2016年1月27日水曜日

光風館通信 第465号(1月24日)

< 週一のミーティング“班会” >

 光風館では毎週日曜日の夜、22時30分点呼の時間に「班会」と呼ばれるミーティングを行っています。班とは学年ごとではなく、全15室を3部屋ごとに分けて、ひとつの班としています。このミーティングでは、連絡事項や食当(食事当番の略)の日程を確認します。この班で活動する時は、主に食当での配膳や皿洗いです。……というよりも“食当のみ”です。でも、班ごとに仕事をすることは、とても意味のあることだと思います。なぜなら、一緒に仕事をすることで上下関係を身体で感じることが出来る。与えられた仕事だけをこなすのではなく、率先して仕事する力を身につけることも出来る。2〜3年生は先輩として、指示を細かく出して人を動かす能力も求められるし、後輩を育てることも求められる。全員で協力して、ひとつの仕事を早く丁寧に終わらせることが出来て、達成感も得られる。

 でも、これよりももっと意味あることがあります。それは、班会の時間をひとつの部屋で1〜3年生が一緒に過ごすこと。そのたった10〜15分間は、とても貴重で意味ある時間だと感じているのです。その時間で他愛もない会話をし、笑い話をすることもある。学年を越えて、お互いが直接顔を合わせることで具合が悪そうな仲間を労ることもある。私は、ただ一緒に生活している住人ではなく、先輩・後輩であることや仲間であることを意識してほしいのです。それは“今週の御言葉”にあるように『一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶ。』そんな関係性を大切にし、光風生全員がそんな存在であってほしいと願っています。

 そして、自宅学習期間を控えた46回生と過ごす班会は、今日が最後であることを憶えて、大切にして過ごしてほしいと願います。(片岡)

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< 光風館クリスマス特別賞“スペシャルコース” >

 1月23日(土)光風館クリスマス特別賞“スペシャルコース”の食事会を開催しました。

0124_ko06 今回のメニューは、前菜(トマトとアボガドのブルスケッタ)・サラダ・パスタ(豚ミンチとオクラのペペロンチーノ・ジェノベーゼ・明太子クリーム)・メイン(豚なんこつと玉ねぎのバルサミコ酢煮込み)・デザート(H.Aさん特製ケーキ・いちじくのコンポート)でした。

 この賞を取れなかった光風生はどうぞ羨ましがってください。

 いろんな話題で盛り上がり、食事会の雰囲気は終始和やかでした。料理を出した瞬間、カメラを構えて撮りまくる3人。料理に満足してもらえたようで安心しました。

 ちなみに残ったケーキ一切れは、じゃんけん大会が開催され、甘党で知られるA.H君(2年)がゲットしました。さぁ、来年は誰がこの賞を取るのか、楽しみです。(片岡)

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< 礼拝のお話 >

S.R(1年)神奈川県綾瀬市出身

 みなさんは本気でぶつかった相手はいますか?僕はいます。忘れもしません。

 中学一年生の一月、当時付き合っていた彼女に突然ふられました。彼女にふられ、落ち込んでいる僕に向かって、ある友達はからかってきました。そのからかいが続き、上手く気持ちを伝えられない僕は、口より先に手が出ました。中学時代に本気でぶつかり合ったのはこいつだけです。でも、本気で関わった友達もこいつだけです。いつの間にか「友達」から「親友」になっていました。本気でぶつかった人って不思議と仲良くなっているものです。

 みなさんも本気でぶつかって、本気で怒って真の友情を築いてみてはいかがでしょうか?互いに尊重し合い、共に喜び、共に泣き、心の底から笑い合える関係を作りましょう。

 

S.R (1年) 東京都東村山市出身

 みなさんは人との意見の相違、または物事に対する考え方や姿勢の違いで戸惑ったり衝突してしまったりしたことはありませんか?僕は小さい頃から教会に行き、両親の仕事の関係で様々な人達と関わってきました。そんな環境で育ったためか、学校の友人や周囲の人とは少し違う考え方をするようになっていました。そのせいで中学時代は人との意見の相違で戸惑ったり、ときには衝突したりすることも少なくありませんでした。

 敬和に入学してからは、それをさらに感じるようになりました。なかには自分とは全く正反対の考えを持つ人達もいて、僕はそれが頭でわかっているつもりでもどうしても彼らの意見を認めることが出来ず、苦悩する日々が続きました。しかし、ある時、僕は自分が敬和に入学した意味を考えてみました。「様々な考えを持つ人達と関わってみたい、自分とは違う価値観を持つ人としっかりと話してみたい。」そのような想いがあったからこそ、ここに来たのだと改めて考えました。それから僕は彼らの意見を聞いても、そんな考え方もあるんだ、そう感じる人もいるのだと受け止めるようにし、逆にそれについて自分なりに深く考えるように心がけています。

 みなさんも自分とは全く違う価値観の人の意見を聞いて、それについてろくに考えず否定したり、反論したりすることも少なからずあると思います。しかし、その人の意見を頭から否定するのではなく、彼らの話にも耳を傾けてみてください、それは自分にとって新たな発見にも繋がりますし、自らを成長させる上で様々な意見を取り入れて、それについて考えることは必要なプロセスだと思います。

 

K.T(1年)兵庫県神戸市出身

 みなさんは自分の生きる意味、または存在意義について考えたことはありますか?ずっと考えている人もいれば、そんなことは一度も考えたことがないという人もいると思います。僕はメンタルがあまり強くないので、こういうことをすぐに考えてしまいます。では、考えたことのない人に質問します。自分の生きる意味や存在価値を答えられる人はいるでしょうか?多分、数人くらいしかすぐに答えることは出来ないと思います。もしかしたら誰も答えられないかもしれないです。これを考え始める最初のきっかけとなったのは兄の存在でした。

 僕には兄が3人います。3人にはそれぞれの長所があります。長男は力が強く、地元でバンドを組んでいるかっこいい兄です。次男は顔が格好良く、頭がいいバリバリの理系男。三男はコミュニケーション能力が高く、運動神経が抜群、成績も優秀でした。そんな兄に囲まれて育った僕ですが、いつも周りの人や親から比較されていました。自分は兄よりも勉強が出来るわけでもなく、ピカイチな運動能力があるわけでもない。顔も格好良くない。小学生の頃はあまり気にしていなかったのですが、年齢が上がってくるうちに兄の存在を気にするようになり、気にするにつれて兄の凄さも分かってきたのです。

 最初は「兄のようになりたい!」と思っていた僕ですが、いつのまにか「兄のことが嫌い。」という感情になっていました。兄たちと比較されていると「なんで、僕なんかが生きているのだろう?僕の生きる意味とは?」と考えるようになりました。中学2年生から1人でぼーっとしている時に考えていました。しかし、結論は出てきませんでした。そして、今の敬和生活にヒントがないか探しているところです。今は兄のことが大好きでいろいろな面で兄を尊敬しています。

 みなさんはどうでしょうか?一度でもいいので、せっかくの敬和生活の中で生きる意味や存在意義など考えてみてはいかがでしょうか?多分、3年間の敬和生活の中では、答えを見つけることは難しいと思いますが、考えてみてください。そこで考えたことを友達や周りの人との会話する時の話題にしてみてもいいかもしれません。そして、これからの社会でも考え続けてみてはいかがでしょうか?