくさんのバラエティに富んだ名物品が届けられ、値付け・陳列の段階から私たち寮務教師が楽しませて頂いたほどでした。来場下さった方々に喜んで頂けたのは、言うまでもありません。
 そして保護者の方々の想いも商品と一緒に届けて頂いたように感じます。日々祈られ、支えられながらのぞみ寮教育をさせて頂けていることを、改めて痛感しました。感謝です。

 今年度の『のぞみ寮物産展』の売り上げは29万5千円でした。この売り上げは、“敬和学園50周年記念事業”のために学校に献金させて頂きます。重ねて、感謝申し上げます。ありがとうございました!

 

 

 

【編集後記】

 フェスティバルでは、チーフの役割を担ったのぞみ寮3年生が多くいました。本番を迎えるまでの日々は、悩み、壁にぶつかりながら葛藤しながら取り組んでいる姿を多く見ました。
 先輩の背中が伝えてくれるもの。真剣に取り組む姿は、1,2年生へもしっかりと受け継がれていると感じます。「来年は○○チーフ!」「ダンスにチャレンジする」等、来年のフェスティバルに向けての意欲も聞かれます。頼もしいです。3年生はフェスティバルを終えて、心地よい疲労感を癒しながら静かな時の流れの中、進路に向けて次のステップに歩みを進めています。

 部屋替えを終えました。新しい部屋での生活の中で、新しい出会いに感謝して成長できるように願っています。
 夏休みまでひと月。第2定期テストに向けてテスト勉強への意欲を見せる寮生の姿が目立ってきました。
 フェスティバルでは、たくさんの保護者の皆様と交わりの時を持てました事を感謝いたします。また、のぞみ寮物産展へ心のこもった献品頂きありがとうございました。

めぐみ館担任 小菅 真子