2016年3月25日金曜日

めぐみ館通信 2016年3月22日 第50号

心からのエール

 桜も咲き始め、新しい春が訪れようとしています。めぐみ館46回生16人が敬和を卒業し、それぞれの道へと旅立ちました。年度最後の定期試験も終え、めぐみ館を担っていく47・48回生のみんなも、新しい出会いに向けてミーティングを重ねてくれています。新入生に向けて心を込めて手紙を書いてくれたり、「3年生になったら、最高学年でしょ?めっちゃ頑張る!楽しむ!」と力強く語ってくれたりと、頼もしい限りです。

 さて、私ことですが、3月末をもちまして一身上の都合により3年間勤めました敬和学園高校を退職することとなりました。のぞみ寮通信にてご挨拶をさせていただいていますが、これまで本当に沢山の支えとご指導をいただきました。私にとって保護者の皆様、教職員の皆様、のぞみ寮の一人ひとり無くして、ここでの日々はあり得ませんでした。たくさんの心配とご迷惑をかけてしまっていた事を思います。しかしながら、一人一人との関係を決して諦めず、愛を持って共に成長することを大切にしながら、これまでの関わりをさせていただきました。

 めぐみのみんな。住む場所が離れても、共に過ごしたあなたたちのこれからをどこからでも応援しています。あなたたちなら大丈夫。自信を持ってめいっぱい歩んでいってください!(会田)

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0322_me08~会田先生ありがとうございました。~お幸せに~

 会田先生の退職を知り、かなしみいっぱいのめぐみっ子でした。会田先生との“サプライズお別れパーティー”の準備をひそかに計画しました。“サプライズ”は大成功!!会田先生と過ごした時間は、大切な心の宝物となっていることを一人一人から伝わってきました。
 会田先生ありがとう!そして“お幸せに”(小菅)

 

 

 

 

 

 

これからに向けて
 2015年度も残り少なくなり、4月からの新学年に向けての準備が進められています。めぐみ館では今のところ、新入生(49回生)14名を迎えスタートする予定です。不安な気持ちをそれぞれに抱えながらも、かわいい後輩を迎える心の準備が、彼女たちの表情、態度から日々力強く感じるようになっています。
0322_me06 新入生には、主に新2年生がマナー、ルール等を伝えることが伝統になっています。4月から先輩になる1年生へ、現2年生から、新1年生を迎えるにあたってのアドバイスを伝えるミーティングがありました。思っている事、感じている事、直してほしい事、伝えることは簡単です。でも相手を理解し、心に届くように思いを込めて「伝える」という事は、とてもエネルギーが必要なこと。2年生の言葉には、とても温かさを感じるものがありました。
 「先輩になる自信はないけれど、楽しく、帰って来たいめぐみ館になるようにしたい」「誰かと一緒じゃないと言えない、できないという固定概念をなくしたい。自分が正しいと思える事をしっかりと行動したい」「後輩は先輩を見てすごす。自分たちの姿をしっかりとしたい。」「2年生47回生のような誰とでもいられる関係性を持ちたい」等々。これからの生活に向けて、1年生も自分の言葉で話していました。
0322_me07 「あなた達は大切な後輩。私たちを頼ってほしい。今日のミーティングで感じた事を考えて、行動に移してほしい。あなた達なら大丈夫。47回生、48回生でめぐみ館をひっぱっていきましょう」と最後に2年生から力強いメッセージが伝えられました。
 この1年でそれぞれに成長を感じる場面に出会いました。寮生活では、不自由さの中に、一人一人の思いやり、気づかいのもと、生活を共にして行くなかで成長をしていきます。それぞれに歩むペースは違います。失敗を恐れずにチャレンジする気持ちを大事に、経験を重ねてほしいと願っています。
 短い春休みですが、心とからだをゆっくりと休めて4月にまた会いましょう。いってらっしゃい。4月の開寮の日に元気に会える事を楽しみにしています。(小菅)

 

 

 

 

 

礼拝のお話

「礼拝の力」                        2年 M.Y

 「神を賛美し、その恵みに感謝すること」これは、国語辞典に載っていた「礼拝」の意味です。礼拝はその日あったことを振り返り、神様から受けた恵みに感謝し、心を安める時間だと私は考えています。少し、礼拝とは何か皆さんと考えたいと思います。

 例えば各館礼拝での「お話」。先輩や同じ学年の人、あるいは後輩のお話に心を動かされた人もいると思います。私は46回生のS.Kさんのお話に心を動かされたことがあります。「自由」についてのお話でした。「自由とは、しっかりと固まった枠組みを作ってしまっても、全く何も枠組みがなくても崩壊してしまう。輪ゴムのようにある程度伸び縮みするルールの中で過ごすことが本当の自由ではないか」とおっしゃっていました。この話により、私は「自由」や「ルール」に対する印象が良い方向に変わりました。人の意見や考えを聞くことは決して悪いことではありません。時には反対意見や不思議に思うこともあります。人それぞれです。私のように考えが少しでも広がったことのある人はどうでしょう。話を聞いてよかったなと思いませんか?礼拝の話には、このように「強い力」があるのです!

 4月になれば49回生を迎えます。48回生は次の一年生を迎えるにあたり、教えることの難しさや後輩との関わり方などに色々苦戦すると思います。そんな中で自分の思いをメッセージにすることはとても大切になってきます。ぜひ、礼拝の場を自分の思いを伝える一つの場所として用いてみてください。もしかしたら、その言葉で誰かの心が動かされるかもしれません。そのような連鎖が続いていけば、後輩や先輩、同学年の人とよりいい関係が築けるはずです。人の言葉には不思議な力があります。どうか皆さんがそれぞれの思いを伝えることが出来て、豊かな人間関係が築けるように祈っています。

 

 

 

 

「出会いから」                        2年 U.A

 1年前の3月から、私の実家に滞在していた留学生との関わりから感じたことです。ドイツから来た17歳の男の子。性格は一言でいうと器用。優しくてお茶目なシャイボーイという感じです。留学生が来てから私の家は変化しました。笑うことが大幅に増えました。これは私の家にとって本当にすごいことです。

 元々の両親と兄の関係性や、それに加え反抗期で不機嫌な私。留学生が来てからも、私をなだめる兄と困っている両親。事態は悪化していく中で、留学生と関わりたくても関われない自分の弱さを憎むこともありました。

 ある休日、テスト前に隣の県に家族と留学生の彼で行くことになったとき、はじめは抵抗を感じましたが、何度も誘う親に嫌気も感じ、不機嫌ながら勉強道具を片手に、ついていきました。みんなで写真を撮ろう!となった時も私は無表情のままでした。そんな時、留学生の彼が、私の肩を組もうとしながら「A、笑って」と言ったのです。この時は、彼が私の家に来て2ヶ月ほどでした。寮にいてほとんど家にいない私に、日本語なんてほとんど分かっていないのに。うまく説明できないけれど、心が軽くなって勇気をもらったように感じました。それからも、彼はそんな言葉をたくさん与えてくれ、それが積み重なっていきました。おそらく私だけではありません。家族もです。私の家は90度くらいになる、いい方向へ雰囲気が変わりました。強く思ったのは、“出会い”というのは変わるチャンスかもしれないということです。

 また、私のとても仲が良い先輩とは、私が1年生の10月頃までは挨拶だけのいたって普通の先輩後輩関係でした。その先輩と同じ部屋になってから意気投合し、部屋で夜まで話すようになっていました。それから部屋が離れても、仲の良さは変わりませんでした。「初めまして」だけが出会いではありません。相手の言葉で何かに出会うかもしれない、自分が言った何気ない一言で出会うかもしれません。

 新しいお部屋、新入生、クラス替えなど、やって来るたくさんの新しい出会いが、お互いにとってよいものとなるといいですね。

 



2016年3月23日水曜日

みぎわ館通信 2016年3月19日 第231号

大きな木とみぎわ館

 15日のテストが終わってほっと一息していた夜、みぎわっ子2年生たちと今年度最後のミーティング?を行いました。まずは、疲れた頭と体をちょっと癒しましょう……ということでお互いの肩を揉み合ったり、手をつないでお尻歩きしたりと、身体をたくさん動かしながら、奇妙な動きになってしまう互いにお腹を抱えてひとしきり笑い、デザート争奪チーム戦に突入しました。

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 各階ごとの3チームに分かれ、まずは新聞紙でタワーを作ろう!にチャレンジしました。持ち時間はたった5分で、自立したより高いタワーを作ったチームの勝ちです。「よーい、ドン!」で顔を寄せ合い、「どうする?」とどのチームも相談タイム。でも何せ制限時間が短いのです。相談に時間を使うと作業時間がなくなってしまいます。活発にアイデアを出し合いながら、同時に手も動かしながら……。周りを見る余裕もなく協力し合って一生懸命(もはや必死?)に取り組む姿はかわいすぎて笑ってしまいました。

 面白いのは、材料は新聞・セロテープのみ。条件は当然3チームとも同じ。なのに、作るタワーはそれぞれなのです。ブットイ筒状タワーがあれば、ホッソイ針金状タワー、その二つを足して割ったような太さの通天閣みたいなタワーと、どれ一つとして同じものがないのです。太さも形も。でも、当然ですが全部タワーなのです。みんなの柔軟な発想、面白いなぁと思います。結果は、2メートル超えをしたチームもあれば、60センチと苦戦したチームもありました。どんな結果でも、拍手と笑いが起こるのはさすがです。

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 そして次が本番。たった20本のスパゲティと1個のマシュマロを使って、これまた塔作りにチャレンジしました。持ち時間は作戦会議も含めて18分。「18分もあるじゃん」と余裕顔のみぎわっ子たちも、作戦会議が始まると真剣そのもの。デザートがかかってますからね(笑)。作戦が相手チームに聞こえないようにと気を付けて話し合いながら、少しずつ作業に入っていきました。ポキポキ折り始めるチーム、数本まとめてテープでぐるぐる巻きにするチーム、ながーくくっつけ始めるチームと、取っ掛かりもまるでバラバラ。塔を作る……という目的は同じなのですが、いろんなアイデアがあること、いろんな方法があること、それぞれがなかなか良いアイデアを持っていることを知る機会になっていました。

 この塔の最大のポイントはマシュマロを頂上に置くこと。うまく塔を作れても、マシュマロを頂上に置くことでグニャ~と倒れてしまいがちです。そこを考えながら細くて折れやすいスパゲティで塔を作らなければいけませんので、本当に難しいのです。

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 こうしよう、あ~しよう、あれやって、これやって、こうしたほうがいいんじゃない、こうするよ?など、いろんな声をかけ合って、同じ目標に向かって心を合わせて取り組むみんな。これって、寮生活にも通じるところがあるってことにも気が付いたようです。

 毎日みぎわ館で生活をしながら、「ステキなみぎわ館創り」をしたい……、みんなの目指すところは同じです。ではそれを実現させるにはどうしたらいいのか?それは、この塔づくりと同じなのではないでしょうか。自分のアイデアを臆することなくどんどん発信し合い、仲間と協力して取り組んでみる。声をかけ合って、思いを出し合って、改善に改善を加えながら、達成を目指す。予想外にグニャ~となってしまうこともありますが、でもそれも一つ楽しい。考えた方法がなかなかいいことに気が付くと嬉しい。仲間に「いいねぇ」と言われるとワクワクする。「こんな方法もあるよ!」と誰かが言ってくれると認められたと喜びになります。そしてそれを聞いていた周りも、自分も!と伝える勇気が出てきます。

0319_mi07 みんなが同じ目標に向かって、歩幅はそれぞれであっても、歩みだすことでとっても素敵な循環が生まれます。今回、2種類の塔づくりをしたわけですが、それを通して、「ステキなみぎわ館創り」をするために大切な事、必要な事もたくさん体験することができました。
 このミーティングはお絵かきで締めくくられました。大きな大きな木を一本とそこにみぎわ館を描いてほしい。私からのお題はこれだけです。このお題を聞いてチームごとに描き上げられた3枚の絵はこれまたそれぞれに個性たっぷり。でも共通していたのは、笑顔のみぎわっ子たちがたくさん描かれていたことです。1・2年生全員(榎本先生と私も!)の笑顔やその特徴をつかんで描き込んでいたチームがあれば、その雰囲気(笑って、慰めて、食べて、遊んで……)を表現していたチーム、建物の窓からたくさんの笑顔が見える絵を描いていたチーム。どれもステキな笑顔がいっぱいの、一本の大きな木とみぎわ館が描かれていました。みんなが、自分が暮らすみぎわ館をこんな風に表現してくれることが、こんな表現ができる暮らしをここでしていることが、嬉しくてたまりません。

 みんなが描いてくれた、貴重な3枚の絵。来年度のみぎわ館運営において大きな大きな役割を果たしてくれる予定です。みんなが目指す、ステキなみぎわ館創り、ぜひ実現させていきましょう!!(森口)

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テスト三昧

0319_mi10 みぎわっ子たち、本当によく勉強します。第5定期テストに向けてその2週間前くらいから、ホールで勉強する人たちの姿がちらほら見られるようになりました。「なにしてんの?」と気楽な私が声を掛けると、「もう!先生!もうすぐテストですよ!もう2週間しかないんだから!」とのこと。「……お疲れ様です。」としか返しようのない私でした。
 もう2週間しかない……数年前までは「まだ2週間あるし~」と、余裕シャクシャクのみぎわっ子たちだった気がします。一体いつからこんなにも勉強に取り組むようになったのか。そう言えば、一人のみぎわっ子がこんな事を言っていたことがありました。「テストってさ、やったらやっただけ点数獲れるんじゃないかと思うの。自分が狙う点数獲るためには、獲れるだけ勉強すればいいって気が付いたよ!」と。そして、確かにその人は一生懸命勉強していました。分からないところは時に仲間に聞き。先輩にも聞き。勉強がはかどらないと嘆く後輩と机を並べて、時に教え。。。そうやって、机に向かう姿勢の輪が広がっていったのでしょう。
0319_mi11 「何でこんなに私は勉強できないんだろうと諦めかけた時、同室の仲間たちが、先輩達が教えてくれ、一緒に勉強してくれ、私に付き合ってくれた。こんなに応援してくれる人たちがいるならやらないと!と頑張れた。人生初の高得点もゲット!」と喜んでいる人もいました。彼女は仲間のおかげで夢に描いた進路先で今でも頑張っています。寮生はこんなところでも支え合うのです。寮生活って、やっぱりいいなぁ。改めて思います。
 今回のテスト期間も、同じお部屋の先輩後輩が励まし合って、取り組んでいるシーンが毎晩のように見られました。「明日の朝、4時起きして一緒に勉強しよう!起こし合おうね!」なんて言いあっているのも聞こえてきました。4時起きなんて無理?イエイエ、寮生はちゃんと起こし合って取り組むのです。すごいです。
 仲間と共に暮らして、毎日の全ての事柄で助け合って支え合って生活するみぎわっ子たち。それが自然に出来るんだから、ステキだよね~♪(森口)

 

 

 

礼拝のお話

 「母のようなお母さんに」   K.M(1年)

  私はこの前の冬休みに、いつも明るくて強くて大好きな両親から私が生まれる頃の話を聞かせてもらい、とても驚きました。それは、母が私を生む際に不妊治療をしていたということです。この話を聞いた時点では、私はまだ「ふーん、そうなんだ。」くらいにしか思っていませんでした。しかし先日、保健室の先生と話す機会があり、「不妊治療って辛いんですか?」と何気なく聞いてみました。すると先生は、「赤ちゃんが欲しいと望んでいるのにできないんだから、赤ちゃんが欲しいと思う分だけ辛いと思うよ。」と話してくれました。

 私はこのとき、両親には本当に心の底から感謝しなくてはいけないと思いました。なぜなら、私は敬和に来る前に母に、「どのくらい子どもがほしかったの?」と聞いたことがあったからです。その時の母の答えは「すご~く、すご~く欲しかったんだよ。」と答えてくれました。赤ちゃんが欲しいと思う分だけ不妊治療は辛いと聞きました。母はきっと言葉では言い表せないくらい辛い思いをしたんだと思います。不妊治療は止めたければ止めることができます。もし母が止めていたら、今私はいません。そう考えると、辛い治療を続けてくれたこと、欲しいと望み続けてくれたこと、今まで大切に育ててくれたこと、敬和に行かせてくれたことなど、挙げたらきりがないほど、これまでの私の人生のすべてを両親に感謝しなければと思います。

 そして、今寮にいる私は、まだきっと反抗期真っ只中です。家に帰ると反抗して怒ってばかりしてしまいます。そんな私を育てるのに、とても苦労しているんだろうな……。きっと私も結婚して子供ができたら、同じ苦労をし、今の母の気持ちがよく分かるのだと思います。

 私は今将来何になるかはまだ決めていませんが、一つだけ決めていることがあります。それは父のような人と結婚して、母のようなお母さんになることです。



2016年3月18日金曜日

光風館通信 2016年3月17日 第469号

< 第五定期テスト お疲れ様!! >

 第五定期テストが3月10日(木)〜15日(火)の間に行われました。光風館ではみんなからのリクエストに応えて、夜食を作りました。

 3月10日(木)鮭と大葉のペペロンチーノ

 3月13日(日)ベーコンと白ネギのペペロンチーノ

 これで2015年度も終わりになります。この1年間、どうでしたか?納得いくこと、うまくいかず悩んでしまったこと、いろんなことがありましたね。ひとり一人がこの1年間、よく頑張りました。本当にお疲れ様!

 これから春休みを迎えて、4月になれば新年度となり、新入寮生が来ます。キミたちの優しさと明るさで温かく迎えてくれることを期待しています。来年度もひとり一人の輝きを大切にしていきたいと思います。

 また来年度も気合い入れていきましょう!(片岡)

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< 礼拝のお話 >

「憧れの先輩とは…」        K.T(1年)兵庫県神戸市出身

 みなさんにとっての憧れの先輩は、どういう人ですか?性格がいい人、スポーツが出来る人、勉強が出来る人など、様々な場面で憧れの先輩というのは存在していると思います。

 今回は、僕の憧れの先輩についてお話します。僕はもう卒業してしまった3年生のHさんに憧れています。色々な面で憧れているのですが、その中で一番憧れているのはバスケです。高校からバスケを始めた僕にとって、Hさんとは雲の上のような存在でした。ドリブルが上手で3Pシュートもよく入る。3Pシュートを武器にしたいと思っていた僕にとっては、理想のプレイヤーでした。その他にも、試合中に誰よりも声を出し、シュートを決めた人には「ナイシュッ!」と声を掛けている姿を見て、「かっこいい。僕もこんなプレイヤーになりたい」といつも思っていました。そのHさんに追いつこうと、僕は朝練や昼練を頑張ってきました。そんな話を友人にすると、友人は思いがけない言葉を発し、その言葉に僕はハッとさせられました。「その人に憧れて、その人を目指していると、その人以上のプレイヤーになることは出来ないし、その人を超えることが出来ない。」僕は、いつの間にかHさんがこの3年間では超えることが出来ない存在だと思い込んでいました。それはもちろん、バスケを小学校からずっとやってきた人と高校から始めた人では、絶対に小学校から始めた人の方が経験豊富で上手だと思います。しかし、それだといくらきつい練習をしたとしても、その人を目標にしているから超えることが出来ないということを友人の言葉で気付かされました。もしかしたら、僕が今からとても練習をして、2年生で急成長し、3年生の頃にはHさんを超えるプレイヤーになっているかもしれません。だから今、僕が憧れているバスケットプレイヤーはいません。憧れの人を決めてしまうと、その人が限界地点になってしまうからです。あとの2年間で僕はバスケでHさんを超えることが出来るように頑張ります。2年後の僕に期待していてください。

 みなさんには、憧れの先輩がいますか?もし、憧れの人がいるのであれば、その憧れの人の一歩前を目指してみてはいかがですか?その人を目指していると、その人以上のことは出来ません。「憧れの先輩なんていない」という人がいるのなら、自分を磨いていってください。あと1ヶ月で新入寮生が来て、今の1年生が先輩、今の2年生が最上級生となります。新1年生は、不安な気持ちで入寮してくる子も少なくないと思います。みなさんも入寮する時は不安でいっぱいだったと思います。そんな1年生の憧れの先輩になれるように、みなさんで頑張りましょう。

 

 

「生活=プレーや!!」        S.K(1年)東京都北区出身

 ついに一年生最後のお話になりました。次にお話をする時は、先輩として後輩にお話することになります。そこでこの光風館に来て、自分が変わったことをお話します。

 私はこの敬和に来る前は、ゲームばかりをしているただただゲームが好きでした。そのせいで、私の私生活はダラダラのグチャグチャ……。光風館に入り、寮生活をしていく中で、私はその私生活のだらしなさで友人や先輩、自由さんに怒られました。しかし、私は怒られていても、その言葉があまり心に響きませんでした。なぜかというと、その頃の私はあまり寮生活を意識しておらず、寮生活をただ流していこうと思っていたからです。

 しかし、私はその考えを変える出来事に出会いました!!それはラグビー部に入部したことです。「ラグビー部に入って変われるの?」と思ったあなた、安心してください!変われますよ。私はラグビー部に入部して、とても重要な考えを知りました。それは入部して数ヶ月目の時、野間先生が拳を握りながらこう言いました。「生活=プレーや!!これは、ラグビー以前にどのスポーツでも心掛けなければいけないことだ!生活はプレーに必ず出る!」そう言われて、僕はだんだんとその言葉の意味を理解し、生活習慣も少しずつ直していくことが出来ました。スポーツをする・しないに関わらず、生活習慣は大切なものです。みなさんも生活習慣を見直してみてはいかがでしょうか?

 

 

 

「牧師の息子」          O.S(2年)兵庫県神戸市出身

 みなさんはこの敬和学園に入学して良かったと思ったのは、いつですか?寮生活している時や学校で遊んでいる時など、人それぞれだと思います。私は「親の仕事」の話をしている時です。知っての通り、私の親は牧師をしています。私は中学時代、家のことでからかわれる時がありました。献金のことを「あいつの家に行くと金を取られる」と言われ、讃美歌のことを「なんか歌っている」など、親の仕事の話になると決まって、そんな話になりました。私はそんな宗教に対する偏見がとても嫌いでした。牧師の息子だからとイジめられたことはなかったのですが……「人と違う」というその一点だけがとても嫌でした。

 そんな中、進路を考える時期になり、叔母の勧めで敬和学園を知りました。学校見学に来た時、小西校長と話をしました。校長先生は「ここでは、キミの立場が普通になる。」と、私に言いました。最初は何を言っているのか、わかりませんでしたが……いざ寮生活を始めてみると、その意味がわかってきました。ここには、牧師の子どもがたくさんいました。とても驚き、それと同時にとても嬉しかったことを憶えています。この敬和学園に来てからは、中学時代にあんなに嫌っていた“牧師の息子”というレッテルが“牧師の息子”という共通点をきっかけとして、友達になった人も少なくありません。

 みなさんも今の敬和生活を「つまらない」で終わらせるのではなく、卒業した時に「まだまだ過ごしていたい」と思える生活を送ってみましょう。そのために何をしていくべきか、もうすぐ入ってくる新入寮生に尊敬される人を目指してみませんか?



2016年3月14日月曜日

大望館通信 2016年3月13日 第244号

<歩む道を決めるのは大切、その道でどう生きていくかはもっと大切>

 46回生に送った言葉です。3年前、46回生10名と一緒に私は大望館に来ました。あっという間の3年間、苦楽を共にするという言葉がぴったりな学年でした。人数が少ないことで苦労したことも少なくありませんでした。さらに人数が減っていくという悲しい経験もしましたが、うれしいこともありました。2年、3年と新しく入寮を決めてくれた子がいたり、留学から帰って来た子がいたりと、卒業時には11名の生徒が大望館を巣立っていきました。たくさんの出会いと別れを経験した、激動の46回生でした。今後の道を考えることはとても大切なことですが、結局のところ、選んだ道でどう生きていくかを考える方が大事なことだと思っています。これから待ち受ける厳しい世界でも、敬和で身に付けたものを大切に、一歩一歩進んでいって下さい。心から応援しています。

 さて、残された1、2年生もあと数週間後には1つ学年が上がり、また一歩大人へと近づいていくことになります。その為に連日のテスト勉強に励んでいるところですが、最後まで頑張って、今の学年でできることをやり尽くしてください。

 46回生が卒業してから、今の大望館の現状を振り返り、たくさんの話し合いを重ねています。まだまだ答えを見つけるまでには時間がかかりそうですが、みんなが一つの事を真剣に考え、取り組んでいくことには必ず意味があると思います。『自分は自分、他人は他人』ではなく、同じ大望館の仲間として、数ある課題を自分のこととして捉えて、考えられる人になってほしいと思います。

 今回載せた二人のお話は、まさに今後の大望館を考えていくきっかけになるお話だと思います。人の話に真剣に耳を傾け、意見を尊重して、自分の成長の糧として下さい。今後のみんなの働きに期待しています。(堀越)

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<礼拝のお話>

「理解し合える大望館を目指して」 M.M (1年 愛知県名古屋市)

 いきなりですが、今から私の言う2つの事を想像してみてください。

 1つ目は、あなたは道を歩いています。歩いていると道の真ん中に大きな木が1本生えています。皆さんはどう思いますか。いろいろな捉え方があると思います。例えば、「邪魔だな」とか「立派な木だな」と思ったり、何とも思わず避けて通る人もいると思います。

 2つ目は、あなたはジャングルにいます。食べ物を探していると果物を見つけました。その果物はとてもおいしいみたいですが、とても臭い匂いです。皆さんはどうしますか。これも色々な答えがあります。臭いから食べない、我慢して食べる、人それぞれです。

 話は変わりますが、みなさんは他人の事をどう思いますか。仲の良い人や気が合う人、尊敬している人、人によって同じ人でも見方は変わります。中には嫌いな人や苦手な人もいると思います。先ほどの木の話に戻りますが、道の真ん中にある木を、邪魔だから消えろと言っても消えません。木に悪口を言っても、何を言っても変わることはありません。しかし、人と木は違います。人には心があります。悪口を言われたら誰だって傷つきます。悪口を言われた人にも非があるかもしれませんが、それもその人の個性かもしれません。その個性をどう捉えるかはみなさんの自由ですが、悪口を言うのは意味がありません。そんなことをするなら、その人を理解する努力をした方がいいと思います。皆さんは、相手の悪いところを見つけたら、その悪いところだけに捉われていませんか。

 2つ目の果物の話を思い出してみてください。臭いという悪いところに捉われて、食べずにいるとその果物がおいしいということはわかりません。悪いところがあってもきっといいところもあると思います。悪いところもその人の個性です。いいところしかない人なんていないと思います。要は皆さんの捉え方次第です。相手を理解して受け入れることができれば、きらいな人や苦手な人とも少しは仲良くできると思います。実際それはすごく難しいことかもしれません。しかし、皆さんが努力すれば、この大望館は上辺だけの関係ではなく、互いを理解し合える1つの大望館として、みんなで成長していけると思います。私はそういう大望館を目指していきたいと思っています。

 

 

「独りぼっちになる時間」 H.R (1年 新潟市北区)

 今日は自立するという事について話したいと思います。皆さんは寮生である自分についてどう捉えていますか。親しい友人が通生の何倍も作れる。毎日お泊りしている様で楽しい。寮ならではの通生に自慢できる魅力があるなどが挙げられます。しかし、私はそういう意見にも賛成ですが、実際は通生と関わることの方が好きです。何故ならより気が合うタイプの人物と巡り合える確率が高いからです。そして寮生よりも遊びに行く頻度も高いからです。関わりたい人だけをピックアップして楽しい時間を過ごせますし、程よい距離感で新鮮度と友好関係を保てます。敬和の同級生の1割も占めないこの空間の中で誰よりも仲のいい友人を作れた人はそんな多くないのかもしれません。

 自分の周りの人たちを見渡してみてください。互いに寮生同士でなければ一生話すことがなかったかもしれない仲間たちではないでしょうか。寮生は元をたどれば最初はみんなが烏合の衆として、似たような志を持っているとはいえ、他人同士適当に束ねられてしまった集団とも考えられるのです。通生と比較して距離が密接でいつ何時でも、この寮で一緒に暮らさなければなりません。

 ではなぜ、寮教育は大切なのでしょうか。私の意見としては、楽しい事や生きがいを感じることを時間の限りやり尽くすのではなく、逆に辛いこと、やりたくないこと、勇気を伴う事をやっていく、それが寮生活であり、その覚悟を持って敬和に来たのが寮生のみんななのではないかと考えます。なぜなら、みんなは自分自身で寮生活という道を選んだからだと思います。だから寮生活に泥臭くたくさんの事を学び、色々な見方や視点に触れ合い吸収し、ぶつかり合い、葛藤を繰り返し、自分を求め、形作っていくのが寮生活であり、どんな自分の事も受け入れてくれるのは、ここにいる大望館の人達だけなのではないでしょうか。だとすれば、せっかく周りにいてくれる運命のいたずらとも言える仲間たちと思いきりぶつかり合い、自分の本当の姿や本音をさらけ出してみてはいかがでしょうか。

 今、この大望館は、様々な問題に悩まされています。でもその根底にあるものは、全体としての連帯感や信頼感の低下ではないでしょうか。中には個人やグループ、学年を超えた嫌悪感、不信感も原因の1つかもしれません。そのような自分と他人を隔てる壁は、大望史上最悪の事態を招きかけているのかもしれません。寮というのは社会の縮図だと思います。この自分の家とも言えるこの寮で、自分の思考を抑え、ただただ寮の規則だけに縛られた生活を想像してみてください。そこでたまった不満はどこまでも大きくなり、その人の未来は好ましいものとはならないでしょう。それでは寮の意味がありません。

 しかし、この超密接空間だからこそ習得できることもあります。それは先ほど言った、辛いこと、泥臭い事にも共に立ち向かうこと、個性と個性がぶつかり、見つめ直し、理解し合う事だと思います。広い世界と視野でもって、互いにありのままを共有し、成長していけるという大きなメリットがあるわけです。

 そのために必要なことは、自立だと思います。ぶつかり合う、語り合う、輪を広げる、これらに必要なことは、一人一人のしっかりした自立の精神だと考えます。そのために私たちが心がけることは何でしょうか。わたしは「独りぼっち」になる時間を作ることを提案します。ぼっちになるには勇気がいります。でも、決して恥ずかしいことではありません。一人でいることで自分を見つめていくことで自我を持ち、自我を持つことで初めて自立した人間になれると思います。私は同級生1人、中学生4人、小中合計で13人の学校から来ました。いつも対立していた同級生や、ゲームやアニメの話題ばかりで現実逃避する後輩とはわかり合えず、いつもぼっちでしたが、そのおかげで心の整理がつき、自分とそこに集う人達と向き合って生活を送っていけました。逆に大勢の人に混じって生活していると、我を忘れて人や空気に流されやすくなります。ぼっち回避のために人に紛れるなんて損してます。そんなのは本当の姿じゃなく、会話や生活に自分の存在意義なんて見出せません。

 しかし、人と関わることも大切です。その時はどうか、ただ受け流すだけでなく、自分を比較してみたり、言葉を吟味したりして下さい。相手を尊重して思考を理解して、自分の栄養にして下さい。相手の一言が自分を左右するかもしれません。薄っぺらい上辺だけの大望生ではなく、1つの勇気と1歩の前進から大望館を良い方向に進めていきたいというのが私の思いです。

 間もなく今年度も終わり、新年度から新しい後輩を迎えます。私たち大望生がそんな意義のある、自立した集団になれるように一人一人が前進していけたらと思います。

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餃子パーティー

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48回生交流会

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修了礼拝 大望生出し物

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46回生と寮長



光風館通信 2016年3月13日 第468号

< 誕生日おめでとう! >

 2月28日(日)に1〜3月合同誕生会を開催しました。
0313_ko01 今回のリクエストは『美味しいパスタをお腹いっぱい食べたい』でした。そのリクエストに応えて「ベーコンとニンニクの芽のペペロンチーノ・明太子クリームのパスタ」を合わせて1.2kg作りました。いつも夜食で作っているパスタは1種類ですが、今回は2種類作ったので、いつもより時間と手間が掛かってしまいました。パスタは時間が経つごとに麺が伸びて、美味しくなくなってしまいます。ちょうど良い硬さに仕上げているので、急いで持って行き、写真を撮って「いただきま〜す!」と食べ始めるまで1分掛かったかどうか……。勢い良く食べ始めて、「美味っ!」とがむしゃらに食べていく1〜3月誕生者たち。ガツガツ食べていたのが少し落ち着いてきて、会話も増えてきました。「僕、ライトさんと同じ誕生日なんですよね〜いやぁ嬉しいっす!」と喜んでいたのは、K.T君(1年)。自宅学習期間を終えた3年生が帰寮した日に誕生会を開催し、久しぶりに3年生と会えたことを心から喜んでいました。3年生と一緒に過ごす時間が懐かしくもあり、3年生との別れが間近だから寂しくもあり、そんな雰囲気がありました。

0313_ko02 その時、一人が口を開きます。「二人は同じ誕生日なんですね。あれ?僕と同じ誕生日のTがいないっすよ……何しているんですかね?」と気付いて、また食べ始めていたのはM.K君(2年)。「あぁ!ホントだ!!」と声を上げ、私が急いで部屋まで見に行ったところ、彼は誕生会を忘れて爆睡していたのでした。
 翌日、「自由さん、誕生会を忘れてしまってすみません!本当にすみません!!」と謝り倒してくる彼に私も「こちらこそゴメンよ」とお互いが謝罪を繰り返しました。それは傍から見れば、ボクシングの試合で見るパンチの乱打戦のような“謝罪の乱打戦”に見えたのではないでしょうか。数日後、彼のためだけに明太子クリームのパスタに作り、喜んでくれた姿を見て、少しホッとしました。食べ終わった彼は、とても嬉しそうにして私のほうへ来ました。彼から「ありがとうございました!」との“感謝のワンツー・コンビネーション”をもらったのは、言うまでもありません。そんな素直な彼に私はノックアウトさせられました。
 これで光風生全員の誕生会が幕を下ろしました。この誕生会からいろんなエピソードが生まれましたね。1年で1回しかない誕生日は大切だし、その年にしか集まれないメンバーでお互いに祝うことが出来たら、幸せな時間になると信じています。光風生ひとり一人がそんな時間とお互いの存在を大切にしてほしいと願います。そして、何よりもみんなが喜んでくれたら、私は嬉しいです。また、来年度の誕生会を楽しみにしてください。(片岡)

 

 

< 部屋替え〜宝探しゲーム編〜 >

0313_ko03 2月21日(日)今年度最後の部屋替えをしました。今回は部屋替え発表を特別な方法で行いました。いつもは部屋割り表をホワイトボードに貼り、当てられた人が「○室の上から□番目の人」というように次の人を当てていき、自分や同室のメンバーが徐々にわかります。しかし、今回は違います。光風館内の至る所に名前と部屋番号を書いた紙を隠し、自分の名前を探しにいくような宝探しゲームのようにしました。行事委員のT.S君・S.M君(2年)にも協力してもらい、それぞれが知恵を絞ってなかなか見つからないところに隠していきました。公衆電話のおつりが出るところや談話室のリモコンの裏、ゴミ箱の蓋の裏やピアノの鍵盤、廊下にあったカルピスソーダの缶の裏など、様々なところに隠しました。他人の紙がどこにあるか教えることは禁止とし、私からのヒントのみとしたため、全員が見つかるまで40分程かかりました。全員が見つけ、ホールでそれぞれが顔合わせをした時には、今までにないくらい大盛り上がりをしました。
 今回の部屋は、新1年生を迎え入れるための部屋替えです。来年度はほぼ全てが4人部屋になります。新入生を気持ち良く迎え入れるためにも荷物整理を徹底してください。今まで以上に厳しくチェックするのでよろしく!(片岡)

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< 礼拝のお話 >

「挑戦して感じたこと」 S.R(1年)神奈川県綾瀬市

 僕は一月の入試労作をした時、ガッチガチな中学生を見て去年の自分を思い出しました。僕も今年の受験生同様、入試直前には緊張でぶるぶる震えていました。以前は「どうせ俺なんて……」とやる前から諦めていましたが、素晴らしい出会いがあり、僕は敬和への入学を決意しました。僕が中学生だったある日、父親から衝撃的事実を知らされました。「高校に入るには勉強しなきゃいけないぞ!」………焦りました。僕はそれまで勉強をしたことがありませんでした。とりあえず、オープンスクールで買った過去問を開きましたが、一問もわかりませんでした。でも、わかろうと努力したら、友達や先生が優しく教えてくれました。そのため無事合格することが出来ました。それは、それまで何もしてこなかった僕にとっては、初めての挑戦でした。

 敬和に来てからも似たような体験をしました。賛美歌発表会で僕はピアノを弾きました。ピアノは小さい時に習っていたのですが、真面目にやっておらず実力は素人でした。でも、僕のクラスにピアノを弾ける子がいなくて、賛美歌に一番詳しいという理由で僕になりました。しかし「お前には任せられない」と言われ、一時は降ろされましたが、友達が「そんなのおかしいだろ」と話してくれました。友達と話し、言いたいことは山ほどあったのですが、僕は喋る気力も無くて黙っていました。友達にいろいろ言われましたが、それが悔しくて頑張りました。その日から本番まで毎日ピアノを弾き、何も出来ない僕に周りの人は助けてくれたおかげで本番までには弾けるようになりました。

 みなさんも出来ないから諦めるのではなく、出来ないからこそ挑戦してみてはいかがでしょうか?頑張っていると仲間が助けてくれます。寮ってそういうところだと思います。お互い助け合いながら生活していきましょう。

 

 

 

「真似から得るもの」  I.K(1年)新潟県柏崎市

 私はモノマネが得意です。得意というより好きでした。モノマネといってもお笑い芸人のような人を笑わせるようなモノマネではありません。

 私は小学校3年から中学校3年の7年間野球をしていました。野球を始めた時からモノマネをしていました。モノマネの相手はプロ野球選手です。始めは大好きだったイチロー選手でした。そこから体が成長するごとに真似る相手は変わっていきました。長島茂雄のスローイング、T-岡田のノーステップ打法、マートンのバットコントロールなど……。

 小学校6年の頃でした。私の打撃フォームが完成し始めた頃でした。今思えば贅沢なフォームだったと思います。松井秀喜のような構えに、マートンのバットコントロール、運び、元西武の中島選手のフォロースルー。部分部分で様々な選手の真似をし、それを自分の体に合うように調整し、馴染ませていきました。そのフォームが完成した頃、試合でも結果が出て、市の選抜のチームに選ばれることが出来ました。私の自慢出来ることは選抜チームに選ばれたことや、モノマネが出来ることではありません。いい結果が残せるよう何度も選手のフォームを勉強していたことだと思います。

 モノマネは簡単に出来ることではありません。しかし、良い人や良い存在の真似をするだけで結果はついてきます。私で言う良い人はプロ野球選手でした。みなさんも憧れの人、なりたい人などいると思います。こののぞみ寮・光風館の中にもそのような存在がいると思います。例えば部屋がきれいな人、毎日勉強をする人、早寝早起きで朝ご飯に遅れない人など、挙げたらきりがないほどそのような見習う存在が溢れています。光風館のみんなはひとり一人に良いところがあります。それをみんな真似し合えば、より良い寮生活を送れると思います。寮生ひとり一人をよく見て、良いところは真似をし、悪いところは注意し合う、そのような寮生活になるようしたいです。

 

 

 

「嘘をつきすぎると……」 K.Y(1年)新潟市西蒲区

 みなさんは嘘をついたこと、または嘘をつかれたことはありますか?たぶん、嘘をついたり、嘘をつかれたりしたことがあると思います。もちろん、僕もあります。

 では、人はなぜ嘘をつくのでしょうか?人が嘘をつく理由は、大きく分けて7つあります。相手のためを思ってつく嘘、その場から逃れたいからつく嘘、嘘をついていることに本人も気付いていない嘘、はじめは嘘をついていないつもりが結果として嘘になってしまう嘘、楽しさからくる嘘、悪意のある嘘、その他の嘘があります。

 僕の経験上、人に嘘をつくと良くないことが起こります。それは相手に嫌われることと信頼を失うことです。昔、ほんの小さな嘘をついてしまったことで、友達とケンカをしてしまったことがあります。また、そのほんの小さな嘘が段々と大きな嘘になり、取り返しのつかない嘘になってしまい、周りの人にたくさん迷惑をかけたこともありました。この時、嘘をついたことをとても後悔しました。このように、嘘をつきすぎるとその人の信頼を失い、人間関係が壊れてしまい、相手を傷付けてしまうことがあります。

 みなさんも嘘をつく時は、注意してみてはどうでしょうか?



2016年3月7日月曜日

みぎわ館 第230号(3月6日)

☆おかえり!そして、いってらっしゃい☆

  2月29日、3年生が元気に、逞しく、のぞみ寮を巣立っていきました。

  2月28日、3年生が1か月ぶりに帰寮しました。

0306_mi01 「ただいま~。」と友愛館にやってきた3年生たちの姿を見つけた時、どんなに嬉しかったか!私自身も、3年生の帰寮をこんなに楽しみにしていたんだ~、なんて思ってしまったほどです(笑)。「おかえり~!」と声をかけながら、なんだか少しお姉さんになって帰ってきたみんなの笑顔が活き活きしていて、とっても嬉しかったです。そして、3年生がいるとなんだかホッとする~と、居心地の良さを感じたのは私だけではありませんでした。久々にみぎわ館に1・2・3年生全員が集合し、にぎやかに夕食を共にし、心を合わせて礼拝を守り、自習時間も自由時間も消灯時間もある生活を共にした2日間。「あ~、落ち着くわ~!」なんて言ってくれる1・2年生と3年生たち。のぞみ寮が46回生みぎわっ子にとって第二の家・家族となっていることを改めて実感し、とっても嬉しくなりました。
 このメンバーがそろっての最後のみぎわ館礼拝では、担任として共に暮らし、共に悩み、共に喜んできた榎本先生から3年生一人一人へのメッセージが。あ~、そんなこともあったなぁ……、先生はそんな風に受け止めてくれていたのか……と、涙あり笑いあり、大きくうなずく姿ありの温かい礼拝となりました。

0306_mi02 自習時間明け、3年生の部屋(3年生は4階の畳の広間で2晩泊まりました。)に顔を出すと、長い旅路と久々の寮生活に疲れたのかぐっすり寝ている人あり、小さく固まってみんなからのメッセージを読んでいるグループあり、マッサージし合っている人たちありと、思い思いに過ごしていて、これもまた46回生みぎわっ子らしいなぁと笑ってしまいました。気負わず、自分らしく居られるようになったのはいつからだったっけなぁと、彼女たちの3年間を振り返り、いろんなみんなの泣いて笑って悩んで怒って喜んでを思い返し、堂々と胸を張って、仲間と認め合いながら寮修了・卒業の時を迎えようとする彼女たちが頼もしかったです。(思い返しながら、一人でじわっと涙ぐんでみたり、思い出し笑いをしてみたり……そんな私の姿を見かけた人がいなかったことを願います!(笑))

 46回生みぎわっ子の様子を見ながら、3年生にじゃれつく1・2年生の様子を見ながら、みんなで守る礼拝も、みんなと食べる食事も、みんなと語り合うコイバナも、笑い転げるバカ話も、毎日毎日普通にしていた事柄が、当たり前になっていた事柄全てが、普通の事ではなく、本当にスペシャルなことだと改めて実感させられました。ここでの出会いを、仲間との関わりを本当に大事にしたい、そう強く思わせてもらいました。

 3年生たちは入寮した時から、頼もしい人たちだったわけではありません。関わり合うことを怖がり、自分を出せず、人も自分も認められず苦しんでいました。孤独を感じて辛がっていました。でも共に暮らす中で毎日ちょっとずつ、一人ずつ、変化するようになっていきました。

0306_mi04 みんなに助けを求めてちょっぴりでも手を伸ばせるようになりました。その手を見つけられるようになりました。ぐいっと引っ張ってやれるようになりました。一人で引っ張り上げられなければ、周りに助けを求めてみんなで協力することができるようになりました。引き揚げてもらった人は、次のだれかの伸ばした手を見つけようと心を配るようになりました。そんな変化を毎日繰り返し、毎日を仲間と共に過ごしながら、今では大きな成長をこの3年間で遂げたと自分で胸を張って言えるようになりました。誰一人例外なく、自分で自分の成長を仲間に話せるチームって本当に素敵だなぁと思います。そして、その話を「確かに!」って認めて合って聞けるチームって、本当にかっこいい!人は人の輪の中で磨かれていくことを、みんなの3年間を通して教えてもらいました、ありがとう!

 これから3年生たちはそれぞれの夢に向かって新しい歩みを始めます。「人生は航海なり」とフランスの詩人ユゴーは言いました。みんなは敬和学園という、のぞみ寮という港をいよいよ出港し大洋を航海します。凪もあれば、時化もあります。楽しい時があれば困難な時もあります。どんな時でも、ここで出会った仲間との時間を力に変えて、ここで出会った仲間にいつも覚えられていることを胸に、逞しく生き抜いてくれることを祈っています。素晴らしい3年間をありがとう!いってらっしゃい。

(森口)

 

 

 

☆待っています!☆

0306_mi05 3年生を送り出して余韻に浸る間もなく、1・2年生にはやらなきゃいけないことが山積みです。まず、テスト!ギャー、もう1週間前じゃん!の叫びと共に、今年度最後のテスト、第5定期テストが目前に迫ってきました。10日から15日まで続くテストに、さっと気持ちを切り替えて挑めるみぎわっ子たちのなんとも頼もしいこと。上手に気分転換を入れながら(ラーメン食べたり、レッグマジックで美脚を目指したり、ジャニーズ映像で癒されたり……)、自習時間も夜の点呼後も机に向かい勉強するみんなの姿に、私も頑張ろう!と思わされています。(何を?って?……いろいろだよ、いろいろ!)
 そして、1年生を迎える準備もやらなきゃいけないことの一つです。でもこれはやらなきゃいけないというより、やりたこと、ですね、みんな!1年生を迎える準備と一言で言っても内容はいろいろあります。自分の部屋に来る1年生に向けてお手紙を書くこと、迎えるお部屋はこんなお部屋だよ!と写真撮影も。1年生が気持ちよく入寮できるように環境の整備も、です。だけど、一番大事なことは先輩たちの心を整えること。47回生は3年生に、48回生は2年生になって、49回生・1年生を迎えるのです。自分たちの心を整えて、チームをより強固なものにして1年生に「Welcome!!」って言えるように、終業までの時間を大切に積極的に使っていきましょう!

(森口)

 

 

 

☆礼拝のお話☆

「新しい挑戦は自分の可能性を広げること」            T.A(2年)

 私は冬休みに郵便局でアルバイトをしました。事前説明会の時に、法律で禁止されている事柄の説明があり、それらの事は絶対にしないようにと言われました。ダメなことはダメだとなんとなく理解はしていましたが、どこか他人事のように思っていたところがありました。もちろん、小さいころから周りの大人に「これは絶対やってはダメだよ」と言われたことは守ってはいましたし、学校の授業でも学ぶことがありましたが、でもやはりどこかで自分にはあまり関係のないことだと思っていました。それが、人生初のアルバイトの事前説明会の最初に「法律に触れることはするな!」と強く言われ、自分の生活に本当は密接しているもので、とても大切な事、重いことなのだと知るところから私のアルバイトは始まりました。

 そして実際に仕事が始まると、私は法律に触れていることしていないかなとか、他のバイト仲間と仲良くなれるかなとか、仕事で失敗しないかなとか、不安だらけでスタートしました。そして何より年賀状の膨大な量に驚きました。数えるのも嫌なほどの大量の年賀状、それを本当に短期間で仕分けし届けることができるのか、やりきれる自信はなく、不安でいっぱいでした。これまで私の家に届く年賀状ですら、たくさん来るなあと思っていましたが、そんなの比ではありませんでした。

 もう一つ驚いたことは、バイトの休憩時間に私以外の人たちはみんな、スマホと過ごしていたことです。スマホ依存という言葉を耳にはしていましたが、実際を目撃し、「大丈夫か、日本!?」と心配になりました。

 仕事にも慣れたころ、私の気持ちにも余裕が出てきました。引っ込み思案な私ですが、勇気を振り絞り何人かに自分から声をかけ、話せる仕事仲間もできました。仕事がこなせるようになった自信が、自分から声をかける行動につながったのかな、と少しうれしくなりました。

 たった10日間のアルバイトでしたが、とても勉強になりました。当たり前に届くと思っていた郵便物も、こうして人の手によって仕分けされ、人の手によって運ばれていた事は本当にすごいことで、感謝しなければいけないことだと思います。また、新しいことにチャレンジすることは、自分の可能性を広げることだという事も少しわかった気がしました。アルバイトに挑戦してよかったです。



2016年3月3日木曜日

光風館通信 第467号(3月1日) ◇◆◇46回生卒寮記念特集号◇◆◇

「自分の心の中にある宝箱」            片岡 自由(光風館担任)

 今日は「宝」について話したいと思います。みなさんは「宝」と聞いて、どんなイメージを持ちますか?ほとんどの人はお金を考えると思います。ほかにも部活をしている人はスポーツ道具や楽器なども宝として、大事にしていると思います。僕の場合はお金やスポーツ道具はもちろんですが、一番の宝は友達や家族です。なぜかと言いますと、友達や家族はかけがえのない大切な存在だからです。たとえ離れていても心は繋がっていると思います。

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 これから3年生は、高校卒業後ひとり一人が違う大学に行き、離れ離れになります。前にもお話しましたが、僕にとって光風生全員が家族なので、離れていても家族との絆がある限り、その繋がりは永遠に切れないと僕は思っています。ですので、僕はこれからも僕の宝を大切にしていきたいと思います。

 

 2・3年生のみなさんは、このお話を憶えているでしょうか?このお話をした彼は、当時2年生。自宅学習期間を控えた3年生である45回生を応援し、「友達・家族・光風生全員が自分の宝である」と、熱い想いをストレートに伝えてくれています。私は、この場で話している彼の姿を忘れることが出来ません。当時2年生だった彼のお話の中には、寮務教師としての私が伝えたい想いが凝縮されています。

 今日、46回生のみんなに伝えたい想い、みんなに教えたいことはたくさんあります。今日教えたいことは“自分の宝箱を開けるタイミング”です。自分の宝箱を開けると聴いて、疑問を持つ人もいるかもしれません。宝箱は他人のモノではなく自分のモノであるし、いつだって開けてもいいじゃないか。宝箱を開けるのにタイミングが必要なのか?と……。

 人はそれぞれ自分の心の中に宝箱を持っていると、私は考えています。それはモノやお金など見えるモノではなく、目に見えないモノ・想い出や経験が入っています。その宝箱に入るのは、大切な仲間の存在かもしれない。誰かと過ごした楽しい想い出かもしれないし、自分が成長を実感した経験かもしれません。また、あの時はつらくてしんどかったことも、今となっては笑い話という話のネタかもしれない。それら全ては、自分にとってキラキラと輝く素敵な宝物であることは間違いありません。でも、その中でほかとは少し違う輝き方をしているモノがあります。それこそ、今後の人生で大切にしてほしい宝物なのです。その宝物の正体は、自分の才能です。

 みなさんは「あなたの特技は何?」と聞かれたら、何て答えますか?私自身の特技と言えば、料理・スポーツ・音楽を上げます。料理でみんなを喜ばせることも出来るし、スポーツや音楽でみんなと一緒に楽しむことも出来る。でも、今はこうしてみんなの前で自信を持って「自分の特技はこれだ」と言うことが出来ているけど……みんなと同じ高校生だった頃は「わからない。趣味はあっても特技ってないかも…」と自信を持って言うことに恥ずかしさを感じていました。では、なぜ私が今、自信を持って言うことが出来るのか。それは経験を積んできたからです。つらくてしんどくて自信を失ってきた経験をしてきたからです。その経験こそが自分を一回りも二回りも大きく成長させてくれたことを実感しています。だからこそ、みんなの前で自信を持って言うことが出来ます。でも、これは特技の話であって、才能はまた少し違うと思うのです。

 聖書には「タラントのたとえ」という話があります。このタラントから派生して英語では“タレント”、日本語で言えば“能力・才能”、クリスチャン用語で言えば“賜物”という言葉になります。つまり経験から得た特技とは異なり、タラントとは神様からキミに与えられた賜物であり、あなたにしかない才能なのです。

 私はキミ達と一緒に過ごした2年間で、ひとり一人が持っている素晴らしいタラントをたくさん見て来ました。全体を盛り上げて、ぐいぐい引っ張っていく人。与えられた役割をしっかりと担い、完璧にこなしていく人。疲れている仲間を労り、優しく声を掛けられる人。感情的ではないけど、物事をいつも冷静に分析出来る人。全体を見渡してサポートしていく人など、上げたら切りがありません。そんなキミたちがここ光風館を卒業していくことは、正直寂しいけど……気持ち良く送り出したいと思います。

 新生活になれば、勉強も人間関係も一から始めなければなりません。でも、ゼロではないことを忘れないでください。3年前の自分とは違うのです。それは、ここ敬和学園で楽しかったこともつらくしんどかったことも含めて、素晴らしい経験をし、ひとり一人の賜物を生かして、しっかりと成長してきたからです。だから、自分の才能や賜物に気付き、自分自身を大切にして、自信を持ってください。今、キミがいる環境でキミにしか出来ない輝きがあり、キミの才能や賜物を生かすチャンスがあるはずです。

 でも、つらい・しんどい・頑張れないと自信を失う時、どうしても逃げ出したくなる時、落ち込んでしまった時、自分を見失いそうになった時、そんな時がこれからの人生たくさんあるはずです。そんな時こそ、どうぞ自分の心の中にある宝箱を開けてみてください。その中には、何が入っていますか?誰がいますか?どんな想い出や経験がありますか?そして、自分のタラント・才能・賜物はどんな輝き方をしているでしょうか?あなたはここ敬和学園でどんな経験をしましたか?どんな成長をしましたか?誰と出会い、どんな新しい自分に出会いましたか?

 これからの人生、自分のタラント・才能・賜物に自信を持って、自分にしかない輝きを大切にしてください。そして、感謝の気持ちを持って、生きていってほしいと願います。

 心から感謝の気持ちを込めて、卒寮おめでとう!今までありがとう!

(2016年2月28日各館礼拝)

 

 

 

< ラストメッセージ >

「敬和 敬和 敬和 永遠のふるさと」      S.G(新潟県上越市出身)

 1年生へ 4月からの寮生活、大変お疲れ様です。もうすぐで1年が経ちますね。今までの15年間から環境が激変。生活や人間関係など、大変だったことが多かったと思います。

よく頑張っている!偉い!……と言いたいところですが、今のキミ達がこの生活を過ごせているのは、先生方・先輩、そして何よりも親御さんの大きな支えがあるからだということを一瞬たりとも忘れてはなりません。感謝の心を持ちましょう。そして、キミ達はもうすぐ先輩になります。僕たちが見ることのない49回生を全力で可愛がってあげてください。大切なのは、後輩ひとり一人をしっかり見てあげるということです。みんながみんな、自分の思い通りの成長をするとは限りません。何か1つの物事でも1時間で理解してしまうような人がいれば、3〜4時間かけてようやく理解する人もいます。どんな人でも認め、受け入れる。そんな心の広い先輩になってください。期待しています。

 2年生へ 2年間一緒に過ごしたキミ達とは、たくさんの想い出がありますね。それらひとつ一つを言葉にしたくても、正直難しくて出来ません。僕からたくさん絡ませてもらいました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。次はいよいよ3年生ですね。1年生の頃、本当に未熟だったキミ達も、今では立派な光風生に成長しました。まだまだ心配している46回生も多いですが……僕はキミ達のことを信じ切っていますので、全く心配していません。残り1年、大変なことも多いと思いますが、自分を信じて頑張ってください。また必ず会いに来ますので、その時には大学生になったGさんと遊んであげてね。よろしくお願いします。今までありがとうございました!

 

 

 

「家と同じくらいに安心出来る場所」      S.H(福島県郡山市出身)

 “父親と24時間、同じ場所で過ごすのはイヤだから……。”これは僕が寮生になった理由です。でも実は、あとから取って付けた理由でした。本当の理由は、寮生活に興味を持って、楽しそうだと感じたからです。

 僕は以前、福島県に住んでいました。当時、姉が敬和学園で寮生活をしていて、その話を聴き、おもしろそうなところだと興味を持ち、入りたいと思っていました。中学生になっても、その気持ちは変わらず「高校は県外に出て寮生活をするんだ」と考えていました。ちょうどその頃、東日本大震災が起こりました。

0301_ko02 震災から1年後、父親から「敬和学園で働くことになった」と伝えられました。それと同時に「福島に残りたいか、一緒に新潟に来るか。」と、質問されました。家族みんなで新潟に行くか、父親だけが新潟へ行くか、または僕だけ福島に残るか、そのどれを選ぶかという質問でした。僕は「転校してみたい」という浅はかな考えで、一緒に新潟へ行くことを選びました。しかし、それは失敗でした。僕たち家族が引っ越したところは、新潟市西区で家の近くには中学校が2つありました。1つは普通サイズの学校、もう1つはマンモス校でした。僕が選んだのは、少し近くにあった普通サイズの学校でした。その学校の生徒は、みんな良い人だったけど……僕はうまく話しかけられず、友達と呼べる人は出来ませんでした。また、クラス担任ともうまくいかず、自分の世界にこもるようになりました。
 進学を考える時期になり、僕は第1志望に以前から考えていた敬和学園を選択しました。敬和学園を受験し、無事合格し、入学することが出来ました。そして、光風館に入寮しました。最初は、先輩たちのテンションに付いていけず、しんどかったことを憶えています。でも、入寮から2〜3ヶ月が経つ頃には、いろんな人と会話することが増え、心から寮生活を楽しめるようになりました。1年生の冬には、前任のM先生と一緒に十日町へ雪堀りに行き、今まで自分が経験していないことをして、自分で感じたり考えたりするきっかけがありました。2年生になる頃には、僕にとって、寮は家と同じくらいに安心出来る場所になりました。そして、家よりも楽しい場所になっていました。2年生になり、寮務教師が片岡先生に替わりました。そして3年生になって、指を大怪我して入院したり、心配や迷惑をかけたりしてしまったこと、このお話を書きながら思い出していました。

 この光風館でみんなと一緒に過ごせたことは、今までで一番幸せなことだと感じています。楽しかったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、いろんな想い出をみんなと作ることが出来て、幸せでした。今、1・2年生で寮生活がイヤだと思っている人がいるかもしれません。でも、この敬和学園を卒業する頃には幸せだと思えるように過ごしてほしいと願っています。

 

 

 

「誰かのために朗らかに」          W.T(新潟県三条市出身)

 この前、ふと『朗らか』の意味を調べて見ました。すると、今まで僕が思っていた意味とは違う言葉が並んでいました。『晴れ晴れとして明るい様』と書いてあったのです。今までの人生を振り返ってみると、全く『朗らか』ではありませんでした。晴れ晴れとしておらず、心から笑えていませんでした。どこから、『朗らか』になれたかといえば、敬和に入ってからです。朗らかになれたことで、人と深く関われるようになりました。友達がいて嫌になることもありますが、その気持ちよりも友達がいてくれることへの喜びの方が大きいと知りました。今まで誰にも言えなかった悩みを打ち明けられるようにもなりましたし、聞いてくれる存在がいるだけで安心出来ることも知りました。
 僕からみなさんに伝えておきたいこと、それは誰かの為に朗らかでいてほしいということです。笑顔でいるだけでは、駄目なんです。心から笑顔でいることで、その人を安心させ、その人との距離を縮めることが出来ます。今、僕はそんな人がたくさんいます。みなさんはどうですか?そんな人がいるでしょうか?もし、いるならそれは幸せなことですし、学校にそんな人がいるなら最高に幸せだと思うんです。僕は光風生の笑顔は、素晴らしいものだと思っています。太陽の様に人を照らし、人の心を温めることが出来ると信じています。実際に僕はその笑顔に救われた存在です。ですから、1・2年生のみなさん、このメッセージを通して、今後の敬和生活がより良いものとなるように期待しています。

 

 

 

「たくさんの人への感謝」             H.H(岐阜県下呂市出身)

 ラストメッセージで何を言おうかたくさん考えたのですが、全然浮かんで来ませんでした。ですが、敬和学園で三年間過ごして、とても大切だと思った「感謝」というキーワードについて話そうと思います。

 私たちは、一日を過ごしている中で感謝する機会はたくさんあると思います。朝ご飯での調理師さんへの感謝、先生への感謝、友人への感謝など、数えたら切りが無いほどあると思います。ですが、私たちはそのことを当たり前だと思ってしまい、感謝することを忘れてしまいます。

 なぜ、私が感謝することにこだわるのかというと、それは以前に母と話した時の一言でした。私の兄は、人と関わることがあまり得意ではありません。母とその兄の話になり、母は「お兄ちゃんに感謝しなさい」と言ってきました。内心「少しは感謝しているし……」と思っていたのですが、その後の会話でこのような話が出てきました。「もし、あなたが同じ立場だったら同じことが出来る?」兄は私が敬和で過ごしている間、いつも家の手伝いを文句も言わずやっていること。兄がそんなにお金がかかる道に進まなかったため、自分は大学で自分の学びたいことを学ぶことが出来ること。兄はその自分の進んだ道に対して、何も不平不満を言わないこと。この話を母にされたとき、私は泣きそうになりました。自分がこうして敬和にいられるのも兄のおかげなのだと感じることが出来たからです。

 その母の言葉は、本当にその通りだと思ったし、何よりそれは自分の身に起きてもおかしくないことだったからです。私は三人兄弟なのですが、「きっとその真ん中の兄が代わりになってくれたのだよ」と母は私に言ってくれました。その時、自分の今いる環境の有り難さに気付くことが出来ました。

 それ以来、私は兄に感謝すると共に、たくさんの人へ感謝の言葉を言うようにしました。私たちが学校に行っている間にも、寮内を清掃してくれる係りの方やたくさんの方の献金から新しい施設なども建設することが出来て、他にも様々な人に支えられ私たちは生きています。それをたくさん実感出来るのが寮生活だと私は思います。

 たくさんの人と過ごす中で、一人ではどうしようもない時や一人では感じられない感動があると思います。そんな時、それを当たり前にするのではく、その経験に感謝しましょう。そんな機会はこの寮でしか味わうことが出来ないものです。

 私たちは寮で暮らしています。この経験は、この先ものすごく役立つものになるでしょう。たとえ、今そう思っていない人がいても、この先そう思うことが絶対あると思います。私たち光風館はみんな家族です。たとえ卒業しても、支え合い生きていきましょう。敬和で出会った友達、先輩・後輩・先生方をこれからも大事にし、進んでいきます。

 

 

 

「光風館で過ごした3年間の宝物」       H.R(新潟市西蒲区出身)

 私が寮に入ったきっかけは、一人っ子であまり人と関わることがなかったことと、自分で何事も出来るようになるためでした。中学校までは何事も親に手伝ってもらってばかりいたので、自立しようと感じ、寮に入りました。

 入寮した当時は、まだ何もかもわからず、この寮で三年間生活していけるか、とても不安でした。しかし、同室の先輩が優しく丁寧に分かりやすく教えてくれたおかげで、すぐに寮生活に慣れるようになりました。そして二年生では、寮行事にたくさん参加したり、友達と会話したりすることが出来て、とても楽しかったです。その他にも、光風館に入っていなければ経験出来なかったことがあります。それは寮の仲間と遊んだり、カップラーメンを食べたりしたことです。

 私はこの三年間、光風館という家族のような関係性や環境で生活することが出来て、とても幸せでした。この光風館で過ごした三年間は、私にとっての一番の宝物になりました。一生忘れません。そして、こんな私と仲良くしてくれた同級生、後輩のみんな本当にありがとうございました。とても楽しかったです。みなさんには、いろいろ迷惑をかけてしまいごめんなさい。

 最後に、46回生のみんなはそれぞれ違う道に進んでいきます。もう別れてしまいますが、この敬和学園で学んだ三年間の経験を生かして、卒業後もいろんな目標に向かって挑戦していきましょう。辛い時は光風館での生活を思い出して頑張りたいです。私のことも忘れないでください。いつも側にいて共に歩んできた46・47・48回生のみんなに会えなくなるのはすごく悲しいですが……私は、これから自分の道を進んで頑張ります。

 

 

 

「過去の自分から今の自分へ」         M.H(新潟県三条市出身)

 ついにラストメッセージの日が来てしまいました。何を話したらいいのか、自分は何を伝えたらいいのか、毎日寝る前やふとした時間に考えていました。そこで僕がみんなに伝えたいことは、ここ敬和学園高校のキャッチコピーでもある自分探し、僕の言葉に変えると「変化・変わる」ということです。

 まず、僕は中学生の時に不登校を経験しました。それも数日や数週間ではなく1年半もの長さです。それ以前は、まさか自分が不登校になるとは思ってもいませんでした。理由としては、今でもハッキリしませんが人間関係に疲れてしまったのだと思います。2年生になる時にクラス替えがあり、友達はいたものの本音を打ち明けられる友達はクラスに1人もいませんでした。その頃の僕は、ただクラスでも部活でも気を遣っていて、ついにクラスでの息苦しさや部活でのプレッシャーに耐えきれなくなったのだと思います。そんな僕は、2年生の6月から不登校になってしまいました。不登校になった当初は、1週間だけと軽い気持ちで休んでいました。しかし、日が経てば余計に学校には行きづらくなり、ついには卒業までの1年半学校生活を送ることは、ほぼありませんでした。ほぼというのも1週間に2〜3日は保健室に行き軽く勉強したり、友達と話したりしていました。卒業前にクラスに行き、みんなで給食を食べ、昼休みに雪の積もったグラウンドでサッカーをしたことは、中学校での最後の良い思い出です。

0301_ko03 このような中学生活をしていたので進路を決める時は、もちろん普通科・全日制の高校は諦めていました。しかし、通信制や定時制の高校には行きたくなかった僕は、自分の未来に不安しか持っていませんでした。しかしある時、敬和の卒業生の友人を持つ兄や現六甲クラスの友達から敬和のことを知り、こんな自分でも受け入れてくれる可能性があるなら受験してみたいと考えるようになりました。その日からも週に2〜3日は保健室に通い勉強しました。そして迎えた入試の日、不安を持ちながらも内心「受かるだろう」と思っていた僕でしたが、結果は不合格でした。あとから、その時面接官だった碓井先生に聞いてみたらテストの点数が足りなかったみたいです。今考えればビックリですよね。しかしその時、不合格の結果を目の当たりにした僕は人生の終わりとも思いました。
 その日からは地獄ともいえる日々でした。食べ物はこんにゃくゼリーしか受け入れず、狂っていた生活リズムもさらに悪化し、次の入試が行われる2月半ばまでの約1か月の間で3キロ近く体重が落ちていました。しかし、ここで諦めたらそれこそ本当に人生終わりだと思い、保健室では先生に勉強を教わり、家では双子の弟に教わるという生活を続け、2月の入試では、ギリギリではあったと思いますが合格することが出来ました。その時は喜びというより、人生終わらずに済んだという安堵感が大きかったです。
 そこから僕の自分探しが始まりました。入学当初は、久しぶりの学校生活ということもあり、不安しかありませんでした。また入寮することを最後の最後まで拒んでいた僕は寮がイヤで仕方ありませんでした。しかし、一緒に入学した46回生や先輩方のおかげで徐々に学校にも寮にも慣れていくことができました。1年生の頃は中学生活のリハビリをしていた感じですね。そんなリハビリ生活にも慣れ、学校も寮も楽しく感じてきた僕ですが、まだ本当の自分をさらけ出すことは出来ていませんでした。相変わらず過度に気を遣ってしまい、疲れている自分がいました。しかし、同じ過ちを犯したくなかった僕は、少しずつ気を許し、みんなとの距離を縮めることが出来ました。そしてこれをきっかけに、徐々に現在のような関係を築くことが出来たと思います。

 みんなも聞いたことあると思います。「敬和はやったもん勝ち。自分から行動しなければ勿体ない」という言葉を。ということは、自分から目標を定め、それに向かって努力すれば、その努力は報われるのではないかと僕は考えました。敬和に惹かれた理由のなかに個人を尊重する教育理念もありましたからね。

 1年生の時は、毎日自分の生活のことで精一杯でしたが、2年生になり後輩も出来たことで少しは責任感も出てきて敬和生らしさというのも出つつあったと思います。しかし、慣れてきた生活に変化を欲していた僕は2年生の後期から、物事に対して積極性と向上心を持って行うことを心がけました。その結果、不安もありましたが体育委員長に立候補したり、部活でも責任感ある背番号を背負ったりすることも出来ました。また、進路を意識し始めたこともあり、評定平均を上げることもしました。慣れないこともあり、迷惑をかけたこともありましたが、支えてくれる人がいたからこそ、その都度壁を壊していくことが出来ました。3年生になり、最高学年ということであらゆることに責任と重圧がかかりましたが、その頃には、信頼できる仲間もいました。また2年間、敬和で多くの経験を積んだという自信もあったので、さほどプレッシャーは感じていませんでした。また1年生の頃から憧れていたフェスティバル総合チーフを経験したことは、あらゆる面で僕を成長させてくれました。

 このように、僕なりに自分の敬和生活を歩んできたつもりです。これも自分自身が変わりたいと強く願い行動した結果だと思います。僕は、本来変化を嫌って生きてきました。小学生の時は、地元のサッカークラブに入ろうとしたけど、自分に言い訳をしてやめたこともありました。後悔という言葉は、「後に悔む」と書きますが反対から読むと、少し強引ですが悔むに後で「悔んでも遅い」とも読めます。みんなにも僕みたいな経験があるかもしれません。でも、敬和で変化を嫌っていては、生きていけませんよね。親元を離れての寮生活、個性的すぎる人、そんな人の集まりである敬和では、常に変化が起きているといっても過言ではないと思います。みんなには、その人の波にのまれるのではなくて、みんな自身が波の起点となってほしいです。

 よくある例えですが、人の一生を24時間で表す時、寿命を80歳と考えたら、僕たち高校生はだいたい朝の6時です。これを早いと捉える人、遅いと捉える人いるも思います。普段の寮生活を考えたら、僕たち寮生はまだ夢の中ですね。起きるまで1時間もあり、トータルで18時間も残っているわけです。僕みたいに、多少スタートダッシュでつまずいた人でも変わることが出来たのだから、みんなにも可能性は無限大に広がっていると思います。でも敬和での自分探しや人生にはタイムリミットがありますよね。僕は何とかこの3年間で見つけることができました。それは、“支え、支えられる”のが僕の歩み方だということです。中学生の時には、支えることだけの自己満足で自分を傷つけていた僕ですが、今では自分の弱さを見せることも、ある種の強さということを敬和で学ぶことができました。支えながらも支えられるというのは、お互いが気を許しあったからこその関係だと思います。僕にとってこの関係性は理想であり、人生の歩み方でもあると思っています。みんなも焦らなくていいので敬和での自分探しを集結してほしいなと思っています。

 僕は卒業文集に、出会い、経験、感謝というタイトルをつけました。敬和での3年間をこの3つの単語で語ることは出来ないのですが、僕の中でこの3つの単語はかけがえのない言葉です。みんなと出会えたから今の僕がいるといっても過言ではないし、敬和での経験があったからこそ、今こうしてみんなに伝えることが出来ます。僕はこの出会いと経験に感謝せずにはいられません。

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「3年間で与えられたもの」        K.T(北海道札幌市出身)

 僕がこの敬和学園に入学してきた理由を入学礼拝挨拶では、「ただ学校のランク付けで学校を選びたくなかった」といいました。それは決してうそではありませんが、きっかけは別にありました。それは単純に家族と離れたかったからです。親との仲が悪いわけではありませんでしたが、僕は早く家を出て家族と離れた生活をしたいと思っていました。もともと敬和の存在は教会の人たちを通じて知っていて評判も良かったので、寮生活が出来るという理由でこの高校を選びました。しかし、敬和に入学する際、僕はひとつ目標を立てました。それはこの高校で将来の目標を見つけるということです。僕は中学生の頃、目標を持たず、学校ではただ勉強をしていました。もともと記憶力は良く、5教科では特に苦手なこともなく嫌いでもなかったので、ただテストで良い点を取るために勉強をしていました。その結果、進路を選ぶ時に何のために高校に行くのかがわからなくなり、漠然と公立高校に通うことをためらいました。だから、僕は敬和での3年間の中で自分がしたいことを見つけようと思いました。

0301_ko05 敬和に入学したと同時に、僕は光風館に入寮しました。最初の部屋の先輩は、いつも僕をイジってきました。僕は、それ自体はあまりイヤではなく、むしろ先輩と関わることが楽しかったです。しかし、その分先輩と多くの時間を過ごしていました。もともと僕は話すのが得意ではないので、なかなか同級生の輪に入れずにいました。また、学校でもクラスにあまり友達ができず、友愛館の隅でランチを一人で食べる日も少なくありませんでした。そんな状況が劇的に変わることはありませんでした。しかし、1年が終わる頃、僕は敬和の生活にすっかり慣れていました。大きかったのは、やはり寮でだんだんと受け入れられたことだと思います。自分を受け入れてくれる仲間がいることが僕の支えでした。クラスには最後まで馴染めず、部活でも必ずしもうまくいっていたわけではなかったので、寮で仲間といられることがすごく嬉しかったです。

 2年生になってクラス替えをしたことで友達も増え、寮の仲間とも本音で話せるようになりました。しかし多くの人と関わり、いろいろな考えを知った分、自分の行動が正しいのかどうか自信が持てなくなりました。特に、寮では自分の何気ない行動で他人がイヤな想いをすることもあり、変わりたいと思うようになりました。

 そんな時に出会ったのが哲学という学問です。哲学とは自分の人生をどう生きるべきかを考える学問であり、人との関わり方を考える学問でもあります。自分がどのように行動するべきなのか悩んでいた私は、哲学に興味を持ち本気で学びたいと思い、大学への進学を決意しました。

 そうして、僕はここで仲間と将来やりたいことと大切なものを得ることが出来ました。僕が哲学の勉強をするという将来の目標を見つけられたのは、僕がいつもそのことを考え、答えを求めていたからだと思います。聖書に「求めなさい、そうすれば与えられる」とあるように、敬和では本当に答えを求めれば必ず見つけることが出来ると思います。たとえば、自分を変えたいと本気で思うなら、礼拝や授業でのお話の一言一言に耳を傾けてください。そこには自分を変えるためのヒントがたくさんあります。また、もし何か興味のあることに本気で取り組みたいと思うなら、誰かその分野の先生に相談すれば、必ず挑戦させてくれるでしょう。ここは自分がやりたいことをするには、これ以上ない環境です。まだ僕たちには失うものは何もありません。いろいろなことに挑戦してください。

 敬和では望めばほとんどのものを得られます。しかし仲間は望めば得られるわけではありません。仲間は自分がいくら望んでも、相手が自分を受け入れてくれない限り仲間にはなってくれません。だから自分を受け入れてくれる仲間には感謝の気持ちを絶対に忘れないでください。

 そしてもうひとつ、部活動の講師に来てくれたプロのミュージシャンの方の言葉をみなさんにも伝えたいと思います。その人は、「何かをしていて楽しいのはルールがあるからだ」と言っていました。遊びでもスポーツでも、誰かがルールを破ったら何も楽しくありません。ルールの中で最大限自由にしようとするから、楽しいのです。寮でも一人がルールを破れば、寮が楽しいものではなくなります。当然、規則に縛られては楽しくありません。光風館生には規則を守りつつ、最大限に自由であってほしいと思います。みんなの活躍を期待しています。

 

 

 

「最高の家族」               T.T(新潟県柏崎市出身)

 僕は敬和に来て、この寮に入って良かったと思いました。僕の実家は民宿をやっているので、その手伝いをいっぱいやっていました。ですので、寮でやることはだいたい家と同じだと自分も親も心配はないと思っていました。ですがやはり、ちゃんと出来るかどうか心配になってきて、うまくいかなかったことがありました。少しずつ慣れてきて、大変だったことも辛いこともありましたけど、それらも乗り越えてここまで頑張ってきました。

 このことを考えてみると自分自身が変わったなと思いました。その理由は、寮に入る前は親の言うことを聞いてはいましたけど、すぐに行動をしないことがありました。ですが、寮に入ってから僕は変わりました。親の言うことを聞いてすぐに行動をするようになって、それどころか何か仕事はないかと積極的に言うようになりました。

 それと2年生になり新しい仲間が来て、彼が僕に話しかけてきて、いっぱい話をしました。そして、いつの間にかあまり話せなかった同級生にも話せるようになりました。僕はこの時、「自分はコミュニケーションを取ることが苦手だったのだ」と気付きました。もし彼が来ていなかったら、今の僕は昔の僕のままであまり変わっていないと思いました。このことを気付かせてくれた彼に感謝をしています。

 僕はみんなが家族のようで、いい想い出が出来てよかったです。特に寮祭や寮クリスマス、館クリスマスがいい想い出になりました。たとえ離れていても「家族との愛、友との友情・絆を忘れない限り、その繋がりは一生消えない」と僕は思います。

 

 

 

「ここに来てからの変化」          T.K(新潟市西区出身)

 いよいよラストメッセージを話すときがやってきました。僕は、この3年間を過ごしてきた中で、ここに来るまであまり感じることのなかったこと、自分にとってこれは成長出来たと思えたことがありました。

 中学の時までの僕は、もともと人に積極的に話しかけることが苦手でした。話しかけてもらっても「話しやすいな」と感じた人としか話せず、初対面の人になるとどう接すればよいのかわからず、あまり話すことが出来ませんでした。学校生活を過ごしていく中で、人と接することが次第にイヤになっていきました。人に対して心の壁を作って、人と関わることを避けていたし、性格や表情も暗くなっていきました。その結果、勉強に全く身が入らず、クラスにいるのもイヤになり、部活も中学2年の終わりから行かない時のほうが多くなっていきました。中学3年になってからも、あまり変わらず中学での3年間が長く感じられました。そんな僕にも進路を決めなければいけない時期がやってきました。母が僕に「少しでも自立してほしい」という願いもあり、寮のある学校を担任の先生に探してもらうことにしました。

 そして、勧められたのがこの敬和学園でした。入試に向けての勉強と面接練習を頑張り、無事合格しました。寮生として入学し、光風館での寮生活が始まりました。入寮当初は同じ館にいる人達とちゃんと関わり合えるのか、とても不安でした。でも同じ部屋の先輩方やほかの部屋にいた人たちが話しかけてくれたおかげで、気が楽になりました。その後も多くの人達と関わる機会が多くあったおかげで、今では自分からも話しかけられるようになったし、表情や性格も前よりも明るくなりました。

 この光風館で過ごした3年間でたくさんの人に支えられて、生活出来たことに感謝しています。今までありがとうございました。

 

 

 

「負から学ぶ」                S.E(兵庫県西宮市出身)

 僕は3年間、この寮でブロック長として生活を送ってきましたが、その中でどの館のブロック長よりも苦労しなかったと思っています。それは46回生の仲間が僕を支えてくれていたおかげであり、そのことは僕たちの強みだと思っています。しかし、そのせいもあって、あまり僕自身は自信を持った生活を送ることが出来ませんでした。思い返せば、大体の行動の裏にはコンプレックスがあり、悩んでばかりで「こんなはずじゃなかった。もっと上手くできたはず。俺よりあいつに任せておけばよかった」と思うことが多くありました。そのことについて少し話させていただこうと思います。

 僕が副ブロック長に立候補した時、隣には3人も人が並んでいました。1人は学力学年トップ、1人は3年生と仲が良くいつも物事の中心的な位置にいるような奴、1人は制服姿できちんとした原稿を作って選挙に挑んだ人でした。僕は「先輩に立候補しろよ」と言われるまで、立候補しようとも思わなかったし、特に準備もしていなかったため、演説も上手くはなく、選挙中は「絶対自分には無理だろうな」と思っていました。しかし、僕が副ブロック長に選ばれたとの結果を知り、嬉しさもありましたが驚きのほうが強かったのを今でもすごく覚えています。

 しかし、僕が副ブロック長になったその日の晩、僕の部屋に先輩が来て「俺はお前に入れてない。俺はお前よりもHが良かった。」と言い残し、僕の中に衝撃を走らせて帰って行きました。この言葉が衝撃的過ぎて、僕の中で何かある度に出てきては僕から自信を奪っていきました。寮クリスマスで思うように話が進まない時も、寮祭の準備の時も、ミーティングがうまくいかない時も、何か問題がある度に先輩に言われた一言が蘇り、「やっぱり僕じゃないほうが良かったんじゃないのか?」と自問自答し続けてきました。そして、それは今も同じで「ラストメッセージの最後が僕でいいのか?」と考えています。

 ラストメッセージを通して、人の変化を改めて目の当たりにするだけに、そう考えている自分に対して1年生の時からの変化の無さにコンプレックスを抱えることもあります。しかし、そんな僕だからこそ、みなさんに伝えられることがあるんじゃないかと思うことがあります。それを僕から後輩へ向けてのラストメッセージとさせてもらおうと思います。

 自分のことを悪く言う人の意見をないがしろにしないでください。僕の場合は、先輩に言われた一言がずっと頭に残っていたせいで自信こそ失いましたが、常に自分に反対する人のことを意識することで、その人たちも納得させられるように頑張ろうという気持ちにさせられました。例外ももちろんありますが、自分のことを悪く言う人は、大抵一理あることを言ってきます。その意見を所詮悪口と思っていないで、一意見として取り入れることは自分を成長させる大切な行為です。100点のテストに意味がないように、ほめ言葉だけを聞いていても成長しません。言われて腹が立つことほど、思いのほか自分でもその問題に対して思っていることがあるということです。寮内では人のことをたくさんの面から見ることが出来るため、たくさんの悪い面も見えてきます。寮の仲間の悪口にこそ、意味があります。おおいに喧嘩でもしてください。そのたびに成長があると思います。

 さて、今のを踏まえて聞いてほしいことがあります。3年の僕から見て1・2年生の君たちはまだまだです。自分の楽しみを最優先している節があります。もっと他人と関わってください。自分の学年に留まらずに、自分のグループにとらわれずにもっと会話を楽しんでください。1年生と2年生はあと1年間の時間があります。ぜひ僕たちとの関係よりも深い関係を築いてください。それだけ質のいい時間とチャンスがこの寮生活にはあると思います。人生は一度きりですが、その人生を通しての関係がこの寮では作り上げられると思います。みなさん、残りの敬和生活をより良いものにしていってください。

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