2015年9月18日金曜日

のぞみ通信 No.212(2015年9月16日)

「救いの神」             寮長 信田 智          

 この夏休み東京から息子たち家族が遊びに来ることになり、もう子供達と一緒に佐渡に行けるのも最後になるかもしれないと思い、佐渡に一泊で出かけることにした。チケットもパックで取り、いよいよその日を迎えた。13:00発のジェットホイルのつもりで朝の時間を過ごしていた。何気なくチケットの確認をしたら、何を勘違いしていたのか、なんと出発時刻は12:00発であった。

 慌てて皆で身支度をし、11:00に何とか車で家を出ることが出来た。出発時刻の思い違いに気付くのが、もう少し遅かったら間に合わなかったであろう。まずは一安心して佐渡汽船のターミナルに来てみると、今度は駐車場が長蛇の列でなかなか進まない。時間がない。足元のおぼつかない妻と孫がいるので、出来るだけ入口の近いところで下すことにして、別の駐車場を探すことにした。

 そこに、フェリーから降りてくる車の誘導をするために、警備をしていた係員がいたので声をかけたところ、安全な場所に誘導してくれて、まずは荷物と家族を降ろすことが出来た。するとその係員が、サングラスをかけ、帽子をかぶっていた私に、「信田先生ではないですか、27回生のIです。」と声をかけてくれた。卒業してから20年近く経つのに、よく覚えていてくれたと嬉しくなった。私もすぐに顔は思い出したのですが、船の出航の時間もあるので、話もそこそこに駐車場探しに出かけなければならなかった。

 ところが、後で分かったのですが、その日は、新潟で大きなイベントがあり、ターミナルから一番遠い駐車場まで行ったが、どこも満車であった。出航の時間はどんどん迫り、このままではとても間に合わない。ここは、先ほどめぐり合わせてもらったI君に頼むしかないと思い、無理を承知で引き返し、フェリーから出てくる車の誘導をしていた彼に何とかならないかと頼んだが、彼の自由になる駐車スペースはなく、どうにもならない旨を告げられた。

 困り果てていた私を見て、彼は事務所の職員が使用している、一つ空いていた駐車スペースに私を誘導してくれたのです。まさに救いの神に出会ったように思えた。急いで家族のもとに駆けつけ、乗船手続きを済ませたのが出航5分前。心の中で、救いの神に感謝の祈りをささげて佐渡に出立した。

 振り返ってみると、朝の出発準備の時、ふと出航時間を確認させてくれた目に見えない力、家族を降ろすために車を止めた場所にいた佐渡汽船の職員が、たまたま彼が在学中、私のフリーレッスンを受講者していた卒業生であったこと。人はそれを偶然と言うだろう。しかし私には、私の神様が救いの御手を指し伸べ、折にかなう助けを与え、導いてくださったとのだと、はっきりと自覚できるのです。

 神なき人生は、自分の知恵と力以上に出るものはない。しかし、神と共に生きる人生には、自分の知恵や力を超えた、目に見えない力が注がれるのである。

 

 

 

寮生リレー通信  (第124回)

 今月の寮生リレーのテーマは、1年間の留学から帰って来たS君(大望2年)、「敬和キャンプ」について光風館1年生、「海外教室」についてみぎわ館2年生、「広島碑巡り」についてはめぐみ館3年生に原稿を依頼しました。

 

「一年間の留学を経て感じた事」

S.Y(大望2年 奈良県上牧町)

 私は去年の8月から今年の7月まで、交換留学生としてアメリカンのオレゴン州に派遣されていました。留学は楽しそうで、かっこよさそうということを連想する人もいるかもしれませんが、実際は苦しいことの方が多かったと思います。英語もろくに話せない私が、人生初の飛行機に乗って着いたのはサンフランシスコ空港。フライトのシステムもよく分からず、チケットを見せながら、たくさんの見知らぬ人にジェスチャーで話かけ、ようやくたどり付いたポートランドから、4~5時間かけてのドライブで留学先の田舎町へ行くというスタートでした。学校に通っても授業が分からず、友人といえるような人もなく、宿題で遅くまで起きるという生活を続けながら学校へ通いました。もともと音楽を通して関係を広げたかったのですが、その高校のジャズバンドやマーチングバンドで交流を図ろうとしても、見向きもされないこともあり、前期の間はほとんど辛い経験しかしなかったように思います。

 それを支えてくれたのは、同じ地区の留学生とホストファミリーでした。留学生の友人たち、とくにヨーロッパ圏の友人は英語が上手で、愉快な子が多かったので、英語を教えてもらったり、一緒に遊んだりしていました。ホストファミリーはいつも私の相談に乗ってくれて、心のよりどころでした。そうしているうちに、後期の授業をきっかけに徐々に友人も増えていき、学校も楽しくなっていき、同時に充実感も生まれてきました。

私が留学をして変わったなと思ったのは、帰国してからでした。人と会話することへの苦手意識がなくなり、自分に自信がついて思ったことを口に出せるようになっていました。自分を好きになることもできました。この留学生活は、「ありのままでいること」の大切さを教えくれた、私の人生にとってとても大きなものとなりました。留学という機会を与えてくれた私の家族、支え続けてくれたすべての人達に感謝しています。

 

歌うバスケ部

歌うバスケ部

講師を呼んでのピラティス

講師を呼んでのピラティス

 

 

 

「敬和キャンプに参加して」~キャンプでの出会い~

S.R(光風館1年 神奈川県綾瀬市)

  「キャンプ」と聞いて、僕の中に“行かない”という選択肢はありませんでした。なぜなら、キャンプには素敵な出会いがたくさんあるからです。僕は中学生の時に参加したキャンプでA.Hさんに出会いました。A.Hさんは僕と出会ったことがきっかけで敬和学園へ入学を決めたと聞きました。そして47回生入学礼拝 新入生代表挨拶の中で、A.Hさんはキャンプで出会った僕のことを話してくれました。そのことを知り、僕も敬和に来るしかないと思い、入学を決めました。そのキャンプが無ければ僕は今、ここにいません。だから「キャンプ」と聞いて、参加することに迷いはありませんでした。
 実際、参加した敬和キャンプを思い出すと、楽しいことしか出てきません。それほど充実していました。人のために働く喜びを知り、労作をして疲れた後のご飯の美味しさを忘れることは出来ません。キャンプを通して、仲良くなった先輩がいます。そして、キャンプが無ければ出会わなかった仲間がいます。このキャンプに参加して、これからいろいろなことを積極的に取り組もうと思いました。
 でも新学期が始まったら、何も出来ないちっぽけな自分がいました。でも、今はそれでいいのかなと思います。そんな自分を知り、素敵な仲間に出会えたのだから。

 

 

 

「敬和キャンプでの素敵な出会い」

 S.R君の文章にあったように、キャンプの魅力のひとつには“出会い”があります。クラス・学年を越えて出会う仲間がいます。また、普段から接している寮生たちも敬和キャンプの中で、またひと味違った表情を見せます。敬和キャンプ三年間皆勤賞の女子生徒は経験を活かしてリーダーシップを発揮していたり、今年初めて参加した男子寮生たちは草刈りとペンキ塗りで大活躍していたりしていました。また敬和キャンプの目玉である食事は小西校長プロデュースの豪華なメニューです。食べることは大好きで得意だけど、料理に慣れていない寮生は、包丁を持つ手がぎこちなく苦労していた姿もありました。

 このキャンプの中で、失敗しながらもいろんなことにチャレンジしようとする寮生たちを見ると、我が子が親元を離れ、成長していく大きな嬉しさとほんのちょっとの寂しさを感じました。それと同時に、保護者のみなさまはそのような想いを持ち、こののぞみ寮に大切な我が子を預けてくださっているのだと考え、身が引き締まる想いを感じました。そして、日を増すごとに活き活きとした表情を見せ、成長していく彼ら・彼女らが何よりもの大きな喜びであり、そんな彼ら・彼女らと出会えたことに感動しました。

 今回、そのような素敵な時間の中で、さらに嬉しい出会いがありました。それはH.T君(1年生)との出会いです。その出会いが与えられ、H.T君は今学期から寮生になり、光風館へ入寮してくれました。ありがとうございます。

 こんな素敵な出会いがある敬和キャンプに来年、ぜひ参加してみませんか?嬉しいお返事お待ちしています!

光風館担任 片岡 自由

 

 

 

「海外教室に行って学んだこと」              

 A.E(みぎわ館2年生 新潟県三条市)

  私はこの夏に、海外教室でアメリカのカリフォルニア州へ行きました。ホームステイでちゃんと英語でコミュニケーションがとれるのだろうかとか、アメリカの生活に慣れるだろうかなど、少し不安はありましたが、何よりも楽しみでウキウキでした。アメリカに行ってしまえば、そんな不安も消えて毎日充実した楽しい日々ばかりでした。楽しいと感じたのは英語でコミュニケーションが取れたからだと思います。現地の人々はフレンドリーだったので、道を歩いていたり、買い物していたりするだけで、気さくに話し掛けてくれました。完璧な英語じゃなくても、笑顔で、伝えようと言う気持ちで話すだけで、相手は分かってくれました。楽しくコミュニケーションが取れて嬉しかったです。

 日本とアメリカで違う所は沢山ありました。けれど、やっぱり笑顔でコミュニケーションを取ることと、ちゃんと感謝を伝えることは変わらず、改めて大切だな、と思いました。

 ホストファミリーも本当のファミリーのように仲良くなることが出来て、幸せな3週間でした。

 

 

 

「広島碑巡りに参加して」

Y.M(めぐみ館3年生 北海道せたな町) 

  私が広島碑巡りに参加してとても心に残っていることは、被爆者の方のお話を直接聞くことができたことです。ある一人の被爆者の方が何度も「今のあなたたちは、幸せだね。」と言っていました。私たちにとって今の生活はすごく当たり前かもしれないけど、本当はこうやって生活できることも、学校に行って勉強できることも、すごくすごく幸せなことなんだと教えてもらいました。またある方は当時のことは思い出したくない、本当は私たちに話すのもすごく嫌なんだと言っていました。ですが、それでも何も知らない私たちに当時のことを伝えてくれました。その方は大人になっても、就職しても、被爆したというだけで差別され、ずっとずっと苦しんでいたと話されていました。そんな方たちのお話を聞けたことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 70年前に戦争があった事なんて、今の私たちの生活からは想像できないし、時間が経つにつれ私たちは忘れていってしまう気がします。私はそれがとても怖いです。そのためにも、私たちが周りの人へ伝えていかなければならない、という事を広島に行って実感しました。そうして強い気持ちがあれば行動に移せるという事を学びました。

 今回、広島に行き、様々なことを自分の目で確かめ、自分の耳で聞くことができました。体も心も全てを傷つける戦争を2度としてはいけないと強く思いました。日本という国が大きく揺れ動いている今、もっと多くの人に戦争について平和について考えてほしいと思いました。私は、戦争は答えではないと思っています。すごく温かくすてきな広島を、そして日本を守っていくのは私たちの世代だと思いました。まずは「日々の生活で周りの人を思いやる」そんな小さな行動が平和につながると私は信じています。

 

 

 

受洗おめでとう!!

 7月26日にH.H君(光風館3年)、9月6日にS.H君(光風館3年)の両名が受洗しました。のぞみ寮での生活を送る中で、他者に出会い、自分に出会い、神に出会ってキリスト者としての道を歩む決心をした恵みに感謝したいです。今月号に彼らの信仰告白を掲載させて頂きます。

 

「信仰告白」

S.H(光風館3年 新潟県新潟市)

 僕の両親はクリスチャンなので、生まれてからずっと教会に通っています。二人の姉は高校二年生のクリスマスに受洗しました。だから「自分も同じ頃になったら受洗するのかな」と漠然と考えていました。でも高校二年生のクリスマスになっても受洗する気にはなりませんでした。高校三年生になって進路を考えているうちに「受洗するか?」という話になりました。けれども、受洗がどういうものなのかよくわかっていなかったので、N牧師から話を聞きました。はじめは話を聞いても受洗するかどうか迷っていました。でも「今がその時なのかな」と思ったので、受洗を決意しました。

 今までいろいろな方の支えがありました。中学二年生まで通っていた教会の牧師が「家出したくなったらいつでもここに来なよ」と言ってくださったこと。婦人会の方が「部活で礼拝に出られなくてもご飯を食べに来て。ちょっとでも顔を出してね」と言って毎週昼ご飯を用意してくれたことなどを思い出しました。教会には支えてくださる人たちがたくさんいたので、僕にとって教会は身近なところであり、あって当たり前の場所でした。そして第二の家でもありました。

 中学三年生になる頃、不安に思うことがたくさんある中で新潟に引っ越してきました。転校先の中学校は好きにはなれず、ネガティブになっていました。新潟教会に来てもソファで寝ていたり、人のいなさそうなところに行ってマンガを読んだりとダラダラして過ごしていました。そんな僕にも新潟教会の方々は声をかけてくださいました。敬和学園に入学してからも教会に通っていると、「中学生の頃より明るくなったね〜と声を掛けられた」と両親が言っていました。その時に僕のことを見守ってくれていたんだと思いました。

 今日、洗礼を受けることが出来るのは、今まで僕のことを支えてくださった方々のおかげです。N牧師といろいろな話をしていくうちに、今までいろんなことがあり、いろんな人に助けてもらったことを思い出しました。そのことを忘れないように、そして支えてくださった方々への感謝を忘れないように、これから歩んでいきたいと思います。

 

 

H.H(光風館3年 岐阜県下呂市)

 私は「これまでの人生、順調にきてそうだよね」とよく言われます。でも、本当のことを言うと、それとは全く正反対の生活を送ってきたと思います。私は中学生の時、たくさんの役を担いました。ですが、それが裏目に出てしまい、仲間外れにされました。それは、中学三年生の冬に起こったことだったので、何とか頑張って中学を卒業しました。

「そんな自分を変えてやる」と誓って、地元の公立高校に入学しました。でも、そこでも友達関係のことでトラブルになり、自分の居場所をなくしました。また、部活動は陸上部の長距離に入りましたが、県内トップでとても厳しく、勉強も進学のためにすごくハードでした。塾にも通い、自由な時間はほとんどありませんでした。毎日朝5時に起床し、学校に行き部活をし、8時までに10キロ以上走り、学校が始まり授業を受けて、学校が終わると宿題をしてから寝るという毎日でした。今考えると、よくあんな生活をしていたなと思います。そんな生活に嫌気がさし、親に全てを語りました。そうしたら「立ち止まることも大切。休みなさい」と言ってくれました。その後、学校を休むようになったある日、母が「いっそのこと学校をやめたら?」と言ってきました。正直驚きました。両親はすごく厳しいと、私はその時まで思っていました。私は悩んだ結果、前の高校を辞めることにしました。でも高校を卒業しないと良い大学にもいけないし、就職も出来ない。さすがに高校中退で終わるのはまずいと思い、次の学校に行くことを決心しました。ですが次の学校と言っても、一回学校を辞めたわけで、定時制の学校にいくのだろうと思っていました。

 そうしたら、たまたま教会に敬和学園を知っている人がいて、紹介してくださいました。最初は全然行く気がありませんでした。ですが敬和学園のパンフレットをもらい、そこに書いてあった「イエス様は、乗り越えられない試練を私たちにお与えならない」という校長先生のお話に感動して、この学校に入ろうと思いました。

0916_ko02 私は敬和学園に合格し、入学礼拝まで時間があったので、両親の提案でニュージーランドに5週間短期留学をしました。私はあまり英語が喋れるわけではないので、すごく苦労しました。一人で行ったので、相談できる相手もいないし、日本に連絡することもできませんでした。そんな時、私を支えてくれたのは、日本人教会でした。そこは私にとっての心の拠り所でもあり、英語を学べる場所でもあり、そこでたくさんの友達もつくることができました。

 私はたくさんの試練に遭い、心が折れそうな時がたくさんありました。でも今思えば、全て乗り越えてくることが出来たし、その経験が今の私を創り上げているのだと思います。神様が私の後ろにいてくださり、私の背中を押しくださって、ここまで歩むことが出来たのだと思います。全てが自分を成長させてくれるきっかけでした。本当に今までの全てのことに感謝しています。

 こうして考えてみると、キリスト教がいつも私の柱になっていたのだと感じる機会がたくさんありました。私の家はクリスチャンホームで、小さいころからキリスト教と関わる機会も多く、自分の名前も聖書からとられ、今こうして敬和学園にいること、そしてこの先もキリスト教を柱として生きていくこと。全て神様の導きであったと思います。このような、環境や機械を与えてくれた、両親には感謝してもしきれないほどです。私はこれまで神様に守られて来たように、これからも神様を信じ、人生を歩んでいきたいと思います。

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ビバ!2年生合宿!

0916_no05 今年初めて、2年生合宿の夜の部を4館合同で行うこととなりました。昨年までは4館それぞれで、近所のスーパー銭湯へ行ったり、お茶会をしたり、ミーティングをしたりしていました。夏休みに入る前、「そもそも2年生合宿って何のためにするの?」と東副寮長から投げ掛けられた質問に、あれやこれやと答えるうちに、「4館でのぞみ寮だよね。今年は後半、4館で何か取り組んでみようよ。」と寮務教師が盛り上がり、合宿後半は2年生全員での活動となったのです。

 いったい何をしたのか?ゲームです。まず、2年生全員によるバースデーチェーンを行い(言葉を使わず誕生日順に一列に並びます。)、そこから10チームに別れ、スタートしました。このバースデーチェーンも60人ほどの大人数でのチャレンジは見ごたえがありました。一声に寮生と言っても当然色んな人がいます。しゃべるのが好きな人もいれば苦手な人だって。積極的な人もいればもじもじしちゃう人だって。それでも4分30秒ほどで一列になりました。この短い時間でとれだけの助け合いが行われていたことか!言葉はなくても、どれだけのコミュニケーションが行われていたことか!寮生ってすごい!って改めて思わされました。 

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 そしていよいよ本番。デザートの景品を賭けて、300本のストローとテープでタワーをつくりました。ストローは一本たりとも残してはいけません。使い切る。30分以内に。1チーム5~6人の10チームで競いました。ゲームはわいわい、笑いあり、大笑いあり。互いに思いつく案を口にし合い、役割を分担し合い、改善を提案し合い、教え合い……。結果は40㎝から3mまで、形も高さも様々な10個のタワーができました。 楽しかった~!

0916_no08 このゲームを通して2年生が体験したことはたくさんありました。同じ目標に向かうこと、それに向かって意見を出し合う大切さ、改善点を口にする必要性、一つ一つの役割に大小はなく、どれも大切なこと、「わかんない!」や「どうやったらいいの?」なんて気軽に口にすればすぐに誰かが手を貸してくれること……などなどです。これって、実はこれからの世代交代、館創り、チーム作りにとっても大切。このゲームで体験・体感したことはそのまま日常生活でも使ってほしいことばかりです。それが出来れば、最強のチームに成ること間違いなしでしょう。みんなの、これからの活躍を大いに期待しています!それにしても、今年の2年生合宿は私にとってもすごく楽しいものでした!(森口)

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9月の献立について栄養士からひとこと

 夏休み明けは例年、朝食を口にしない生徒が目立つようになります。休み中お子さんの家での様子はいかがでしたでしょうか。9月の終わりには一大行事の修養会が待っています。そこに向けて、気力も体力も充電できるような秋の旬の食材を盛り込んだ献立にしてみました。16日の夕食は郷土料理の予定でしたが、この夏留学から帰って来た2名の寮生からのリクエスト献立にしました。メニューは海鮮ちらしずし、けんちん汁、和風サラダ、プリンアラモードです。二人ともお寿司やけんちん汁と和食をリクエストしたのが印象的でした。

 保護者の方々にお願いがあります。毎月1回、夕食のメニューに郷土料理を出したいと思っています。そこで、地元の美味しいお料理のレシピを教えて頂きたいです。一品でもかまいません。ぜひ、よろしくお願いします!

(管理栄養士 五十嵐 亜紀)

 

 

 

 

ピアエデュケーション行いました

 9月9日(水)放課後、大学生や高校生が様々なテーマについて学び合う「ピアエデュケーション(仲間の教育)」をおこないました。寮生は3年間で2回経験します。一回目は「性交」について2年生の時に、今回の2回目は「妊娠と出産」について3年生を対象に行いました。

 お隣の新潟医療福祉大学の看護科の学生さんたち12名に来てもらいました。年の近いお兄さん、お姉さんたちが、妊婦体験の出来る道具をもってきてくれたり、赤ちゃん人形を使った抱っこ体験、劇あり、スライドあり、時間をかけてくれた準備で一生懸命に大事なことを伝えてくれました。

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寮務教師からのひとこと

 各学年では、修養会に向けての準備中です。生徒たちは、現地へクラス担任と下見に行ったり、宿泊の部屋割りについて話し合ったりするなど、普段の授業や部活動に加えて慌ただしくも、元気に過ごしています。

 先日、関東・東北での大雨に見舞われた地域がありました。幸い、のぞみ寮にいる生徒の関係者、ご家族の皆様方におきましては、皆様無事という報告をいただき、ホッと胸をなでおろしております。しかしながら、この災害を見たとき、数年前の新潟三条市の大雨大災害のことを思い出さずにはいられませんでした。今回の災害にいち早く立ち上がった地域として三条市の方々の姿が報道にありましたが、どの地におきましても災害に遭われている方々の、一日も早い復興を祈るばかりです。のぞみ寮の礼拝では、生徒たちは、そういった苦境に立たされている人たちのために、祈りに覚えて日々の礼拝を守っています。

 私たちも、皆様方からの、温かい祈りによって、日々の生活が守られていることに改めて感謝申し上げます。寒くなる季節柄、皆様のご家庭におかれましても、健康が守られますことをお祈りしています。

みぎわ館担任 榎本かな