2016年4月4日月曜日

のぞみ通信 No.217(2016年3月23日)

「神の恵み無限」                    寮長 信田 智

 3年生の誕生日カードには、大体「神の恵み無限 可能性無限 主が共にいます」と記してきた。私達は、誰か傍にいてくれる人を必要としています。幼い頃は、母親であったり、家族であったりする。年が進むと友達が、やがて人生の伴侶を求めるようになる。皆大切な存在ですが、その大切な人も失われることがある。しかし、その時においてさえ、なお決して失われることのない人生の同伴者がいてくれたらどんなに心強いことか。

 皆さんは、敬和での3年間、そして、のぞみ寮で共に過ごした寮生活を通して、その心強い人生の同伴者に出会っているのです。ぜひ、心の目を開いてみて下さい。苦難や絶望の淵に立たされたとき、誰に助けられて来たか。友達、親、教師、恩師であったりするかもしれない。しかし、心の目を開かれてみると、そこに主イエス・キリストが共にいてくださり、万事を益と変えてくださったのだと思えませんか。

 私にはそのようにしか思えない場面がしばしばあった。学生時代アルバイトをしていた時、一歩間違えれば死んでいたかもしれない経験を何回かしてきた。一番大きな出来事は、電車を止めてしまったことです。線路の下に環状7号線の道路を通す工事に関わっていた時、線路の上から、下の作業員に大声で必死に連絡をしていたのだが、何かピーピー音がしたので、ふと顔を上げてみると、なんとそこには大きな電車の車輪がドーンとあり、先の方で、運転手が顔をだし、「バカヤロー死にたいのか」と大声で怒鳴っていた。

 心の目を開かれてみると、主イエスが、私に代わって十字架の上で血を流し、私の命を救ってくださったのだと知らされる。あの時も、この時も、いずこにも、主が私に代わって血を流された御傷の跡を見ます。私は、主の御傷によって救われ、癒され、生かされてきたのです。たとえ私たちが無力な者、取るに足りない者、無きに等しい者であったにしても、私たちの内には、主イエス・キリストが共にいてくださり、折に合う助けと力を与えてくださるのです。実は、私たちは弱い時にこそ強くなれるのです。なぜなら、キリストの十字架の愛、復活の力は私たちの弱さの中にこそ働かれるからです。

 皆さんがこれから出ていく社会、これから過ごしていく時代は、ますます混迷を深めていき、途方に暮れるような経験をしばしばすることでしょう。しかし皆さんは、神の無限の愛に守られ、神の無限の可能性の中で育み育てられてきたのです。その恵みをしっかりと心に留めて、困難に立ち向かっていってほしい。

 十字架と復活の主イエスが、私達と共にいてくださるならば、私たちがどんなに絶望し、行き詰ったとしても、その暗黒を切り裂き、その先に希望の光が差して来る。絶望の先に、復活の希望が備えられていること。これに勝る希望があるでしょうか、これに勝る勝利があるでしょうか。これに勝る恵みがあるでしょうか。復活の主がわれらと共におられるなら、神の恵み無限、可能性は無限。      

2016・2・29寮修了礼拝より

 

 

 

のぞみ寮修了礼拝より 

修了生代表挨拶   S.E(光風館3年:兵庫県出身)

 私は、この寮生活の中で光風館のブロック長をさせてもらいました。その中で、私はほかの館のブロック長の中でも、一番苦労をしていないと感じています。というのも、私はほかの館のブロック長が経験したような行事などに対して準備が上手くいかないことや、話し合いが上手くまとまらないなどの苦労を比較的してこなかったからです。それは私たち光風館46回生の仲間たちが協力してくれたからであり、それらのことは私たちの強みだと思っています。しかし、それは裏を返せばブロック長の仕事が少なかったということであり、また自分自身の存在意義について私は常に考えさせられてきました。
0323_01 私はもともと、あまり人の前に出るようなタイプではありませんでした。中学時代やそれ以前も特に目立ったことはしてきませんでしたし、むしろそれらのことを避けてきた節もありました。なので、昔の自分からは、今の自分は考えられないと思います。
 ではなぜ、そんな私がこうして今に至るかというと、きっかけは簡単で、ある先輩に「副ブロ立候補しなよ。俺は応援するから」と言われたことでした。みんなの役に立てたら凄いと憧れてはいましたが、自分がなろうとは思っていなかったので、先輩にそう思ってもらえていることに喜んでしまい、柄にもなく立候補してみようと思いました。
 ところが、私が副ブロック長に立候補した時、ほかに三人もの立候補者がいました。一人はとても賢く、一人はとてもコミュニケーション能力が高く、一人はとても真面目で演説がとてもうまい人でした。そんな中、私は準備をしていなかったので、演説もうまくいっておらず、あまり手応えはありませんでした。ですが結果は自分が当選しており、喜びよりも驚きのほうが大きかったことを覚えています。しかし、その日の夜、ある先輩が私の部屋に来て、「俺はお前に入れてない。俺はお前なんかじゃなくてあいつがよかった。」と言い残し、去っていきました。この時、この言葉によって私の中にあった自信はほとんど失われ、そのあとから常に自分の在り方について考えさせられてきました。
 例えば、光風館みんなで何かを作り上げる時、ミーティングをするとアイデアを出すのは大抵、私ではありません。また何か決めたことを実行に移す時、その先頭で人に指示を出すのも、大抵は私じゃない誰かです。それは合唱の練習であったり行事だったりと様々ではありますが、前に立って周りを仕切っていくのは私ではない誰かということが多かったです。そんな時に私は、副ブロック長になった時に言われた「俺はお前なんかじゃなくてあいつがよかった」というあの一言を思い出して、やはりブロック長は私ではなく違う誰かのほうが良かったのではないだろうか?と悩んできました。
 そんな風に悩み続けながらも、何とか三年生を終え、ラストメッセージの時期になりました。私はその時、同じ光風館の仲間の話や自分の敬和生活を振り返り、あることに気付きました。それは自分が常に仲間の後ろを歩いているということ。そして、その常に仲間の後ろを歩いていることが、自分の寮の中での役割だったということです。私はいつも周りから遅れていると感じていました。しかし、周りを少し後ろから見ていることで、遅れている仲間に気付くことが出来たり、また先にトラブルがある時にそれを避けたりすることが出来るということに気付きました。私にとって、自分の前に人がいることがコンプレックスでしたが、今ではそう悪いものではないと思えています。今、このことに気付けたことは、私が敬和に来て得たものの中で一番大きなことだと思います。
 一・二年生のみなさん、敬和は自分探しの学校ですが、それは最後になるまでどのような形になるか分からないモノだと思います。また、敬和にいる間には上手く見つからないかもしれません。ですが、ここでの経験、特に寮生活は私たちに多くのモノを与えてくれます。そして、その寮で得られるモノのきっかけは全て仲間です。仲間ありきの経験ですし、同じ経験をする仲間ありきの寮生活です。だから今、隣にいる仲間を大切にしてください。仲間のために行動してください。そうすることで寮生活はより良いものになっていくと私は思います。寮で得られるモノなんて無いと思っている人もいるかもしれませんが、卒業後もいつまでも残っているモノは、人との繋がりだと思います。
 最後に、これほどの出会いや経験を積ませてくれた両親、また、敬和での生活を支えてくれた先生方、そして一緒に生活して私にたくさんのことを教えてくれた46回生のみなさん、本当にありがとうございました。

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保護者を代表して   I.E様(めぐみ館3年 I.H母)

 3年前の入寮礼拝の前日に、私と娘は新幹線で東京駅から新潟に向かいました。私達母親子は希望をもって新潟に向かっていましたが、その反面、どの親もそうですが、私は娘が大好きですから、その娘と離れ離れに暮らすことが寂しくて、半分泣きたい様な気持ちだったことを思い出します。

 入寮礼拝では校長先生が「これから山あり谷あり谷ありです」と話しました。「そうか、山ありだけど谷あり谷ありなのか。」と更に泣きたい様な気持ちになった私をよそに、娘は同室の2年生と3年生の先輩に「待ってたよ~!」と温かく迎えられ、めぐみ館に入っていきました。「もう帰って大丈夫だよ。帰っていいよ。」と娘にあっさり言われた私は、同室の先輩に「よろしくお願いします。」と言って新潟をあとにしました。この時ほど「よろしくお願いします」と本気で心の底から思ったことは50年ちょっとの人生の中で初めてだったかもしれません。そして、実際に3年間の寮生活は山あり谷あり谷ありだったことでしょう。

 ある時、小西校長先生が「敬和の教師は絶対的な存在ではなくて、教師も神様の前で許して頂きながら育つ存在だ」と言われたことがありました。寮の先生方は毎日の生活の中で、神様の前で子ども達と同じ人間として、子ども達にかかわってくださりながら、子ども達を大切にしてくださり、時には厳しく導いてくださいました。親がそばにいてしてやれなかったことを先生方がしてくださったと心から感謝いたします。

 娘は小学6年生の時に、理不尽だと感じた小学校のある先生につまずいて、中学3年生までほとんど学校に行きませんでした。その後の3年間の敬和での寮生活の中でも様々な葛藤やつまずきが無かったはずはありません。しかし先生方や寮生の皆さんに支えられながら乗り越えられたことが多かったのだと思います。受け入れられることをたくさん経験し、受け入れることもたくさん経験したのだと思います。これからの人生でも、小学6年生の時の様に本人にとって受け入れがたい人に必ず出会うと思いますが、3年間でののぞみ寮での生活が必ず彼女の自信と力になると思います。小学6年生の時の様に、そのことでつまずき倒れ込んでしまうことにはならないような気がしています。

 先ほどお話しました入寮礼拝で校長先生のにあった「山あり谷あり谷ありです」とのお言葉には続きがありました。「山あり谷あり谷ありですが、3年後に必ず成長してお返しします。」と先生は仰いました。本当に、3年間で娘は大きく成長させて頂きました。小学6年生から中学3年生まで学校に行かずに、毎日家で当時のAKBや嵐のビデオを見て踊ったり漫画を読んだり、一人ぼっちで喜怒哀楽を表すことなく過ごした娘は、敬和の3年間で本来の自分らしさを取り戻しました。よく笑いよく泣く姿を見ていると、小さい時の本人に戻った様だとも感じます。

 私はもう寮祭や保護者会、語ろう会などでのぞみ寮に保護者として来ることがないのだと思うと寂しい限りです。のぞみ寮を訪ねる度に、いつもお優しい笑顔で「遠くからよくいらっしゃいましたね」と迎えてくださった信田先生ありがとうございました。のぞみ寮にお預けした娘は神様が引き受けてくださっているのだという事を先生を通して感じることが出来て、平安を得ることができました幸いに感謝しています。

 先生方、毎日美味しい食事を作ってくださった友愛館の皆様、そして寮生のみなさん、3年間本当にありがとうございました。皆様に感謝しつつ、保護者代表の言葉とさせていただきます。

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退任者挨拶

「のぞみ寮での学び」  めぐみ館担任 会田咲

 今年度を持ちまして寮務教師を退任し、敬和を離れ、新たな生活へと向かうこととなりました。3年間という短い時でしたが、寮生達と過ごさせて頂く中で、寮生がもがきながらも目の前の仲間に向き合い続けようとする姿を通して「共に歩むこと」を教えてもらいました。
0323_06 目の前の相手に心を傾けるということがどういうことなのか、そして人と向き合うことが同時に、自分自身を問われていたということを感じています。時に寮生のみんなの想いをくみ取り切れず、自分のふがいなさを思い知らされることもありました。しかしいつも必ず、すぐ近くに寮生のみんなの笑顔や支えがあり、保護者の方々の想いや信頼に触れ、その度に「今、自分がこの一人一人のために出来る精一杯をしていこう」と決意しながら歩んでくることが出来ました。
 寮長はじめ共に働く寮務教師の方々の、どんな時でも投げ出さず、ユーモアあふれる姿にも多くのことを学びました。厳しく真剣で、しかしとてもあたたかい環境で働かせて頂いた幸せを思います。私は敬和学園ののぞみ寮で、自分の弱さをごまかさずに仲間を信頼して助け合うことを学びました。
 のぞみ寮のみんなは、人の心に「幸せ」を灯りの様に灯らせることのできる人であり、またその幸せを大切にできる人たちだと感じています。人の幸せを喜べる皆さんの心の素晴らしさを感じています。ここでの皆さんとの日々は、私の一部であり、一生の財産です。大切で愛おしい存在を、こんなにもたくさん私に与えてくださった神様に感謝してもしきれません。
 ここでの学びと出会いを大切に、これからも更に自分を磨き、周りのために力を用いていこうと思います。保護者の皆様、本当にありがとうございました。
 たくさんの出会いと発見がある敬和学園ののぞみ寮。一人ひとりにとって、新しい良い春となりますように。いつでもどこからでもお祈りしています。

 

 

 

「寮務教師退任にあたって」  みぎわ館担任 榎本かな

 みぎわ館の私の窓からは、「敬和の森」が一望できます。春近づいているこの頃は小鳥のさえずり。夏、秋、冬、四季折々に私たちの目を楽しませてくれています。また、校内には、若者のはつらつとした声が響いています。
0323_07 私が、この敬和学園そしてのぞみ寮に来たのは、ちょうど8年前、40歳になる頃でした。これまでは、寮務教師として、成長期の最終段階である青春期の育ちのサポートに立たせて頂きました。寮生の素晴らしさを一番に間近な所で喜び、多くの学びをし、「のぞみ寮」で敬和の教育の真髄の1つの柱に出会い携わる事ができました。来年度からは学校で労作の授業を持つことになりました。寮生との交わりは寮務教師としてではなく、教科の教師として関わりを持つことになります。
 「寮教育」に携わらせて頂き、何よりも、寮務教師として、それを実現できたのは、すべての寮生、特にめぐみ館、みぎわ館で暮らしを共にした人たち、言い尽くせない感謝の気持ちで一杯です。
 これからも、現場はちがいますが、同じ敬和学園の中で「敬和の教育」「敬神愛人」を実現する者として、祈りつつ歩んでいきます。
 神様の御心がありますように!!

 

 

 

 

「お別れ挨拶」  寮長 信田 智

0323_08 25年間宗教主任一筋に歩んできた私にとって、13年前、榎本前校長と小西新校長から、寮長になるようにと言われた時は、本当につらかった。しかし、素晴らしい仲間に恵まれて、一緒に寮の仕事をしていくうちに、寮がとても楽しく、何か自分に合っているところのように思えてきました。初代校長太田俊雄先生の考えておられた、「無意図的教育」の実践こそが、寮教育の中にあったのです。
 のぞみ寮は、敬和教育の大黒柱です。寮生が、自分たちが敬和を支えているのだと言う、誇りと自信をもって寮生活を送ってほしいと願っています。また、のぞみ寮で身に着いた「自主・自立・自制・思いやり」の生活習慣は、これからどこで生活していくにしても、大きな力になっていくと信じています。
 自分の弱さ、だらしなさをごまかさず、自分と闘い、自分を高める努力をしていかれるように、寮務教師はしっかりサポートしてくれると思います。
 38年間の敬和での生活、保護者の皆様のお支え、お交わりを感謝致します。

栄光在主

 

 

 

フラッシュ・モブ

 3月13日の日曜日、その日は信田寮長にとって、のぞみ寮での最後の全体礼拝となりました。寮生はひそかにその日に向けて、寮長の“のぞみ寮修了”を祝うため、卒業礼拝で歌う「ハレルヤ」を練習していました。練習しているところを寮長に見られないように、体育館で練習したり、各館で手紙を準備したり、これまでの感謝を込めて、寮生全員がコソコソと準備してきました。
0323_09 当日は夕食に寮長夫人を招き、寮長の好物である“ひつまぶし”が予定になかったんですが、厨房の計らいで振舞われました。最後の晩餐を共にした後、全体礼拝が行われました。礼拝後「後ろから解散してください」といつもの声がかかり、一度は寮生全員が席を立ち、会場を去ろうとしましたが、どこからともなくハレルヤを歌う歌声が聞こえてきます。その声は一人から二人、二人から10人、10人から2年生全員、そして最後には寮生全員の大合唱となり、38年の敬和学園の働きを全うされた、信田寮長の敬和学園卒業とのぞみ寮修了を祝う歌声となって、その時間を共にする事ができました。
 この様なハッピーサプライズを「フラッシュ・モブ」というみたいですが、そのアイデアとそれを実行に移す行動力。そして何よりも心のこもった素晴らしい歌声に、のぞみ寮生達の力を感じてなりませんでした。
 みんなで声と心を合わせて送り出す姿に、こみ上げてくるものがこらえきれなかったのは私だけではなかったと思います。

男子寮務教師 澤野 恩

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 早くも年度末を迎えています。保護者の皆様が敬和学園のぞみ寮をお支えくださったこと、心から感謝します。

 寮生ひとり一人にとって1年という時間の経つスピード感は、全く違います。この1年が楽しくて仕方なく時が経つことを早く感じた人、悩みが絶えず苦しく遅く感じた人もいることでしょう。また、この1年を振り返った時に満足いく人も「自分はもっともっとやれたはずだ」と感じている人もいることでしょう。しかし、この1年が全ての寮生にとって、大切な1年であることに変わりありません。

 入寮当時、ガチガチに緊張して笑顔がぎこちなかった48回生も今となっては、たくさんの笑顔を見せたり、時には涙を見せたりしています。自分の感情を素直に表現出来るのは、自分を受け入れてくれる仲間の存在を信じているからだと考えています。そのような信頼関係を築いてきたからこそ、この1年で大きな成長と変化を感じているのです。

 47回生は大きな支えとしていた46回生を送り出し、不安な人もいるかもしれません。しかし、そのプレッシャーを跳ね返すように、たくさんの寮生がグッとしっかりとしてきた表情を見せています。彼ら・彼女らの表情や姿勢を見ていると、「次はどんな活躍をしてくれるのだろう?」と楽しみで仕方ありません。

 これからもひとり一人と向き合い、喜びも悲しみも分かち合い、共に成長していきたいと考えています。来年度もどうぞよろしくお願いいたします。

                               光風館担任 片岡自由