2011年11月16日水曜日

のぞみ通信 No.175(11月14日)

親の心子知らず            寮長 信田 智
 
 「人皆に美しき種子あり、明日何が咲くか」ある人がこれをもじって、「人皆に悪しき種子あり、明日何をしでかすか」と言った。見える現実は、はきだめのような、どろ池のような現実がある。その現実を前にして、「明日何が咲くか」とその子の中にある可能性に目をとめ、明日を信じて待つか、「明日何をしでかすか」と戦々恐々として、目の前の現実に振り回されるかによって、子供の将来は変わってくる。信じられ受け止められている子供は、時がくれば親の信頼に応え、きっと素晴らしい花を咲かせてくれことでしょう。今度は何をしでかすかと、戦々恐々とした状態で向きあわされている子供はやがて、親が恐れているようになっていくのではないでしょうか。
親は、自分の信じるところを子供に伝えてやる事が大切です。跳ね返される事もある。嫌がられることもある。それでも親の思いを伝えてやらなければならない。親が伝えるべきことを伝えないで、子供が道をそれて行くならば、それは親の責任です。しかし、親として伝えるべき事は伝えても、なお道をそれていくこともある。
 
 最近親子の心のすれ違いが多い。親の思いが子供に伝わっていないのである。親は一生懸命伝えているつもりなのに、子供は一切受け付けない。子供も親に一生懸命自分の思いを伝えているつもりなのに、親には理解できない。何故そう言うことになるのか、基本的な信頼関係が出来ていないことが多い。どこかでボタンを掛け違え、親は自分のことを愛してくれていない。自分は邪魔な存在なのだと思い込んでいる子をよく見かける。また親は、どうしてこの子はこんな子になってしまったのだろうと嘆くばかりで、子供を理解しようとしない。そのような関係の中では、親が何を言っても伝わるはずがない。行き詰まった時には、慌てず騒がず神様にお委ねしてみよう。
 
 私の息子は敬和在学中(24回生)、自分の生き方を捜し求めていた。その流れの中で、1年間AFSの留学生としてミネソタ州に留学した。留学から帰ってきて、「お父さん、僕は高校を卒業したら就職をする。お世話になったホストファザーは、高卒だけど立派な仕事をしている。自分は大学に行く意味が分らない。」と言い出した。
親としては、思っても見なかった申し出であったので、留学の結果がこれなのか、親の心子知らずとはこの事かと思った。息子と話しても平行線でどうにもならない。それでも親としての思いは伝え、後はどういう選択をしようとも、神様が最善をなしてくださると信じて委ねた。親の気持ちを試していたのだろうか。やがて進路の時期が来た時、自ら大学への進学を選択していった。
 
 
 
 
寮生リレー通信  (第 92 回) 
光風 「大夫浜コンサートを終えて」U.Y.(3年:新潟市秋葉区)
 10月28日に大夫浜コンサートが行われ、僕はそこで器楽部としての最後の演奏をさせてもらいました。3年生最後の晴れ舞台であったため、とても強い想いでコンサートに臨みました。この日のために何ヶ月も前から準備をしてきましたが、振り返ってみるとあっという間でした。「コンサートまでの準備の1秒1秒を大切にしていこう」と思っていましたが、やはり時間が経つのは早く、「引退」という実感も湧かないまま演奏をしていました。
 「器楽部は幸せな部活だ」と周りからよく言われますが、全くその通りだと最後の大夫浜コンサートを通して実感しました。運動部の3年生は最後の大会に負けて、満足な形で引退できないというのが大半だと思います。今回の大夫浜コンサートは例年と同じく、多くのお客様が来場してくれました。器楽部は自分たちの好きなことをして、多くの人に祝福されて引退します。1年生の頃はそれがどれくらい幸せなことなのか、よくわかっていませんでした。演奏が終わった後も、多くの方々から「良かった」とか「楽しかった」など言葉をかけてもらいました。演奏をしている時はとても楽しく、大きな拍手をもらい、その中で自分が引退できると考えたら、本当に自分は恵まれているなと思います。
 大夫浜コンサートは多くの方々の協力で成功したものであり、その協力が無ければ成功していなかったでしょう。私にとって最後のコンサートが良い雰囲気の中行われ、心に残る引退をさせてもらった自分は、支えて下さった方々に感謝をしなければなりません。そして、このような経験は貴重であり滅多にできることではありません。正直、ずっと続けてきた器楽部を引退するというのはとても悲しいことです。ですが、最後の大夫浜コンサートで今までの経験で得た力を出し切れたと思うので悔いはないです。3年間での部活動とこの大夫浜コンサートで得たものは一生忘れることはないと思います。
 
 
 
みぎわ 「信徒大会!」    
S.K.(1年:神奈川県川崎市)
 私は11月3日に行われた「新潟地区 信徒大会」に子どもプログラムの係として参加しました。「新潟地区 信徒大会」では、新潟県内のたくさんの教会の人たちが集まり、様々なイベントを通して関わり合えた時でした。それが終わった後、300人以上もの人が来られていたと聞いてとてもびっくりしましたが、その大きなイベントのお手伝いが出来たことをとても嬉しく思っています。
 最初、ボランティアを募っていた時は一体どんなことをするのだろう?と思っていました。係決めを行った時、私は昔から子どもの世話をするのが得意で、小さい子から人気もあったので真っ先に子どもプログラムの係に立候補しました。子どもプログラムの係は、子どもたちを相手に、学校案内をしたり、一緒に遊んだりする係でした。この係に決まってからより一層、「どんな子どもたちが来てくれるんだろう!」とか「どんな風に接したらみんなが楽しんでくれるかな?」など、いろいろ想像してワクワクしていました。
 当日になり、たくさんの子どもたちを見た時嬉しくて思わず大きな笑顔になっていました。私は男の子1人と女の子2人、中学3年生の敬和志望!の人と一緒に行動することになりました。みんなと一緒にキャンパス内の至る所を歩き回ってウォークラリーをしたり、体育館で鬼ごっこやドッチボール、宝探しをしました。みんなととても仲良くなれ、私自身がとても楽しく過ごすことが出来て良かったです。特に、中学3年生の人とは意気投合でき、友達が増えたようで嬉しかったです。
 1日一緒に過ごした3人がお別れの時に「今日はありがとう。楽しかったよ。」と言ってくれました。その言葉を聞いて、ボランティアに参加して、この係になって、3人と出会えて、本当に良かったと思えました。また、信徒大会で係の仕事を任せてもらい、人のために働くことのやりがいと、「ありがとう」と感謝される喜びを体験しました。これから敬和で過ごす2年半、寮生活をしていく毎日の中で、人のために働くことを心がけていきたいです。
 
 
 
大望 「信徒大会に参加して」  
S.T.(1年:長野県茅野市)
 11月3日に敬和学園で新潟地区の信徒大会が行われました。新潟県内の様々な教会の人達が、チャペルでお話しを聞いたり、敬和の先生方による特別授業を受けたりしました。僕は、その信徒大会のスタッフとして手伝わせていただきました。
 僕の係は受付で、来られた方々をチャペルの前の方へ誘導する役目でした。先生にはたくさん人が来ると言われていたので、最初は「それは面倒くさいなぁ」と思っていました。しかし、実際は小さなグループや個人で来られる方が多く、意外とスムーズに誘導が出来ました。
 その中で、僕は不思議な気持ちを抱くことがありました。それは、こちらが挨拶をすると相手は挨拶に加え、「お願いします」や「御苦労さま」と言ってくださったことです。僕は、「どうしてこの人はこんな事を言うのだろう?」と不思議に思っていました。「御苦労さま」は、まだ分かります。しかし、「お願いします」は何なのか分かりませんでした。ただひとつ言えるのは、その人達は「大会に参加させてもらう」という気持ちで来たのではないか、と言う事です。僕だったら、そうは考えないはずです。そして母が前に、「教会に行っている人は心が優しいよね。」と言っているのを思い出しました。その時僕は、今の自分が少し恥ずかしくなりました。僕は、この機会にもう一度自分を見直して、人として成長したいと思います。
 
 
 
めぐみ  「器楽部で過ごして」   
K.N.(3年:新潟県胎内市)
私は3年間器楽部で過ごしました。3年間とても充実した毎日でした。素敵な仲間に出会えました。尊敬できる人にも出会えました。何度も、くじけそうになったときがありました。けれどそんな時には応援してくれる人がたくさんいました。また老人ホームや、商店街で演奏すると笑顔で手拍子をしてくれる人がいました。「感動したよ」と言ってくれる人がいました。そのたびに私たちは幸せだなと感じていました。
私の敬和生活でこの部活がなければ、今の私はいないと思います。何事にも一生懸命になること、音楽を通して人を幸せにできることを知ることができました。また引退コンサートでもある「大夫浜コンサート」では、とても幸せな時間を過ごすことができました。見に来てくださったみなさんありがとうございました。また今まで一緒に頑張ってくれた後輩たちにも感謝をしたいです。ありがとう。
器楽部で過ごした3年間は、これからの人生でかけがえのないものとなると思います。ここで楽しい音楽に出会えて最高でした。これからも器楽部JAZZHORNETSをよろしくお願いします。
 

 
 
~スタッフより一言~
先日、みぎわ館内のミーティングの中で「のぞみ寮には人との関わりの中で心を学びに来ているんだ」との発言がありました。ハッとさせられました。毎日の仲間との生活を通して寮生自身が痛切に感じているからこそ、出た言葉なのでしょう。とても真実味があり、心の底から本当にそう考えられているのだと、聞いていた私にも伝わり感動した瞬間でした。
「心を学ぶ」場所があるという事を知っている高校生が世の中にどれだけいるのでしょうか?のぞみ寮では学年が進むにつれ、寮生活を送る日数が増すにつれ、その事に気付けていきます。様々な出来事を通して、たくさんの仲間や自分の新たな面との出会いに溢れた場所だからこそなのだなぁと改めて教えられています。今年も残すところあとわずか。「心を学ぶ」場であるのぞみ寮で、私たちスタッフも一緒になって前進していきたいと思います。
みぎわ館担任 森口 みち子