2013年2月16日土曜日

のぞみ通信 No.187(2013年2月14日)

平凡を非凡に
寮長 信田 智
いよいよ卒業礼拝の時が近づいて来た。敬和の卒業礼拝における表彰は、3年間皆勤(無欠席、無遅刻、無欠課)の人だけである。学校を休まない、遅刻をしない、授業をサボらない、ごく普通の事です。しかし、これを3年間続けることはとても大変な事です。誰でも出来る平凡なことでありながら、誰でもが出来るわけではない非凡な事。その事に対して敬意を表しての表彰といっても良いのではないか。
 私の恩師は既に天に召されましたが、30年近くに亘り、死ぬまで新約聖書ヨハネ福音書15章1-11節を筆写しておられた。それだけではなく、毎週の礼拝説教も、教会の諸集会もこの聖書の御言を用いておられた。ある時、なぜこの聖書の箇所にこだわるのか訊ねた。すると、「主イエスにつながり続けて、日々豊かな祝福に与かっている私にとって、この御言は深く広い聖書の世界の確かな入口なのだ。」と言われた。
 私は、恩師に真似て何かしてみようと思い、新約聖書のエペソ書(7㌻)全部を暗唱する事にした。3ヶ月間かけて全部暗唱し、やったぞと内心得意になった。しかし、それを持続する事は出来なかった。ところが、恩師は依然としてヨハネ15:1-11を筆写している。そこで今度は、聖書を全部書き写す事にした。自分はあきやすく、いい加減な人間だから、できる時に出来るだけで良いから、とにかく諦めないで書き続けよう。また、これ位はいいや、とすぐに妥協してしまう弱い自分と闘うために、1字1句間違えないように書き写そうと自分に言い聞かせた。そして、1字でも間違えるとその頁は没にして、始めから書き直すことにした。
 案の定何度も挫折し、時には丸1年まったく書けなかった時期もあった。それでも、終わりがあることは希望である。私さえ諦めなかったら必ず終わりがくるのだ。聖書を書き始めてから、聖書全巻書き終わるまでに何と丸10年かかった。そして終わってみれば、失敗して没になった便箋は百枚綴りの便箋10数冊分もあった。私はそれを見て自戒する。「いいか、お前はわずか15分(便箋1枚書き上げる時間)も集中できない人間なのだから、その事を心に留めて置けよ」と。聖書を書き写し終えたら、その先が続かない。その間も、恩師は依然ヨハネ15:1-11を毎朝筆写しおられた。
 恩師はいつも私の一歩先を歩み、これなら平凡な自分でもついていくことが出来るかも知れないと思わせ、私を導いてくれた。私が得意になって追い越したぞと思った瞬間、また私の一歩先を悠然と歩んでおられる。恩師は言われた、「信田君、牧師は平凡でなければならない。奇をてらって何かしようと思うな。平凡を非凡に生きて見せる事だ。」
 寮生活、まことに平凡な毎日である。しかし、一見、この平凡に見える寮生活、これを3年間全うすること、実はとても非凡な事なのだ。3年生たちはそれを成し遂げた。1、2年生はこれから意識して、平凡な寮生活を非凡に生きてみようではないか。日々自分の義務と責任を誠実に果たして行く事が、芯のある人格を作り上げて行くのだ。




 寮生リレー通信  (第 103 回)

< みぎわ館 >
「3年生を送る会を終えて」N.E(1年)
 去る1月28日。この日、みぎわ館では3年生を送る会が開かれました。私たちみぎわ館45回生は、この日のためにミーティングを開き、どんな出し物をするかを決めるための話し合いの場を持ちました。しかし、ミーティングを開いたのは送る会当日の約2週間前でした。時間がないためそんなに凝ったものはできない、でも3年生に喜んでもらいたい!そんな思いでみんなでアイディアを出し合いました。
 そして、私たちは入寮当初の部屋の3年生にメッセージと最後に1年生全員で歌を送ることに決めました。お世話になった3年生へのメッセージや最後に歌う曲は何にするかなど、限られた時間の中でより良いものにしようと頭を悩ませました。
 そして、迎えた3年生を送る会当日。各学年、笑いあり、涙ありのステキな出し物で3年生を送り出すことができました。思い返せば、私は入寮して間もない頃、寮生活や学校生活の辛さから部屋で泣いていると、3年生がなぐさめてくれました。その直後に行われた1年生行事では、半泣きの状態で参加した私を3年生はずっと見守っていてくださいました。シャイな私にも、たくさんの3年生が話しかけてくださいました。そんな3年生と過ごしていく中で、私はいつしかこんなことを思うようになりました。「私も先輩になったら、43回生の先輩方が私にしてくださったように、同じように後輩に接してあげたい!」
 43回生のみなさん、お世話になりました。先輩方からたくさんのことを学びました。それぞれ新しい道での活躍を期待しています。応援しています。今までありがとうございました。



< 大望館 >
「スキー教室の感想」K.S (1年)
 僕たち、45回生のスキー教室は、妙高で行われました。スキー教室は、敬和で1・2を争う人気の行事で、周りの皆はすごく楽しみにしていましたが、僕はそこまで楽しみではありませんでした。理由は、寒いのが苦手なのと、体力がなくて3日間スキーをし続けられるか不安だったからです。
 案の定、2日目のスキー講習では、半日滑っただけで疲れ果ててしまいました。その日しかないナイタ―も、疲労のため、6人分の布団が並べられた部屋で1人で寝てました。
 正直、スキー教室でこれといった思い出も無く、僕なんかが感想を書いて良いのか怪しいです。スキーは楽しかったけど、疲れるし、すねが尋常じゃないくらい痛くなったので、しばらくはやらなくてもいいかな、と思いました。
 おもしろい思い出はできなかったけど、友達とのお泊まりはやっぱり楽しかったです。行って良かったです。スキー教室で学んだことは、イベントの時はめいっぱい楽しむという事と、インフルが途中から流行してきたので、病気に対する予防はとても重要、という事です。
 これらをとおして次のイベントはたくさん楽しんで、良い思い出を作りたいと思います。



< めぐみ館 >
「セクシャリティー教育を受けて」O.H(2年)
 1月31日に寮の2年生全体で男子寮の澤野先生から「セクシャリティー教育」を受けました。その中で、「もし自分が、相手が妊娠したらどうする?」という質問が出ました。正直そんなこと考えたこともなかったし、想像すらしていませんでした。更に先生から、人工妊娠中絶についての話も聞きました。その話を聞いて、もし自分が、友人が・・・。と考えたとき、とても怖くなりました。
 そして先生は「金銭面の問題というよりは、まだ私たちはそのことに向き合うだけの年齢には達していない。責任を持てるだけの成長は、まだしていない」とおっしゃいました。その通りだと思いました。
 この話しを聞いて、私たちを産んでくれた家族に感謝しなければならないことを改めて実感しました。そして、この機会を通して、10年後、20年後の未来に向けて私がすべきことは、上辺だけでない信頼関係を築き、将来に向けて勉強していくことだと思いました。残り1年の敬和生活を充実したものにしていきたいと思いました。



< 光風館 >
「雪の上で滑るなんて・・・」N.R(光風館・1年)
 1月30日、僕は人生で初めてのスキーをするために、新潟県妙高市赤倉温泉でのスキー教室に行ってきました。
 僕は、敬和に来るまで、雪が降らないタイにずっと住んでいたので、ちゃんと滑れるか心配でした。また、スキーができるくらい雪が大量に積もっていたのでとても驚きました。雪の上を板で滑るなんて、最初にスキーを考え付いた人はよく考えたなぁと思いました。そんなことを考えながら1日目のスキーのレッスンを受けました。スキー用の靴で雪の上を歩くのも大変だったし、スキー板を取り付けるのも大変でしたが、何よりも滑ることが大変でした。そして、満足に滑ることもできないまま1日目が終わりました。こんな調子で滑れるようになるのかと不安でしたが、2日目の午後には滑れるようになっていました。
 スキー教室の間にインフルエンザが流行ってしまってとても大変な3日間でしたが、同じグループになった普段は話す機会の無い他のクラスの人と話せたり、一緒に滑れたりしてとても楽しい3日間となりました。




 新潟の春も、もう近くまで来ているような、そんな陽気を感じさせられる今日この頃です。 皆様年度末のお忙しい季節柄、いかがお過ごしでしょうか。
 さて、各館、新入生の46回生を迎えられるように、ルールの見直しや、大掃除をして整えて準備しています。また生徒たち、新たな学年には今までと違った役割が与えられます。次年度に向けて、新たな試練や、課題もみえてくるでしょう。その一つ一つが、皆、成長に欠かせない経験となっていきます。これまで以上に大きな課題ではあると思いますが、きっと、1年間、2年間で培ったコミュニケーション能力を発揮させる大きな出発点となるはずです。私たちも一丸となって、より良いサポートをいたします。皆様方には何卒、これまでと変わらぬご支援、ご協力よろしくお願い致します。(めぐみ館担任 榎本かな)