2016年3月3日木曜日

光風館通信 第467号(3月1日) ◇◆◇46回生卒寮記念特集号◇◆◇

「自分の心の中にある宝箱」            片岡 自由(光風館担任)

 今日は「宝」について話したいと思います。みなさんは「宝」と聞いて、どんなイメージを持ちますか?ほとんどの人はお金を考えると思います。ほかにも部活をしている人はスポーツ道具や楽器なども宝として、大事にしていると思います。僕の場合はお金やスポーツ道具はもちろんですが、一番の宝は友達や家族です。なぜかと言いますと、友達や家族はかけがえのない大切な存在だからです。たとえ離れていても心は繋がっていると思います。

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 これから3年生は、高校卒業後ひとり一人が違う大学に行き、離れ離れになります。前にもお話しましたが、僕にとって光風生全員が家族なので、離れていても家族との絆がある限り、その繋がりは永遠に切れないと僕は思っています。ですので、僕はこれからも僕の宝を大切にしていきたいと思います。

 

 2・3年生のみなさんは、このお話を憶えているでしょうか?このお話をした彼は、当時2年生。自宅学習期間を控えた3年生である45回生を応援し、「友達・家族・光風生全員が自分の宝である」と、熱い想いをストレートに伝えてくれています。私は、この場で話している彼の姿を忘れることが出来ません。当時2年生だった彼のお話の中には、寮務教師としての私が伝えたい想いが凝縮されています。

 今日、46回生のみんなに伝えたい想い、みんなに教えたいことはたくさんあります。今日教えたいことは“自分の宝箱を開けるタイミング”です。自分の宝箱を開けると聴いて、疑問を持つ人もいるかもしれません。宝箱は他人のモノではなく自分のモノであるし、いつだって開けてもいいじゃないか。宝箱を開けるのにタイミングが必要なのか?と……。

 人はそれぞれ自分の心の中に宝箱を持っていると、私は考えています。それはモノやお金など見えるモノではなく、目に見えないモノ・想い出や経験が入っています。その宝箱に入るのは、大切な仲間の存在かもしれない。誰かと過ごした楽しい想い出かもしれないし、自分が成長を実感した経験かもしれません。また、あの時はつらくてしんどかったことも、今となっては笑い話という話のネタかもしれない。それら全ては、自分にとってキラキラと輝く素敵な宝物であることは間違いありません。でも、その中でほかとは少し違う輝き方をしているモノがあります。それこそ、今後の人生で大切にしてほしい宝物なのです。その宝物の正体は、自分の才能です。

 みなさんは「あなたの特技は何?」と聞かれたら、何て答えますか?私自身の特技と言えば、料理・スポーツ・音楽を上げます。料理でみんなを喜ばせることも出来るし、スポーツや音楽でみんなと一緒に楽しむことも出来る。でも、今はこうしてみんなの前で自信を持って「自分の特技はこれだ」と言うことが出来ているけど……みんなと同じ高校生だった頃は「わからない。趣味はあっても特技ってないかも…」と自信を持って言うことに恥ずかしさを感じていました。では、なぜ私が今、自信を持って言うことが出来るのか。それは経験を積んできたからです。つらくてしんどくて自信を失ってきた経験をしてきたからです。その経験こそが自分を一回りも二回りも大きく成長させてくれたことを実感しています。だからこそ、みんなの前で自信を持って言うことが出来ます。でも、これは特技の話であって、才能はまた少し違うと思うのです。

 聖書には「タラントのたとえ」という話があります。このタラントから派生して英語では“タレント”、日本語で言えば“能力・才能”、クリスチャン用語で言えば“賜物”という言葉になります。つまり経験から得た特技とは異なり、タラントとは神様からキミに与えられた賜物であり、あなたにしかない才能なのです。

 私はキミ達と一緒に過ごした2年間で、ひとり一人が持っている素晴らしいタラントをたくさん見て来ました。全体を盛り上げて、ぐいぐい引っ張っていく人。与えられた役割をしっかりと担い、完璧にこなしていく人。疲れている仲間を労り、優しく声を掛けられる人。感情的ではないけど、物事をいつも冷静に分析出来る人。全体を見渡してサポートしていく人など、上げたら切りがありません。そんなキミたちがここ光風館を卒業していくことは、正直寂しいけど……気持ち良く送り出したいと思います。

 新生活になれば、勉強も人間関係も一から始めなければなりません。でも、ゼロではないことを忘れないでください。3年前の自分とは違うのです。それは、ここ敬和学園で楽しかったこともつらくしんどかったことも含めて、素晴らしい経験をし、ひとり一人の賜物を生かして、しっかりと成長してきたからです。だから、自分の才能や賜物に気付き、自分自身を大切にして、自信を持ってください。今、キミがいる環境でキミにしか出来ない輝きがあり、キミの才能や賜物を生かすチャンスがあるはずです。

 でも、つらい・しんどい・頑張れないと自信を失う時、どうしても逃げ出したくなる時、落ち込んでしまった時、自分を見失いそうになった時、そんな時がこれからの人生たくさんあるはずです。そんな時こそ、どうぞ自分の心の中にある宝箱を開けてみてください。その中には、何が入っていますか?誰がいますか?どんな想い出や経験がありますか?そして、自分のタラント・才能・賜物はどんな輝き方をしているでしょうか?あなたはここ敬和学園でどんな経験をしましたか?どんな成長をしましたか?誰と出会い、どんな新しい自分に出会いましたか?

 これからの人生、自分のタラント・才能・賜物に自信を持って、自分にしかない輝きを大切にしてください。そして、感謝の気持ちを持って、生きていってほしいと願います。

 心から感謝の気持ちを込めて、卒寮おめでとう!今までありがとう!

(2016年2月28日各館礼拝)

 

 

 

< ラストメッセージ >

「敬和 敬和 敬和 永遠のふるさと」      S.G(新潟県上越市出身)

 1年生へ 4月からの寮生活、大変お疲れ様です。もうすぐで1年が経ちますね。今までの15年間から環境が激変。生活や人間関係など、大変だったことが多かったと思います。

よく頑張っている!偉い!……と言いたいところですが、今のキミ達がこの生活を過ごせているのは、先生方・先輩、そして何よりも親御さんの大きな支えがあるからだということを一瞬たりとも忘れてはなりません。感謝の心を持ちましょう。そして、キミ達はもうすぐ先輩になります。僕たちが見ることのない49回生を全力で可愛がってあげてください。大切なのは、後輩ひとり一人をしっかり見てあげるということです。みんながみんな、自分の思い通りの成長をするとは限りません。何か1つの物事でも1時間で理解してしまうような人がいれば、3〜4時間かけてようやく理解する人もいます。どんな人でも認め、受け入れる。そんな心の広い先輩になってください。期待しています。

 2年生へ 2年間一緒に過ごしたキミ達とは、たくさんの想い出がありますね。それらひとつ一つを言葉にしたくても、正直難しくて出来ません。僕からたくさん絡ませてもらいました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。次はいよいよ3年生ですね。1年生の頃、本当に未熟だったキミ達も、今では立派な光風生に成長しました。まだまだ心配している46回生も多いですが……僕はキミ達のことを信じ切っていますので、全く心配していません。残り1年、大変なことも多いと思いますが、自分を信じて頑張ってください。また必ず会いに来ますので、その時には大学生になったGさんと遊んであげてね。よろしくお願いします。今までありがとうございました!

 

 

 

「家と同じくらいに安心出来る場所」      S.H(福島県郡山市出身)

 “父親と24時間、同じ場所で過ごすのはイヤだから……。”これは僕が寮生になった理由です。でも実は、あとから取って付けた理由でした。本当の理由は、寮生活に興味を持って、楽しそうだと感じたからです。

 僕は以前、福島県に住んでいました。当時、姉が敬和学園で寮生活をしていて、その話を聴き、おもしろそうなところだと興味を持ち、入りたいと思っていました。中学生になっても、その気持ちは変わらず「高校は県外に出て寮生活をするんだ」と考えていました。ちょうどその頃、東日本大震災が起こりました。

0301_ko02 震災から1年後、父親から「敬和学園で働くことになった」と伝えられました。それと同時に「福島に残りたいか、一緒に新潟に来るか。」と、質問されました。家族みんなで新潟に行くか、父親だけが新潟へ行くか、または僕だけ福島に残るか、そのどれを選ぶかという質問でした。僕は「転校してみたい」という浅はかな考えで、一緒に新潟へ行くことを選びました。しかし、それは失敗でした。僕たち家族が引っ越したところは、新潟市西区で家の近くには中学校が2つありました。1つは普通サイズの学校、もう1つはマンモス校でした。僕が選んだのは、少し近くにあった普通サイズの学校でした。その学校の生徒は、みんな良い人だったけど……僕はうまく話しかけられず、友達と呼べる人は出来ませんでした。また、クラス担任ともうまくいかず、自分の世界にこもるようになりました。
 進学を考える時期になり、僕は第1志望に以前から考えていた敬和学園を選択しました。敬和学園を受験し、無事合格し、入学することが出来ました。そして、光風館に入寮しました。最初は、先輩たちのテンションに付いていけず、しんどかったことを憶えています。でも、入寮から2〜3ヶ月が経つ頃には、いろんな人と会話することが増え、心から寮生活を楽しめるようになりました。1年生の冬には、前任のM先生と一緒に十日町へ雪堀りに行き、今まで自分が経験していないことをして、自分で感じたり考えたりするきっかけがありました。2年生になる頃には、僕にとって、寮は家と同じくらいに安心出来る場所になりました。そして、家よりも楽しい場所になっていました。2年生になり、寮務教師が片岡先生に替わりました。そして3年生になって、指を大怪我して入院したり、心配や迷惑をかけたりしてしまったこと、このお話を書きながら思い出していました。

 この光風館でみんなと一緒に過ごせたことは、今までで一番幸せなことだと感じています。楽しかったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、いろんな想い出をみんなと作ることが出来て、幸せでした。今、1・2年生で寮生活がイヤだと思っている人がいるかもしれません。でも、この敬和学園を卒業する頃には幸せだと思えるように過ごしてほしいと願っています。

 

 

 

「誰かのために朗らかに」          W.T(新潟県三条市出身)

 この前、ふと『朗らか』の意味を調べて見ました。すると、今まで僕が思っていた意味とは違う言葉が並んでいました。『晴れ晴れとして明るい様』と書いてあったのです。今までの人生を振り返ってみると、全く『朗らか』ではありませんでした。晴れ晴れとしておらず、心から笑えていませんでした。どこから、『朗らか』になれたかといえば、敬和に入ってからです。朗らかになれたことで、人と深く関われるようになりました。友達がいて嫌になることもありますが、その気持ちよりも友達がいてくれることへの喜びの方が大きいと知りました。今まで誰にも言えなかった悩みを打ち明けられるようにもなりましたし、聞いてくれる存在がいるだけで安心出来ることも知りました。
 僕からみなさんに伝えておきたいこと、それは誰かの為に朗らかでいてほしいということです。笑顔でいるだけでは、駄目なんです。心から笑顔でいることで、その人を安心させ、その人との距離を縮めることが出来ます。今、僕はそんな人がたくさんいます。みなさんはどうですか?そんな人がいるでしょうか?もし、いるならそれは幸せなことですし、学校にそんな人がいるなら最高に幸せだと思うんです。僕は光風生の笑顔は、素晴らしいものだと思っています。太陽の様に人を照らし、人の心を温めることが出来ると信じています。実際に僕はその笑顔に救われた存在です。ですから、1・2年生のみなさん、このメッセージを通して、今後の敬和生活がより良いものとなるように期待しています。

 

 

 

「たくさんの人への感謝」             H.H(岐阜県下呂市出身)

 ラストメッセージで何を言おうかたくさん考えたのですが、全然浮かんで来ませんでした。ですが、敬和学園で三年間過ごして、とても大切だと思った「感謝」というキーワードについて話そうと思います。

 私たちは、一日を過ごしている中で感謝する機会はたくさんあると思います。朝ご飯での調理師さんへの感謝、先生への感謝、友人への感謝など、数えたら切りが無いほどあると思います。ですが、私たちはそのことを当たり前だと思ってしまい、感謝することを忘れてしまいます。

 なぜ、私が感謝することにこだわるのかというと、それは以前に母と話した時の一言でした。私の兄は、人と関わることがあまり得意ではありません。母とその兄の話になり、母は「お兄ちゃんに感謝しなさい」と言ってきました。内心「少しは感謝しているし……」と思っていたのですが、その後の会話でこのような話が出てきました。「もし、あなたが同じ立場だったら同じことが出来る?」兄は私が敬和で過ごしている間、いつも家の手伝いを文句も言わずやっていること。兄がそんなにお金がかかる道に進まなかったため、自分は大学で自分の学びたいことを学ぶことが出来ること。兄はその自分の進んだ道に対して、何も不平不満を言わないこと。この話を母にされたとき、私は泣きそうになりました。自分がこうして敬和にいられるのも兄のおかげなのだと感じることが出来たからです。

 その母の言葉は、本当にその通りだと思ったし、何よりそれは自分の身に起きてもおかしくないことだったからです。私は三人兄弟なのですが、「きっとその真ん中の兄が代わりになってくれたのだよ」と母は私に言ってくれました。その時、自分の今いる環境の有り難さに気付くことが出来ました。

 それ以来、私は兄に感謝すると共に、たくさんの人へ感謝の言葉を言うようにしました。私たちが学校に行っている間にも、寮内を清掃してくれる係りの方やたくさんの方の献金から新しい施設なども建設することが出来て、他にも様々な人に支えられ私たちは生きています。それをたくさん実感出来るのが寮生活だと私は思います。

 たくさんの人と過ごす中で、一人ではどうしようもない時や一人では感じられない感動があると思います。そんな時、それを当たり前にするのではく、その経験に感謝しましょう。そんな機会はこの寮でしか味わうことが出来ないものです。

 私たちは寮で暮らしています。この経験は、この先ものすごく役立つものになるでしょう。たとえ、今そう思っていない人がいても、この先そう思うことが絶対あると思います。私たち光風館はみんな家族です。たとえ卒業しても、支え合い生きていきましょう。敬和で出会った友達、先輩・後輩・先生方をこれからも大事にし、進んでいきます。

 

 

 

「光風館で過ごした3年間の宝物」       H.R(新潟市西蒲区出身)

 私が寮に入ったきっかけは、一人っ子であまり人と関わることがなかったことと、自分で何事も出来るようになるためでした。中学校までは何事も親に手伝ってもらってばかりいたので、自立しようと感じ、寮に入りました。

 入寮した当時は、まだ何もかもわからず、この寮で三年間生活していけるか、とても不安でした。しかし、同室の先輩が優しく丁寧に分かりやすく教えてくれたおかげで、すぐに寮生活に慣れるようになりました。そして二年生では、寮行事にたくさん参加したり、友達と会話したりすることが出来て、とても楽しかったです。その他にも、光風館に入っていなければ経験出来なかったことがあります。それは寮の仲間と遊んだり、カップラーメンを食べたりしたことです。

 私はこの三年間、光風館という家族のような関係性や環境で生活することが出来て、とても幸せでした。この光風館で過ごした三年間は、私にとっての一番の宝物になりました。一生忘れません。そして、こんな私と仲良くしてくれた同級生、後輩のみんな本当にありがとうございました。とても楽しかったです。みなさんには、いろいろ迷惑をかけてしまいごめんなさい。

 最後に、46回生のみんなはそれぞれ違う道に進んでいきます。もう別れてしまいますが、この敬和学園で学んだ三年間の経験を生かして、卒業後もいろんな目標に向かって挑戦していきましょう。辛い時は光風館での生活を思い出して頑張りたいです。私のことも忘れないでください。いつも側にいて共に歩んできた46・47・48回生のみんなに会えなくなるのはすごく悲しいですが……私は、これから自分の道を進んで頑張ります。

 

 

 

「過去の自分から今の自分へ」         M.H(新潟県三条市出身)

 ついにラストメッセージの日が来てしまいました。何を話したらいいのか、自分は何を伝えたらいいのか、毎日寝る前やふとした時間に考えていました。そこで僕がみんなに伝えたいことは、ここ敬和学園高校のキャッチコピーでもある自分探し、僕の言葉に変えると「変化・変わる」ということです。

 まず、僕は中学生の時に不登校を経験しました。それも数日や数週間ではなく1年半もの長さです。それ以前は、まさか自分が不登校になるとは思ってもいませんでした。理由としては、今でもハッキリしませんが人間関係に疲れてしまったのだと思います。2年生になる時にクラス替えがあり、友達はいたものの本音を打ち明けられる友達はクラスに1人もいませんでした。その頃の僕は、ただクラスでも部活でも気を遣っていて、ついにクラスでの息苦しさや部活でのプレッシャーに耐えきれなくなったのだと思います。そんな僕は、2年生の6月から不登校になってしまいました。不登校になった当初は、1週間だけと軽い気持ちで休んでいました。しかし、日が経てば余計に学校には行きづらくなり、ついには卒業までの1年半学校生活を送ることは、ほぼありませんでした。ほぼというのも1週間に2〜3日は保健室に行き軽く勉強したり、友達と話したりしていました。卒業前にクラスに行き、みんなで給食を食べ、昼休みに雪の積もったグラウンドでサッカーをしたことは、中学校での最後の良い思い出です。

0301_ko03 このような中学生活をしていたので進路を決める時は、もちろん普通科・全日制の高校は諦めていました。しかし、通信制や定時制の高校には行きたくなかった僕は、自分の未来に不安しか持っていませんでした。しかしある時、敬和の卒業生の友人を持つ兄や現六甲クラスの友達から敬和のことを知り、こんな自分でも受け入れてくれる可能性があるなら受験してみたいと考えるようになりました。その日からも週に2〜3日は保健室に通い勉強しました。そして迎えた入試の日、不安を持ちながらも内心「受かるだろう」と思っていた僕でしたが、結果は不合格でした。あとから、その時面接官だった碓井先生に聞いてみたらテストの点数が足りなかったみたいです。今考えればビックリですよね。しかしその時、不合格の結果を目の当たりにした僕は人生の終わりとも思いました。
 その日からは地獄ともいえる日々でした。食べ物はこんにゃくゼリーしか受け入れず、狂っていた生活リズムもさらに悪化し、次の入試が行われる2月半ばまでの約1か月の間で3キロ近く体重が落ちていました。しかし、ここで諦めたらそれこそ本当に人生終わりだと思い、保健室では先生に勉強を教わり、家では双子の弟に教わるという生活を続け、2月の入試では、ギリギリではあったと思いますが合格することが出来ました。その時は喜びというより、人生終わらずに済んだという安堵感が大きかったです。
 そこから僕の自分探しが始まりました。入学当初は、久しぶりの学校生活ということもあり、不安しかありませんでした。また入寮することを最後の最後まで拒んでいた僕は寮がイヤで仕方ありませんでした。しかし、一緒に入学した46回生や先輩方のおかげで徐々に学校にも寮にも慣れていくことができました。1年生の頃は中学生活のリハビリをしていた感じですね。そんなリハビリ生活にも慣れ、学校も寮も楽しく感じてきた僕ですが、まだ本当の自分をさらけ出すことは出来ていませんでした。相変わらず過度に気を遣ってしまい、疲れている自分がいました。しかし、同じ過ちを犯したくなかった僕は、少しずつ気を許し、みんなとの距離を縮めることが出来ました。そしてこれをきっかけに、徐々に現在のような関係を築くことが出来たと思います。

 みんなも聞いたことあると思います。「敬和はやったもん勝ち。自分から行動しなければ勿体ない」という言葉を。ということは、自分から目標を定め、それに向かって努力すれば、その努力は報われるのではないかと僕は考えました。敬和に惹かれた理由のなかに個人を尊重する教育理念もありましたからね。

 1年生の時は、毎日自分の生活のことで精一杯でしたが、2年生になり後輩も出来たことで少しは責任感も出てきて敬和生らしさというのも出つつあったと思います。しかし、慣れてきた生活に変化を欲していた僕は2年生の後期から、物事に対して積極性と向上心を持って行うことを心がけました。その結果、不安もありましたが体育委員長に立候補したり、部活でも責任感ある背番号を背負ったりすることも出来ました。また、進路を意識し始めたこともあり、評定平均を上げることもしました。慣れないこともあり、迷惑をかけたこともありましたが、支えてくれる人がいたからこそ、その都度壁を壊していくことが出来ました。3年生になり、最高学年ということであらゆることに責任と重圧がかかりましたが、その頃には、信頼できる仲間もいました。また2年間、敬和で多くの経験を積んだという自信もあったので、さほどプレッシャーは感じていませんでした。また1年生の頃から憧れていたフェスティバル総合チーフを経験したことは、あらゆる面で僕を成長させてくれました。

 このように、僕なりに自分の敬和生活を歩んできたつもりです。これも自分自身が変わりたいと強く願い行動した結果だと思います。僕は、本来変化を嫌って生きてきました。小学生の時は、地元のサッカークラブに入ろうとしたけど、自分に言い訳をしてやめたこともありました。後悔という言葉は、「後に悔む」と書きますが反対から読むと、少し強引ですが悔むに後で「悔んでも遅い」とも読めます。みんなにも僕みたいな経験があるかもしれません。でも、敬和で変化を嫌っていては、生きていけませんよね。親元を離れての寮生活、個性的すぎる人、そんな人の集まりである敬和では、常に変化が起きているといっても過言ではないと思います。みんなには、その人の波にのまれるのではなくて、みんな自身が波の起点となってほしいです。

 よくある例えですが、人の一生を24時間で表す時、寿命を80歳と考えたら、僕たち高校生はだいたい朝の6時です。これを早いと捉える人、遅いと捉える人いるも思います。普段の寮生活を考えたら、僕たち寮生はまだ夢の中ですね。起きるまで1時間もあり、トータルで18時間も残っているわけです。僕みたいに、多少スタートダッシュでつまずいた人でも変わることが出来たのだから、みんなにも可能性は無限大に広がっていると思います。でも敬和での自分探しや人生にはタイムリミットがありますよね。僕は何とかこの3年間で見つけることができました。それは、“支え、支えられる”のが僕の歩み方だということです。中学生の時には、支えることだけの自己満足で自分を傷つけていた僕ですが、今では自分の弱さを見せることも、ある種の強さということを敬和で学ぶことができました。支えながらも支えられるというのは、お互いが気を許しあったからこその関係だと思います。僕にとってこの関係性は理想であり、人生の歩み方でもあると思っています。みんなも焦らなくていいので敬和での自分探しを集結してほしいなと思っています。

 僕は卒業文集に、出会い、経験、感謝というタイトルをつけました。敬和での3年間をこの3つの単語で語ることは出来ないのですが、僕の中でこの3つの単語はかけがえのない言葉です。みんなと出会えたから今の僕がいるといっても過言ではないし、敬和での経験があったからこそ、今こうしてみんなに伝えることが出来ます。僕はこの出会いと経験に感謝せずにはいられません。

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「3年間で与えられたもの」        K.T(北海道札幌市出身)

 僕がこの敬和学園に入学してきた理由を入学礼拝挨拶では、「ただ学校のランク付けで学校を選びたくなかった」といいました。それは決してうそではありませんが、きっかけは別にありました。それは単純に家族と離れたかったからです。親との仲が悪いわけではありませんでしたが、僕は早く家を出て家族と離れた生活をしたいと思っていました。もともと敬和の存在は教会の人たちを通じて知っていて評判も良かったので、寮生活が出来るという理由でこの高校を選びました。しかし、敬和に入学する際、僕はひとつ目標を立てました。それはこの高校で将来の目標を見つけるということです。僕は中学生の頃、目標を持たず、学校ではただ勉強をしていました。もともと記憶力は良く、5教科では特に苦手なこともなく嫌いでもなかったので、ただテストで良い点を取るために勉強をしていました。その結果、進路を選ぶ時に何のために高校に行くのかがわからなくなり、漠然と公立高校に通うことをためらいました。だから、僕は敬和での3年間の中で自分がしたいことを見つけようと思いました。

0301_ko05 敬和に入学したと同時に、僕は光風館に入寮しました。最初の部屋の先輩は、いつも僕をイジってきました。僕は、それ自体はあまりイヤではなく、むしろ先輩と関わることが楽しかったです。しかし、その分先輩と多くの時間を過ごしていました。もともと僕は話すのが得意ではないので、なかなか同級生の輪に入れずにいました。また、学校でもクラスにあまり友達ができず、友愛館の隅でランチを一人で食べる日も少なくありませんでした。そんな状況が劇的に変わることはありませんでした。しかし、1年が終わる頃、僕は敬和の生活にすっかり慣れていました。大きかったのは、やはり寮でだんだんと受け入れられたことだと思います。自分を受け入れてくれる仲間がいることが僕の支えでした。クラスには最後まで馴染めず、部活でも必ずしもうまくいっていたわけではなかったので、寮で仲間といられることがすごく嬉しかったです。

 2年生になってクラス替えをしたことで友達も増え、寮の仲間とも本音で話せるようになりました。しかし多くの人と関わり、いろいろな考えを知った分、自分の行動が正しいのかどうか自信が持てなくなりました。特に、寮では自分の何気ない行動で他人がイヤな想いをすることもあり、変わりたいと思うようになりました。

 そんな時に出会ったのが哲学という学問です。哲学とは自分の人生をどう生きるべきかを考える学問であり、人との関わり方を考える学問でもあります。自分がどのように行動するべきなのか悩んでいた私は、哲学に興味を持ち本気で学びたいと思い、大学への進学を決意しました。

 そうして、僕はここで仲間と将来やりたいことと大切なものを得ることが出来ました。僕が哲学の勉強をするという将来の目標を見つけられたのは、僕がいつもそのことを考え、答えを求めていたからだと思います。聖書に「求めなさい、そうすれば与えられる」とあるように、敬和では本当に答えを求めれば必ず見つけることが出来ると思います。たとえば、自分を変えたいと本気で思うなら、礼拝や授業でのお話の一言一言に耳を傾けてください。そこには自分を変えるためのヒントがたくさんあります。また、もし何か興味のあることに本気で取り組みたいと思うなら、誰かその分野の先生に相談すれば、必ず挑戦させてくれるでしょう。ここは自分がやりたいことをするには、これ以上ない環境です。まだ僕たちには失うものは何もありません。いろいろなことに挑戦してください。

 敬和では望めばほとんどのものを得られます。しかし仲間は望めば得られるわけではありません。仲間は自分がいくら望んでも、相手が自分を受け入れてくれない限り仲間にはなってくれません。だから自分を受け入れてくれる仲間には感謝の気持ちを絶対に忘れないでください。

 そしてもうひとつ、部活動の講師に来てくれたプロのミュージシャンの方の言葉をみなさんにも伝えたいと思います。その人は、「何かをしていて楽しいのはルールがあるからだ」と言っていました。遊びでもスポーツでも、誰かがルールを破ったら何も楽しくありません。ルールの中で最大限自由にしようとするから、楽しいのです。寮でも一人がルールを破れば、寮が楽しいものではなくなります。当然、規則に縛られては楽しくありません。光風館生には規則を守りつつ、最大限に自由であってほしいと思います。みんなの活躍を期待しています。

 

 

 

「最高の家族」               T.T(新潟県柏崎市出身)

 僕は敬和に来て、この寮に入って良かったと思いました。僕の実家は民宿をやっているので、その手伝いをいっぱいやっていました。ですので、寮でやることはだいたい家と同じだと自分も親も心配はないと思っていました。ですがやはり、ちゃんと出来るかどうか心配になってきて、うまくいかなかったことがありました。少しずつ慣れてきて、大変だったことも辛いこともありましたけど、それらも乗り越えてここまで頑張ってきました。

 このことを考えてみると自分自身が変わったなと思いました。その理由は、寮に入る前は親の言うことを聞いてはいましたけど、すぐに行動をしないことがありました。ですが、寮に入ってから僕は変わりました。親の言うことを聞いてすぐに行動をするようになって、それどころか何か仕事はないかと積極的に言うようになりました。

 それと2年生になり新しい仲間が来て、彼が僕に話しかけてきて、いっぱい話をしました。そして、いつの間にかあまり話せなかった同級生にも話せるようになりました。僕はこの時、「自分はコミュニケーションを取ることが苦手だったのだ」と気付きました。もし彼が来ていなかったら、今の僕は昔の僕のままであまり変わっていないと思いました。このことを気付かせてくれた彼に感謝をしています。

 僕はみんなが家族のようで、いい想い出が出来てよかったです。特に寮祭や寮クリスマス、館クリスマスがいい想い出になりました。たとえ離れていても「家族との愛、友との友情・絆を忘れない限り、その繋がりは一生消えない」と僕は思います。

 

 

 

「ここに来てからの変化」          T.K(新潟市西区出身)

 いよいよラストメッセージを話すときがやってきました。僕は、この3年間を過ごしてきた中で、ここに来るまであまり感じることのなかったこと、自分にとってこれは成長出来たと思えたことがありました。

 中学の時までの僕は、もともと人に積極的に話しかけることが苦手でした。話しかけてもらっても「話しやすいな」と感じた人としか話せず、初対面の人になるとどう接すればよいのかわからず、あまり話すことが出来ませんでした。学校生活を過ごしていく中で、人と接することが次第にイヤになっていきました。人に対して心の壁を作って、人と関わることを避けていたし、性格や表情も暗くなっていきました。その結果、勉強に全く身が入らず、クラスにいるのもイヤになり、部活も中学2年の終わりから行かない時のほうが多くなっていきました。中学3年になってからも、あまり変わらず中学での3年間が長く感じられました。そんな僕にも進路を決めなければいけない時期がやってきました。母が僕に「少しでも自立してほしい」という願いもあり、寮のある学校を担任の先生に探してもらうことにしました。

 そして、勧められたのがこの敬和学園でした。入試に向けての勉強と面接練習を頑張り、無事合格しました。寮生として入学し、光風館での寮生活が始まりました。入寮当初は同じ館にいる人達とちゃんと関わり合えるのか、とても不安でした。でも同じ部屋の先輩方やほかの部屋にいた人たちが話しかけてくれたおかげで、気が楽になりました。その後も多くの人達と関わる機会が多くあったおかげで、今では自分からも話しかけられるようになったし、表情や性格も前よりも明るくなりました。

 この光風館で過ごした3年間でたくさんの人に支えられて、生活出来たことに感謝しています。今までありがとうございました。

 

 

 

「負から学ぶ」                S.E(兵庫県西宮市出身)

 僕は3年間、この寮でブロック長として生活を送ってきましたが、その中でどの館のブロック長よりも苦労しなかったと思っています。それは46回生の仲間が僕を支えてくれていたおかげであり、そのことは僕たちの強みだと思っています。しかし、そのせいもあって、あまり僕自身は自信を持った生活を送ることが出来ませんでした。思い返せば、大体の行動の裏にはコンプレックスがあり、悩んでばかりで「こんなはずじゃなかった。もっと上手くできたはず。俺よりあいつに任せておけばよかった」と思うことが多くありました。そのことについて少し話させていただこうと思います。

 僕が副ブロック長に立候補した時、隣には3人も人が並んでいました。1人は学力学年トップ、1人は3年生と仲が良くいつも物事の中心的な位置にいるような奴、1人は制服姿できちんとした原稿を作って選挙に挑んだ人でした。僕は「先輩に立候補しろよ」と言われるまで、立候補しようとも思わなかったし、特に準備もしていなかったため、演説も上手くはなく、選挙中は「絶対自分には無理だろうな」と思っていました。しかし、僕が副ブロック長に選ばれたとの結果を知り、嬉しさもありましたが驚きのほうが強かったのを今でもすごく覚えています。

 しかし、僕が副ブロック長になったその日の晩、僕の部屋に先輩が来て「俺はお前に入れてない。俺はお前よりもHが良かった。」と言い残し、僕の中に衝撃を走らせて帰って行きました。この言葉が衝撃的過ぎて、僕の中で何かある度に出てきては僕から自信を奪っていきました。寮クリスマスで思うように話が進まない時も、寮祭の準備の時も、ミーティングがうまくいかない時も、何か問題がある度に先輩に言われた一言が蘇り、「やっぱり僕じゃないほうが良かったんじゃないのか?」と自問自答し続けてきました。そして、それは今も同じで「ラストメッセージの最後が僕でいいのか?」と考えています。

 ラストメッセージを通して、人の変化を改めて目の当たりにするだけに、そう考えている自分に対して1年生の時からの変化の無さにコンプレックスを抱えることもあります。しかし、そんな僕だからこそ、みなさんに伝えられることがあるんじゃないかと思うことがあります。それを僕から後輩へ向けてのラストメッセージとさせてもらおうと思います。

 自分のことを悪く言う人の意見をないがしろにしないでください。僕の場合は、先輩に言われた一言がずっと頭に残っていたせいで自信こそ失いましたが、常に自分に反対する人のことを意識することで、その人たちも納得させられるように頑張ろうという気持ちにさせられました。例外ももちろんありますが、自分のことを悪く言う人は、大抵一理あることを言ってきます。その意見を所詮悪口と思っていないで、一意見として取り入れることは自分を成長させる大切な行為です。100点のテストに意味がないように、ほめ言葉だけを聞いていても成長しません。言われて腹が立つことほど、思いのほか自分でもその問題に対して思っていることがあるということです。寮内では人のことをたくさんの面から見ることが出来るため、たくさんの悪い面も見えてきます。寮の仲間の悪口にこそ、意味があります。おおいに喧嘩でもしてください。そのたびに成長があると思います。

 さて、今のを踏まえて聞いてほしいことがあります。3年の僕から見て1・2年生の君たちはまだまだです。自分の楽しみを最優先している節があります。もっと他人と関わってください。自分の学年に留まらずに、自分のグループにとらわれずにもっと会話を楽しんでください。1年生と2年生はあと1年間の時間があります。ぜひ僕たちとの関係よりも深い関係を築いてください。それだけ質のいい時間とチャンスがこの寮生活にはあると思います。人生は一度きりですが、その人生を通しての関係がこの寮では作り上げられると思います。みなさん、残りの敬和生活をより良いものにしていってください。

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